前回、5月16日に、さあ再始動!とばかりに長文ブログを投稿したが、いまいち反応が寂しかった^^;
(FBの「いいね」があまりつかなかったということ)
それで、最後にいつ見たのか思い出せないほど久しぶりに(というか初めてかも)このseesaaブログのアクセス解析を見てみましたら、
へー。ほー。毎日ユニークユーザーだけでも100人、ページビューにいたっては、500も600もあるんですね、コンスタントに。
今は紙の商業出版経験がない方でも読みでのあるブログを書いていると毎日20万とか30万とかページビューがあるそうなので、こんな数字は「へのかっぱ」という言葉がぴったりそうですけど、私がウェブでものを書き始めたころ(2000年ごろ)というのはは、1日100の訪問者というのは立派な「人気ウェブサイト(ブログはまだなかった)」でした。
そして今でも、それぐらいの方が見てくれるというのは、書き手のモチベーションを維持するにはじゅうぶんな数字です。100人も見てくれてるなら、励みになります。
想像するに、その読者の過半数が、偶然ふらりと訪問した方とか、初めて読まれる方ではないかな。初めまして、ありがとうございます。よかったらこれからも見てください。
突然ですけど、江戸時代から明治時代になったときに、どうやって「円」という通貨を導入したかご存知ですか。
それは単純に「一両=1円」で計算したんですよね。当時は一円って一両の値打ちがあったわけ。
今では一円というのはそれではほとんど何も買えないぐらい値打ちが下がってしまったように、ネットユーザーの数が増えるにつけ、ひとりあたりがもつユーザーとしての値打ちがたいしたことがないようになってしまって、1日の訪問者がが100人のブログというのは20年前とくらべたら価値が50分の1ぐらいになってしまって、つまり、当時なら読者が2人、ぐらいの意味しか持たないのかもしれない。
でも、そのおかげで、のんびりやっていけるなあとも思う。ネットユーザーが増えたおかげで、一つの記事がひとたび拡散されてしまうとその影響は20年前と比べて逆に50倍になってしまったということだ。
ある人がお気に入りのレストランを紹介したとしても、それが店の知名度に大きな影響を与えるということはほとんどなかった20年前に比べ、今は、そのレストランが紹介した自分が予約がとれなくなるほど人気店になってしまう可能性がつねにあるのだ。
うちのブログの訪問者は100人だもんね、のんびりしていていいよね、なんて思っていても、ふとしたきっかけで、いつ爆発的に拡散してしまうかわからない世の中。
「家から徒歩10分以内で、すいてて、清潔で、電源が豊富で、テーブルが大きくて、wi-fi が強力で、店員さんが感じよくて、夜遅くまで営業していて、ノンカフェインの飲み物メニューが充実で、その飲み物がポット・サービスで出てくるカフェ」の記事なんて、紹介するのは非常にためらう。その場を「共有=シェア」する楽しみには、慎重になる。
その中で情報発信って、どういうふうにやっていこうかなあ、と、いろいろ考えながら少しずつ試行錯誤して、とりあえず無料ブログとインスタグラムへの写真投稿から始めていこう、と思っています。「とりあえず無料」ということは、「近いうちに有料コンテンツも配信をもくろんでる」ということですね^^;
その有料も、いろいろ新しい試みを考えています。まずはそのスタート地点にたどりつけるように、一歩、一歩。
さて、わたしの「住生活」のはなし。
]
昨年(2018年)4月にフランスの長期ビザ(正式名は長期滞在許可証)を取得しパリに渡航、したのですが、長期で腰を据えることはなかなか大変で、2018 年後半は日本にいるほうが結局長くなってしまいました。そういうわけで渡航前に賃貸していたアパートは解約してしまったし、将来海外滞在にするにしても、日本の拠点は逆に必要となってくる…ということで、以前から「ここに住みたい」と思っていた集合住宅にちょうどいい出物があって、そこに拠点を据えました。2018年は、春先にアパートを解約して荷物置き場に荷物を移動して(長年手入れされてなかったワンルームマンションで、家賃無料だったけどそこにいるのは大変だった)、後半に新たな拠点を探して契約してリフォームして家具を整えて...という、「住まいづくり」を計3回やったことになります。
新しい拠点は静かさ(うれしい想定外の二重ガラス)やセキュリティ(館内防犯カメラだらけ、夜中も警備員巡回がある)など、自分におあつらえ向きの点はいくつもあるのですが、このお部屋、狭い。それでじゅうぶんだと見込んで決めたとはいえ、自分が住んだ中でも新記録に挑戦の15.5平米。
そして、収納がまったくなく、一から作らないといけない。
「狭い」というのは、予想通り大丈夫だった。私が学校を出て一人暮らしを始めたばかりのころは、紙の本をたくさん持っていたから、そのスペースが必要だった。パソコンもラップトップはなかった。
でも今、蔵書はとても少ないし、ノートPCで仕事はできるし、データはデジタル化されてるし、そしてIKEA(イケア)の家具は狭い場所でも使いやすい収納のプランを提供してくれる。
いちばん狭いのにものがきれいに収まるのは、部屋にもともとついている収納にものを納めようとするのではなくて、自分の持っているものやそれを使うタイミングに合わせて収納をデザインすることができたから。
これが部屋の入口から居室に向かう壁にそって、IKEA のTRONES(トローネス)という靴収納ボックスを8つ並べました。2つ入りなので4セット購入した。
ここに、靴はもちろん、掃除用品、食料品(じゃがいも、たまねぎ、ジュース用オレンジ)、バッグのスペア、メガネ(私は近視、老眼、サングラス合わせてメガネを7つぐらい持ってる)、ネイルケアセット、予備のタオルなんかを入れている。
今まで置き場が決まらなくて困ってたものが、すっきり収まる。出すのも入れ替えるのも簡単。
↑
ときどき書いてますが、私はすごいバッグ・コレクターです。移動の時にも、
スーツケースの中に何個もバッグを入れていく。
バッグは移動のためだけでなく、ものを分類するときにも役立つから。
マトリョーシカのお人形のように、いつも移動するバッグの中にもバッグインバッグ、サブバッグ、エコバッグ、計4つぐらい入っています。
いつも使うバッグは、長くても2週間ぐらいで休ませるようにしている。
バッグは靴と同じで、連続して使わず休ませた方が長持ちする。
そのため、格納されたバッグが、ここで出番を待っているのです。
↑
バッグ・コレクションの中にはこんなのもあります。100円ショップのCAN DOとかダイソーで買った
保冷(温)バッグ。
これ、今は編み物を案件ごとに入れている。
私は、一つを集中して編むことができないので
(あれもこれもと実験したくなるから)
やりかけの作品ごとに分類しておくのに、
この保冷(温)バッグは、「間口が広い」「軽い」「自分でバッグが立つ」などが
条件にうってつけ。
↑
靴下編みを再開した、と、前回書いたけど、2016年に始めて何回か失敗を重ねたあと、
これならずっと使える、使いたくなる、というイメージができてきたので、
実験している。
↑
実は最初に編んだシリーズのうち、最後の1足のかかとがもうぼろぼろに朽ち果ててしまい、
この靴下は麻100%で最高に気持ちがいいのだが、破れすぎて洗濯することもできない
(もっとほつれてしまう)。
いろいろなものを買って生きている私だけど、
靴下だけは大草原の小さな家なみに自給自足で、針を動かす日々なのだ。
面白かったら、下から
応援拍手や感想を送ってくださいね。
参考にさせていただきます。
2019年05月16日
ライフワークかあ〜
「ライフワーク」のお話。
こんなにたくさんやりかけて達成していない事項があるというのに、2016年の8月に、「靴下編みを、ライフワークの1つにしよう」と決めました。
空気パンツを履くようになって、身体にゴムを当てることに敏感になってしまったせいで、既製品の靴下を履くのが不快なことになって、耐えられなくなってしまっていた。
これからもっとものを書きたいので、とくに長文を書くことを考えたら、疲れない衣類はスポーツ選手のウェア選びと同じぐらい大事なのだった。
残りの人生の足の快適性を考えたら、50歳から始めても、70歳ぐらいまでは編めるだろう、今から試行錯誤始めちゃおう、と考えた。
当時は、手編みの靴下用に専用の糸(=ソックヤーン)が売られているのは、手編みの糸というのは簡単にかかとに穴が空いてしまうので、靴下用糸=丈夫なナイロンとの混紡糸なのだというのも知らなかった。
だから、その年は絹100パーセントの糸とかで何足も編んで、あっというまにダメにしました。
そんなわけで、文字通り、試行錯誤でした。
2018年夏〜2019年早春ぐらいまで、人生最大のヤマ場! みたいな事件をいくつも対処していたので、編みものなんてすっとんでいた。
海外に持っていっても、ひと針も編めずに帰ってきたことばかり。
東京にちゃんと拠点をもうけて、引っ越し→インストールが目鼻がついて、靴下編む時間も出てきた。
青山1丁目のツインタワーの中に三ツ葉屋さんという落ち着いた毛糸屋さんがあったのたけど、昨日行こうとして、ネットで調べて1月に閉店していたことを知り、こりゃ必要なものはさっさと動かなきゃと思って、今日は都心のもう一つの老舗、六本木の石渡毛糸店に行ってきた。
↑
これは、靴下のかかとを補強する(引き揃えという)ために買った糸たち。
ダルマの木綿の糸は「こういうの使う人もいますよ」とお店で教えてもらった。
黄色いコマのは材質聞くの忘れた。補修・補強専用。
↑
ドイツから輸入の靴下糸で有名な町田(ネットあり)の毛糸店、「けいとや」さんから新しい針も届いた。
この3本針は、ドイツの針専門メーカーaddi の新製品でお値段高いのですが、たぶん時間短縮に貢献してくれるはず。
↑
2017年春から編んでたソックス......
2年間一針も手がつかなかったが、1足半ぐらいは編めていたので、ここ2日ぐらい集中したらあっというまに完成間近になったよ…。
2016年から編み始めたソックスは、上にも書いたように全部やぶれてしまい、現役は一足しか残っていない(それも穴が派手に空いている)
麻100パーセントで、とんでもなく気持ちいい。
「ライフワーク」という言葉は、ときおり(しょっちゅう?)それを持ってしまったことを呪いたくなるような重さに満ちているものだったけど、それらを携えて運んでいけるだけのパワーも、身につけることをやりとげているみたいだ。
あ、あと本はこちらで。模様編みパターンは自分で作った単純なもの。
拍手と感想、こちらから送れます。
こんなにたくさんやりかけて達成していない事項があるというのに、2016年の8月に、「靴下編みを、ライフワークの1つにしよう」と決めました。
空気パンツを履くようになって、身体にゴムを当てることに敏感になってしまったせいで、既製品の靴下を履くのが不快なことになって、耐えられなくなってしまっていた。
これからもっとものを書きたいので、とくに長文を書くことを考えたら、疲れない衣類はスポーツ選手のウェア選びと同じぐらい大事なのだった。
残りの人生の足の快適性を考えたら、50歳から始めても、70歳ぐらいまでは編めるだろう、今から試行錯誤始めちゃおう、と考えた。
当時は、手編みの靴下用に専用の糸(=ソックヤーン)が売られているのは、手編みの糸というのは簡単にかかとに穴が空いてしまうので、靴下用糸=丈夫なナイロンとの混紡糸なのだというのも知らなかった。
だから、その年は絹100パーセントの糸とかで何足も編んで、あっというまにダメにしました。
そんなわけで、文字通り、試行錯誤でした。
2018年夏〜2019年早春ぐらいまで、人生最大のヤマ場! みたいな事件をいくつも対処していたので、編みものなんてすっとんでいた。
海外に持っていっても、ひと針も編めずに帰ってきたことばかり。
東京にちゃんと拠点をもうけて、引っ越し→インストールが目鼻がついて、靴下編む時間も出てきた。
青山1丁目のツインタワーの中に三ツ葉屋さんという落ち着いた毛糸屋さんがあったのたけど、昨日行こうとして、ネットで調べて1月に閉店していたことを知り、こりゃ必要なものはさっさと動かなきゃと思って、今日は都心のもう一つの老舗、六本木の石渡毛糸店に行ってきた。
↑
これは、靴下のかかとを補強する(引き揃えという)ために買った糸たち。
ダルマの木綿の糸は「こういうの使う人もいますよ」とお店で教えてもらった。
黄色いコマのは材質聞くの忘れた。補修・補強専用。
↑
ドイツから輸入の靴下糸で有名な町田(ネットあり)の毛糸店、「けいとや」さんから新しい針も届いた。
この3本針は、ドイツの針専門メーカーaddi の新製品でお値段高いのですが、たぶん時間短縮に貢献してくれるはず。
↑
2017年春から編んでたソックス......
2年間一針も手がつかなかったが、1足半ぐらいは編めていたので、ここ2日ぐらい集中したらあっというまに完成間近になったよ…。
2016年から編み始めたソックスは、上にも書いたように全部やぶれてしまい、現役は一足しか残っていない(それも穴が派手に空いている)
麻100パーセントで、とんでもなく気持ちいい。
「ライフワーク」という言葉は、ときおり(しょっちゅう?)それを持ってしまったことを呪いたくなるような重さに満ちているものだったけど、それらを携えて運んでいけるだけのパワーも、身につけることをやりとげているみたいだ。
あ、あと本はこちらで。模様編みパターンは自分で作った単純なもの。
拍手と感想、こちらから送れます。
2019年05月14日
コンビニにインストールされているサラダ・バー(パリ滞在2019年春ラウンドその3)
このサラダバー、パリのスーパーマーケット、っていうか、とくにfranprix(フランプリと読む)っていう、スーパーの中でもコンビニ的な規模の大きくないスーパーの中にインストールされてるのをよく見ます。
picadeli というサラダバーチェーンが、コンビニの中にさらに間借りしている感じ。
レタス類の他に、プチトマト、豆類、ファラフェル、フェタチーズ、パスタサラダ、焼きそばまで! ナッツのトッピングもできて、ドレッシングも数種類。グラム
ありがたいことにうちから50mぐらいのところにもあって、最悪何も食べるものがないときに買える。6〜8ユーロぐらいでかなり豪華なサラダが食べられます。
1区のフォーラムデザール(日曜日営業)の地下1階のモノプリmonoprixの中に入っているので、観光の方も便利に利用できます。
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パリ滞在2019春ラウンド ・その2
写真はinstagram に連動しています。
Paris のカフェには大きなサラダがたくさんあるのだけど、ハムかチーズが入っている場合が多い。vegan のメニューは、オリーブが入っていることが多い。
Paris のカフェには大きなサラダがたくさんあるのだけど、ハムかチーズが入っている場合が多い。vegan のメニューは、オリーブが入っていることが多い。
全部取ってもらうと、さすがにつまらない。。
こちらのカフェは、ちょっとモダンでサラダも彩りがよくて、とても好みだった。雰囲気もとても良かった。
こちらでいただいたデザート。
何も加えないイチゴをミキサーでピュレしたものにホイップクリームを浮かべただけ、という、かなり独創的なデザート。
クリームはちょっと残ったけど、とにかく軽いデザート。
2019年05月10日
映画『作兵衛さんと日本を掘る』でも掘らなくても今ここに見えてること
5月25 日(土)よりポレポレ東中野他で公開される、『作兵衛さんと日本を掘る』。
思うところ大きい映画というのは「ちゃんと書かなきゃ」と言葉を探っているうちに公開日のタイミングをはぐってしまうことばかりだったので(『主戦場』もいまだに書けていない)まずは今書けるところを書いておきます。その「思うところの大きさ」のことを世間では「衝撃」と言ったりする。
映画のタイトル、『作兵衛さんと日本を掘る』だけ聞くとこれが芸術の映画だとはわかりづらいのですが、これは、20世紀を生きたひとりの画家とその作品群をめぐるお話(ドキュメンタリー)です。その背景にある日本を掘るというか、背後の日本の縮図が浮かび上がってくるというか。山本作兵衛という、日本の美術史でほとんど名前を聞くことのない、アマチュアの画家の作品をためたスケッチブックが、2011年5月、日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録された。
その絵は、作兵衛自身の生活の場所だった筑豊炭田での暮らしを描いたもの。
どこの博物館かテレビだったか見た記憶はあるがどこだか覚えていないのだが、昔の炭鉱というのは、安全なんか何も考慮されてなくて、ここ入って事故が起きたら生きて帰ってこられないんだな、ということが、入り口からわかるような場所だった。その奥で、多くは夫婦で(炭鉱ほりは二人一組で作業する)働いた。暑いから、男も女も裸だった。d
その生活ぶりを、作兵衛は、独学で、誰に頼まれたわけでもなく、ある日描きだす。その作品の数は千枚を超えるという。
その絵を見て、この作品で取材を受けている日本画家、菊畑茂久馬氏は、一時自分の絵が描けなくなってしまったほどの衝撃を受けたという。
ゲルソン療法WSに参加した時に、「牛」の話になった。牛というのは、現在では「食べるもの」だが、昔は、牛を持っているということは、トラクターを持っているということだった(日本では。土地が広い南米やアフリカでは今でも土地と車と金貨全部合わせたような感じかと思う)。今、トヨタ、日産、ルノーなどが世界的自動車メーカーだが、「自動車」が出てくる前は、「牛・馬」がその役目を果たしていた。牛馬は人々の生活の豊かさを左右するものだった。
で、産業革命が起こって、牛・馬という生物(一頭が持っているエネルギーは限られている)ではなく、「機械」を作ったらエネルギーの投下次第でいくらでも成果を出せる、そういうに動力が変わっていった。そのときにエネルギーとして注目されたのが「石炭」だったわけだ。このエネルギーを安く大量に手に入れるために、労働力がなりふりかまわず動員された。そして、1970年ごろ、そのエネルギーは突然、安く輸入された石油にとって代わる。さらにそれが、原子力発電に代わる。
健康の話をするときに、科学的な、つまり理系な話が先行しがちで、その次にスピリチュアリティとか芸術とか宗教とか霊的な話も私の回りではまあまあ出ることがあって、それらに比べて著しく出てこないのが、歴史、経済、政治という、社会科学的なアプローチだなあと今のところ私は思っている。
この映画では、歴史、経済、政治という社会科学的見地も掘り起こされるけど、山本作兵衛が描いたのはそれらすべてを含んだ芸術だった。芸術だから、見た時に、理屈を離れて、絵を見たら心が動く。自分の奥の涙腺とつながる。
そこがすごくて、見てほしいなと思う理由なのです。
思うところ大きい映画というのは「ちゃんと書かなきゃ」と言葉を探っているうちに公開日のタイミングをはぐってしまうことばかりだったので(『主戦場』もいまだに書けていない)まずは今書けるところを書いておきます。その「思うところの大きさ」のことを世間では「衝撃」と言ったりする。
映画のタイトル、『作兵衛さんと日本を掘る』だけ聞くとこれが芸術の映画だとはわかりづらいのですが、これは、20世紀を生きたひとりの画家とその作品群をめぐるお話(ドキュメンタリー)です。その背景にある日本を掘るというか、背後の日本の縮図が浮かび上がってくるというか。山本作兵衛という、日本の美術史でほとんど名前を聞くことのない、アマチュアの画家の作品をためたスケッチブックが、2011年5月、日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録された。
その絵は、作兵衛自身の生活の場所だった筑豊炭田での暮らしを描いたもの。
どこの博物館かテレビだったか見た記憶はあるがどこだか覚えていないのだが、昔の炭鉱というのは、安全なんか何も考慮されてなくて、ここ入って事故が起きたら生きて帰ってこられないんだな、ということが、入り口からわかるような場所だった。その奥で、多くは夫婦で(炭鉱ほりは二人一組で作業する)働いた。暑いから、男も女も裸だった。d
その生活ぶりを、作兵衛は、独学で、誰に頼まれたわけでもなく、ある日描きだす。その作品の数は千枚を超えるという。
その絵を見て、この作品で取材を受けている日本画家、菊畑茂久馬氏は、一時自分の絵が描けなくなってしまったほどの衝撃を受けたという。
ゲルソン療法WSに参加した時に、「牛」の話になった。牛というのは、現在では「食べるもの」だが、昔は、牛を持っているということは、トラクターを持っているということだった(日本では。土地が広い南米やアフリカでは今でも土地と車と金貨全部合わせたような感じかと思う)。今、トヨタ、日産、ルノーなどが世界的自動車メーカーだが、「自動車」が出てくる前は、「牛・馬」がその役目を果たしていた。牛馬は人々の生活の豊かさを左右するものだった。
で、産業革命が起こって、牛・馬という生物(一頭が持っているエネルギーは限られている)ではなく、「機械」を作ったらエネルギーの投下次第でいくらでも成果を出せる、そういうに動力が変わっていった。そのときにエネルギーとして注目されたのが「石炭」だったわけだ。このエネルギーを安く大量に手に入れるために、労働力がなりふりかまわず動員された。そして、1970年ごろ、そのエネルギーは突然、安く輸入された石油にとって代わる。さらにそれが、原子力発電に代わる。
健康の話をするときに、科学的な、つまり理系な話が先行しがちで、その次にスピリチュアリティとか芸術とか宗教とか霊的な話も私の回りではまあまあ出ることがあって、それらに比べて著しく出てこないのが、歴史、経済、政治という、社会科学的なアプローチだなあと今のところ私は思っている。
この映画では、歴史、経済、政治という社会科学的見地も掘り起こされるけど、山本作兵衛が描いたのはそれらすべてを含んだ芸術だった。芸術だから、見た時に、理屈を離れて、絵を見たら心が動く。自分の奥の涙腺とつながる。
そこがすごくて、見てほしいなと思う理由なのです。
2019年05月09日
スピーカーの音量を耳をつんざくほどにあげて耳栓をして聞く
5月6日にゲルソン療法集中ワークショップに参加した長文記事をひさびさに書き、反響もいただいたので、ちょっと補足。
ゲルソン・ミールというのは塩分による調味をしないので、そうすると「味がうすい」「味がない」という印象を抱く方がいるかもしれませんが、それは「体験したことがない」世界だから、そうなってしまうかな、と。
通常の調理された料理というのは、素材の味と調味料の味を混ぜ合わせて、完成した料理の味が作り上げられています。
でも、ゲルソン・ミールの場合は、「素材の味が100%」。
お酢少量とフラックス・オイル少量は使いますので、その味もあります。
「野菜の味をフルに楽しむ」。
それがゲルソン・ミールの味。
(もっともそのためには、野菜そのものの味がしっかりしている必要があるのですが)
で、この「野菜の味をフルに楽しむ」ということをしていると、まるで、
「ちょうどいい音量の音楽を、ふつうの耳で(耳栓をしないで)」聞いているのと同じだわと思うのです。味覚全開。
わー、ふだんは味覚を「防御」していたのだわ。味覚に耳栓はないから、脳みそで、味覚を感じないようにしているということよね。これは疲れる。
「感覚全開」って、心地よくて楽です。
たとえば、気温がずっと24度ぐらいだったらずーっと素肌でその感覚を感じたいし、汚い空気が肺に入ってこないなら思うがままに深呼吸できるし。味覚という感覚が一つ全開になれば、他の感覚も鋭敏に、というか普通に開かせたい、と願ってきます。
一方、もしも「味覚の耳栓」をつけていない状態で、つまり味覚全開の状態で、調味料満載の、高刺激なものが入ってきたら? 耳栓してないのに、超巨大ボリュームの音楽(騒音)がガンガン鳴らされたら、一発でまいってしまう。
通常の「調味料あり」の料理を食べているというのは、そういうことだと、超音量の音楽を、耳栓をして「このぐらいの味がちょうどいいわよね」と思っているのだと、この時点でやっとわかるのです。
この世界は、すべて「調味料なし」でできていない、という変えられない現実があるので、「調味料あり」と「なし」ふたつの世界をうまく渡っていこうとしたら、味覚の耳栓、つまり麻痺させることを、装着してみたり、はずしてみたり、使いわけることが必要となる。
でも、わたしはその「いちいち装着使い分け」という手間をいちいちかけるのが苦手。とくに、「味覚耳栓なし」という状態が楽ちんなのを知ってしまうと。どこかしめつける下着を着なくてもいいんだと知ったらもうつけたくなくなってしまうのと似ています。
世の中には、その感覚を大事にしたくてまじめにそれを追及している人というのは、いるのですよね。たとえば、叶 恭子さんは、ご自宅で、エアコンで室温を24度に設定して、全裸でいると聞いたことがあるし、絶対音感を大事にする音楽家で、家でうるさい調理家電(ミキサーとか)使わないと言ってる方にお会いしたこともあります。
私は、味覚はもう断然このほうが気持ちがいいし、言語感覚についても、それに近い「感覚全開」を維持していきたいと思っている。
あなたが「全開」でいたいと思う感覚はなんですか?

↑
新しい調理家電をためしています。ゲルソン・ミールは手がかかるので、少しでも調理労力の軽減になる調理器具をずっと探していた。
まだ購入しないで、「1週間のレンタルサービス」というのを利用しています。
本日届いたのでもうちょっといろいろやっているつもり。
ゲルソン・ミールというのは塩分による調味をしないので、そうすると「味がうすい」「味がない」という印象を抱く方がいるかもしれませんが、それは「体験したことがない」世界だから、そうなってしまうかな、と。
通常の調理された料理というのは、素材の味と調味料の味を混ぜ合わせて、完成した料理の味が作り上げられています。
でも、ゲルソン・ミールの場合は、「素材の味が100%」。
お酢少量とフラックス・オイル少量は使いますので、その味もあります。
「野菜の味をフルに楽しむ」。
それがゲルソン・ミールの味。
(もっともそのためには、野菜そのものの味がしっかりしている必要があるのですが)
で、この「野菜の味をフルに楽しむ」ということをしていると、まるで、
「ちょうどいい音量の音楽を、ふつうの耳で(耳栓をしないで)」聞いているのと同じだわと思うのです。味覚全開。
わー、ふだんは味覚を「防御」していたのだわ。味覚に耳栓はないから、脳みそで、味覚を感じないようにしているということよね。これは疲れる。
「感覚全開」って、心地よくて楽です。
たとえば、気温がずっと24度ぐらいだったらずーっと素肌でその感覚を感じたいし、汚い空気が肺に入ってこないなら思うがままに深呼吸できるし。味覚という感覚が一つ全開になれば、他の感覚も鋭敏に、というか普通に開かせたい、と願ってきます。
一方、もしも「味覚の耳栓」をつけていない状態で、つまり味覚全開の状態で、調味料満載の、高刺激なものが入ってきたら? 耳栓してないのに、超巨大ボリュームの音楽(騒音)がガンガン鳴らされたら、一発でまいってしまう。
通常の「調味料あり」の料理を食べているというのは、そういうことだと、超音量の音楽を、耳栓をして「このぐらいの味がちょうどいいわよね」と思っているのだと、この時点でやっとわかるのです。
この世界は、すべて「調味料なし」でできていない、という変えられない現実があるので、「調味料あり」と「なし」ふたつの世界をうまく渡っていこうとしたら、味覚の耳栓、つまり麻痺させることを、装着してみたり、はずしてみたり、使いわけることが必要となる。
でも、わたしはその「いちいち装着使い分け」という手間をいちいちかけるのが苦手。とくに、「味覚耳栓なし」という状態が楽ちんなのを知ってしまうと。どこかしめつける下着を着なくてもいいんだと知ったらもうつけたくなくなってしまうのと似ています。
世の中には、その感覚を大事にしたくてまじめにそれを追及している人というのは、いるのですよね。たとえば、叶 恭子さんは、ご自宅で、エアコンで室温を24度に設定して、全裸でいると聞いたことがあるし、絶対音感を大事にする音楽家で、家でうるさい調理家電(ミキサーとか)使わないと言ってる方にお会いしたこともあります。
私は、味覚はもう断然このほうが気持ちがいいし、言語感覚についても、それに近い「感覚全開」を維持していきたいと思っている。
あなたが「全開」でいたいと思う感覚はなんですか?
↑
新しい調理家電をためしています。ゲルソン・ミールは手がかかるので、少しでも調理労力の軽減になる調理器具をずっと探していた。
まだ購入しないで、「1週間のレンタルサービス」というのを利用しています。
本日届いたのでもうちょっといろいろやっているつもり。
パリ滞在2019年春ラウンド・その1
2019年4月後半、パリにいました。
行くたびに「また繰り返せるだろうか?」といっぱいっぱい感になのですが、今回も来られてよかった。
写真はインスタグラムと連動しているので写真をクリックするとキャプションが読めます。
行くたびに「また繰り返せるだろうか?」といっぱいっぱい感になのですが、今回も来られてよかった。
写真はインスタグラムと連動しているので写真をクリックするとキャプションが読めます。
2019年05月06日
経験・実験・現実
超〜〜久しぶりに本格的なブログを書きます。
2019年5月1日から3日まで、石川県加賀市で開催された、ゲルソン療法の3日集中WSに参加しました。
3日の集中WSに参加するのは今回で3回目。
1回目 2012年11月 そのときの記事 ⇨ こちら と こちら と こちら
2回目 2014年2月 そのときの記事⇨こちら
なんだかついこのあいだのような気がしていたのですが、今が2019年ですから、実に5年ぶり! そして、ゲルソン・ミールを本格的に取り入れるようになってもう七年もたってたのか…。我ながらびっくりした。「ローフード」だけを実践していたときよりも、いつのまにか長くなっています。
でも、最後に集中WSに出てから5年間は、自分の生活に合わせてアレンジしたりルールを曲げたりしながら「自分で作り、自分で食べ、自分で片付け」の日々を繰り返していたわけです。
今回、5年ぶりに、一参加者として3日間どっぷりと妥協なくゲルソン療法の世界にひたったので、今までのことを振り返って、整理したくなりました。
「今まで」というのは、ブログもメルマガも書けなくて、ロービューティジャパンとは関係ない活動をしながら、でも、自分の食事を探して食べていた期間も含みます。
今回の集中WSが過去2回のそれと大きく違っていたのは、「宿泊場所も提供されていた」ということです。
この宿泊場所が、
・ベッド・リネン、タオルなど、宿泊者が触れる衣類はすべてオーガニック・コットン
・それらの洗濯は合成洗剤でなく純石鹸で行われている
・備品のシャンプー、リンス、ボディシャンプーなどもすべてシャボン玉石鹸製
・電磁波極力遮断の床・壁材
etc. etc ...
と、超こだわりの天然快適空間。
こんな感じ。

こうしたお部屋での「住」も含めて、ゲルソン療法集中WSでは、今まで体験したことがなかったことをたくさん体験します。
それは、何に似ているかというと、「宇宙旅行」に似ているのではないかと想像します。
まったく経験したことがなかった、身体感覚だからです。
タイトル通り、ここでは3つの言葉がキーワードとなると思いました。
「経験」と「実験」と「現実」。
「経験」というのは、文字通り「経験すること」なんですけど。
・3日間、動物性タンパク質(ゲルソンサプリのレバーを除く)、アマニ油以外の油、精白穀物、グルテン、塩、砂糖、スパイスなどをのぞき、ていねいにあらって時間をかけて調理された野菜料理を好きなだけ食べる、という経験。
・上に書いたような、極力化学物質を避けた空間に寝泊まりしてみる、という経験。
・自分(もしくは家族)の身体とこころを、どいうやってより健康に一歩近づけていくか、それを真っ先の優先順位として3日間考えまくる、という経験。
こういうものを経験する。
次に、「実験」。
上に書いたようなことを経験して、
・3日間、動物性タンパク質(ゲルソンサプリのレバーを除く)、アマニ油以外の油、精白穀物、グルテン、塩、砂糖、スパイスなどをのぞき、ていねいにあらって時間をかけて調理された野菜料理を好きなだけ食べる、という体験をしたら、わたし(の身体と意識)はどうなるのか。
・3日間、合成洗剤や電磁波など極力化学物質を避けた空間に寝泊まりしてみたら、わたし(の身体と意識)はどうなるのか。
・自分(もしくは家族)の身体とこころを、どいうやってより健康に一歩近づけていくか、それを真っ先の優先順位として3日間考えまくる、という体験をしたら、わたし、および家族の身体と意識はどうなるのか。
宇宙体験的未知の世界。
そして最後に
そんな経験と実験をしてしまったあとで、
・わたしはこれからどうやって生きていこうとするのか
・わたしの前にどんな食べものや環境が待っているのか(たぶん自分が望んでいない食べものや環境)
・その前で、わたしは何をどんなふうに選んで生きていこうとするのか
そんなことを突きつけられる世界。

↑
これは、3日間の集中WSを終えて、
JR西日本の加賀温泉駅から電車に乗ろうとして、
おなかがすいたので、駅のコンビニに寄ってみたときのウィンドウの写真なんですが、
さて、この中から、私は何を選んで食べたでしょうか??
それが「現実」であり「選択」というもの。
ちなみにゲルソン療法では食べることによって解毒エネルギーを作り出そうとするので、
断食療法にあるような「何も食べないこと」は推奨されていません。
妥協を許さないゲルソン療法は、ある意味、ファンタジーの世界とも言える。
療法の側から、「現実と折り合う方法」は提示されないのです。
以前は、「仕事をやめて治療に専念」する覚悟の決まった人でないと、
トレーナーと契約してもらえず、プログラムも組んでもらえませんでした。
そういう、ファンタジーランドのお料理がいちばんおいしいと
私は思って、毎日追求しているのだよなあ。
その、宇宙体験みたいなお料理たちです。
宇宙体験だから、写真を見て、「まあ、おいしそう」⇨「食べたい!」ていう
発想と、ぴったり合致しないのだけどね。




2019年5月1日から3日まで、石川県加賀市で開催された、ゲルソン療法の3日集中WSに参加しました。
3日の集中WSに参加するのは今回で3回目。
1回目 2012年11月 そのときの記事 ⇨ こちら と こちら と こちら
2回目 2014年2月 そのときの記事⇨こちら
なんだかついこのあいだのような気がしていたのですが、今が2019年ですから、実に5年ぶり! そして、ゲルソン・ミールを本格的に取り入れるようになってもう七年もたってたのか…。我ながらびっくりした。「ローフード」だけを実践していたときよりも、いつのまにか長くなっています。
でも、最後に集中WSに出てから5年間は、自分の生活に合わせてアレンジしたりルールを曲げたりしながら「自分で作り、自分で食べ、自分で片付け」の日々を繰り返していたわけです。
今回、5年ぶりに、一参加者として3日間どっぷりと妥協なくゲルソン療法の世界にひたったので、今までのことを振り返って、整理したくなりました。
「今まで」というのは、ブログもメルマガも書けなくて、ロービューティジャパンとは関係ない活動をしながら、でも、自分の食事を探して食べていた期間も含みます。
今回の集中WSが過去2回のそれと大きく違っていたのは、「宿泊場所も提供されていた」ということです。
この宿泊場所が、
・ベッド・リネン、タオルなど、宿泊者が触れる衣類はすべてオーガニック・コットン
・それらの洗濯は合成洗剤でなく純石鹸で行われている
・備品のシャンプー、リンス、ボディシャンプーなどもすべてシャボン玉石鹸製
・電磁波極力遮断の床・壁材
etc. etc ...
と、超こだわりの天然快適空間。
こんな感じ。

こうしたお部屋での「住」も含めて、ゲルソン療法集中WSでは、今まで体験したことがなかったことをたくさん体験します。
それは、何に似ているかというと、「宇宙旅行」に似ているのではないかと想像します。
まったく経験したことがなかった、身体感覚だからです。
タイトル通り、ここでは3つの言葉がキーワードとなると思いました。
「経験」と「実験」と「現実」。
「経験」というのは、文字通り「経験すること」なんですけど。
・3日間、動物性タンパク質(ゲルソンサプリのレバーを除く)、アマニ油以外の油、精白穀物、グルテン、塩、砂糖、スパイスなどをのぞき、ていねいにあらって時間をかけて調理された野菜料理を好きなだけ食べる、という経験。
・上に書いたような、極力化学物質を避けた空間に寝泊まりしてみる、という経験。
・自分(もしくは家族)の身体とこころを、どいうやってより健康に一歩近づけていくか、それを真っ先の優先順位として3日間考えまくる、という経験。
こういうものを経験する。
次に、「実験」。
上に書いたようなことを経験して、
・3日間、動物性タンパク質(ゲルソンサプリのレバーを除く)、アマニ油以外の油、精白穀物、グルテン、塩、砂糖、スパイスなどをのぞき、ていねいにあらって時間をかけて調理された野菜料理を好きなだけ食べる、という体験をしたら、わたし(の身体と意識)はどうなるのか。
・3日間、合成洗剤や電磁波など極力化学物質を避けた空間に寝泊まりしてみたら、わたし(の身体と意識)はどうなるのか。
・自分(もしくは家族)の身体とこころを、どいうやってより健康に一歩近づけていくか、それを真っ先の優先順位として3日間考えまくる、という体験をしたら、わたし、および家族の身体と意識はどうなるのか。
宇宙体験的未知の世界。
そして最後に
そんな経験と実験をしてしまったあとで、
・わたしはこれからどうやって生きていこうとするのか
・わたしの前にどんな食べものや環境が待っているのか(たぶん自分が望んでいない食べものや環境)
・その前で、わたしは何をどんなふうに選んで生きていこうとするのか
そんなことを突きつけられる世界。

↑
これは、3日間の集中WSを終えて、
JR西日本の加賀温泉駅から電車に乗ろうとして、
おなかがすいたので、駅のコンビニに寄ってみたときのウィンドウの写真なんですが、
さて、この中から、私は何を選んで食べたでしょうか??
それが「現実」であり「選択」というもの。
ちなみにゲルソン療法では食べることによって解毒エネルギーを作り出そうとするので、
断食療法にあるような「何も食べないこと」は推奨されていません。
妥協を許さないゲルソン療法は、ある意味、ファンタジーの世界とも言える。
療法の側から、「現実と折り合う方法」は提示されないのです。
以前は、「仕事をやめて治療に専念」する覚悟の決まった人でないと、
トレーナーと契約してもらえず、プログラムも組んでもらえませんでした。
そういう、ファンタジーランドのお料理がいちばんおいしいと
私は思って、毎日追求しているのだよなあ。
その、宇宙体験みたいなお料理たちです。
宇宙体験だから、写真を見て、「まあ、おいしそう」⇨「食べたい!」ていう
発想と、ぴったり合致しないのだけどね。



