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2014年04月12日

ナナコ

 日本の新東京国際空港〜別名・成田空港〜が東京の北東、「東京」と名前がついていても千葉県に位置するように、パリのシャルル・ド・ゴール空港も、実際は、パリの北東25キロ、ヴァル・ドワーズ県のロワシーという小さな村にある。ロワシーは、フランスの東北地方と鉄道でつながっている。地理的には、成田というよりは、大宮と似ているかもしれない。
 ノール(「北」という意味)・パ・ド・カレー地方の首府、リールは、その北端にある街だ。その先の海底トンネルを抜ければ90分でロンドンへ、新幹線TGVに乗れば30分でブリュッセルに到着する。
 日本に帰る前夜は、だから、パリよりも、リールに泊まることが最近の習慣になっていた。パリ市内で荷物をゴロゴロ引っ張って空港に向かうと、ホテルからトータルの時間を考えると90分ぐらいかかってしまうが、リールなら、シャルル・ド・ゴール空港行きの新幹線TGVが1時間に一本出ており、駅前のホテルで預けた荷物を受け取って、電車に乗ったら、45分で空港に着いてしまうのだ。ちなみに料金は44ユーロ。パリ市内からシャルル・ド・ゴール空港までタクシーに乗ると、60ユーロぐらいかかる。
 エール・フランスが羽田に就航したのをきっかけに時刻表が変わって、東京行きの飛行機の離陸は夜の23時25分だった。何かトラブルが起きることを見込んでも、最終の1本前、夜の7時にリールを出るTGVに乗れば、余裕をもってCDG(シャルル・ド・ゴール)に到着できる。
 パリよりリールから空港に行くのが好きな理由は他にもいくつかあった。適度に都会だけど、パリほど人でごった返していないこと、そのわりに、訪ねる価値がある美術館や歴史的施設(ド・ゴールの生まれた家や、リールから電車に1時間乗った郊外に、なんとルーブル美術館の別館があるのだ)があること、ショッピングや映画も疲れ過ぎない程度にこじんまりしたエリアに固まっていること。ユーロスターの発着駅、リールユーロップ駅の周辺のホテルはピカピカで、しかもパリよりずっと安く快適なこと、そして、パリでは見るのが悲しくなってしまうほどたくさんいる物乞いやホームレスもここでは少ないことだった。
 パリでは、1回地下鉄に乗ったら、一人は小銭を求めるカップを持って回ってくる人に出くわす。アンプを持ち込んで一曲歌うタイプ、「わたしは○○国から来た移民です。家族が12人います」とカードを配るタイプなど、流派も豊かなぐらいである。世界中どこに行っても現実から逃れることはできないとはいえ、厳しい資本主義の現実を前に、どうしていいかわからなくて気まずくなってしまう自分を体験するのは好みではなかった。
 もっとも、リールでもホームレスはそれなりにいる。1994年に竣工したリール・ユーロップ駅の周りはそうでもないのだが、昔からの中央駅であるリール・フランドルの周りは、赤ら顔の男たち(ときには女も)が所在なげに並び、おしっこくささに息をとめて歩かないといけないほどなのだ。
 もっとも、彼らは、その場所で仲間同士酒を飲んだりおしゃべりしているだけで、列車に乗り込んで来る、などということはない。とくに、全席指定で検札が厳しい新幹線、TGVには。
 だから、GDG息のTGVに乗ろうとして、他の客とはあきらかに雰囲気が違う男〜車輪のついたキャリー・バッグでなく、薄汚れたスポーツバッグを抱え、目が赤く、何より、欧米ではめったにありえない酒のにおいをぷんぷんさせ、おまけに歩き方までおぼつかないその男がわたしと同じ車両に乗り込み、しかも、わたしの隣の席だとわかったときは、げげっと思ったのだ。
 今回の一週間の旅行は何もかもいいことだらけの収穫の多い旅だったのだけれど、最後の45分間は、今までと違った経験になりそうだった。



 トイレに向かって立つように見せかけて「この荷物、見ておいてくれる?」なんて声をかけたときから、彼がわたしに話をしたいのはみえみえだった。ヨーロッパを何度も列車で旅行しているけど、男の人に「荷物見ておいてくれる?」なんて聞かれたのなんて初めてだった。それに、座席に無造作に置かれた擦り切れた布のショルダー・バッグに、貴重品が入っているとは思えなかった。
 こういうとき、どうしたらいいのかな? ヘンなムードのただよう人というのを無視するのが、わたしは今でもとても苦手だ。いや、そういう人が好きだ、というのを認めちゃった方がいいのかもしれない。ヘンなオーラはわたしの好奇心をそそる。その人の後ろにある物語を覗いてみたくなる。そのおかげで、巻き込まれなくてもいいようなドタバタに巻き込まれてきたのも確かだけど。ちなみに、顔はととのっていた。髪は短く刈り上げられ、大きな目は青く、白目が酒のせいで充血しているのが惜しく、背は高く、スリムで、適度に筋肉もついていた。グッドルッキングでも、こんなに依存ちゃんだとここまで魅力がなく見えるんだなあ、としみじみさせられる、教科書みたいな男だった。

 男は「無理しなくてもいいですよ」と言いたいぐらいたどたどしい英語で一言一言話しかけてきて、お約束通りに、わたしの名前を聞いたり、どこへ行くのか聞いたり、もちろんわたしがなにじんなのか聞いたり、そしてさらにもちろんわたしがひとりなのか(アローン? と聞いたので、一人旅という意味か独身という意味だったのかは不明)聞いたりした。もちろん、やりとりが一往復終わるたびに、ちらりとわたしの手に触れることも欠かさなかった。そして、私が窓の外を見たり適当にやりすごそうとしていると、「ずいぶんプロテクティブだねえ、君の右腕、まるで僕が君に近づけないようにしてるみたいだよ」などと言ったりした。
 「だって……日本では、いきなり人の身体に触れる習慣はないのよ。本当に親しい間柄のお友達だけ。だから、フランス式のお友達のなり方は、わたしにとっては緊張させられちゃうの(フランスだっていきなり手を触りはしないでしょうよ。自己紹介→握手→少しお話して仲良くなったらビズゥ、ビズゥと呼ばれるほっぺへのキスが、ふつうでしょうが、とは突っ込まなかった。もちろん、酒の臭いこんなにぷんぷんさせてる人にプロテクティブにならないなてありえる?)とも)
「そうかい? 君、僕のタトゥーが好きかい?」
 彼の右腕に派手にほどこされた刺青にわたしの目が釘付けになっているのがしっかり見ぬかれていた(ハイハイ、こうやって、見ちゃいけないものから目をそらすことができないんですよわたしは)。
「ええ。実は、日本では、そんなに派手な刺青をしているのはマフィアだけなの。マフィアでさえ、昼間電車に乗るときは、自分たちの身分を隠すために、シャツの袖は絶対にまくらないのよ。1988年に日本でサッカーのワールドカップが行われたとき、イギリス政府は、サポーターたちが日本で刺青を見せないように注意のパンフレットを配ったぐらいなんだから。日本では、刺青してたら公共のスイミング・プールには入れないんだよ」
「うっそお」
「いや、ほんとだって」
 この話のおかげで、ちょっと、自分のペースが取り戻せたようだった。
「アユアローン?(君、ひとりなの? この質問は合計4回ぐらいされた)。ボーイフレンドいるの? いや、ガールフレンドかな?」
「そうね、両方いるわね」
「?!」
「冗談よ、冗談」
 どうやら、おかげさまでかなりスピーディに自分のペースが取り戻せたようだった。彼に触られるのが嫌だった自分が、わたしのほうから、ぽん! と彼の肩をたたいた。

 ちょっとふたりのあいだの雰囲気が変わった、というのは彼も感じたのかもしれなかった。彼はちょっとだけ黙り、下を向いて何か考え、そして、私に向かって「アユアピ?」とたずねた。
「え? わからない、なんて言った?」
「アユアピ? アユアピ?」
 そうだ、ぽん(心の中で膝を打つ音)、フランス人、「ハ」が発音できないんだ。彼が私に向かって 「Are you happy?」とたずねようとしている、というのが、3回めの質問で、やっとわかった。
「そうね、おかげさまで。今はとても幸せよ。でも、あなたはそうじゃなさそうね」
「うん……実は、あんまり幸せじゃない」
「何が? お仕事? お友達? 愛? 家族? ……全部ってのもありね」
 わー、我ながら残酷な質問。人が不幸を訴えたら、何もかもうまくいってないことぐらい、よーくわかってるのに。自分の体験から。
「そうなんだ……。実は、全部なんだ」
「そうみたいね〜」
「次のところに行きたくないぐらいだよ」
「今からどこに行くの?」
「ディジョン」
「何しにいくの?」
「働きに行くんだ」
 北の(斜陽の工業都市を抜けだそうと再開発に全力投球中の)リールから、歴史や辛子で有名だけどウィキペディアを見ても主要産業についてはまったく触れられていない中南部ディジョンに移動して、いったい何を働くというのだろう! 彼のよれよれのスポーツバッグにビジネス・スーツが入っているとは思えず(っていうかジーンズでビジネス・トリップしないだろう)、わたしの限られた想像力では、「建設現場」」というのが、もっとも妥当な線だった。わたしは、彼の仕事が何かたずねなかった。
「きっと大変なときを過ごしているんだねえ。でもね、人間、みんなそういうものなのよ。わたしも、数年前までは何もかもうまくいかなかったのよ。体調も悪くて、仕事もうまくいかなくて、家族も関係が悪くて……。でも、今はみんなよくなったよ。あなただってきっといいときがくるよ」
 わー、またまた正論を言ってしまった。絶対想像つかないだろうなあ。人生って、こんなふうに変わることができるなんて。この時点では。
 男は、ブルーのきれいな瞳と、酒のおかげで赤くにごった白目がとろけて混ざってしまいそうな悲しそうな顔をした。こういうのが刺さってしまう女がいるだろうな、と思わせる、甘さと、一度その甘さにはまったら、その後味わうことになる地獄が一気に想像できる悲しげな顔だった。
「僕はヴァンサン」
 悲しそうな瞳のままで、彼は言った。
「僕はヴァンサン、僕はヴァンサン」
「(それで? と聞き返したかったが)私の名前を知りたいの?」
「イエス、イエス」
「わたしの名前は、トモ」
「トモ……」
 彼は、ボロボロのショルダー・バッグから、ノートを取り出し、紙片を一枚破った。
「ここに、名前を書いて」
 わたしがTOMOと綴ると、ヴァンサンは
「日本で書いて」
といった。
 わたしがひらがなで「とも」と綴ると、彼は、その日本語をしげしげと眺めた。そして、ペンをとって、私が自分の名前を書いた下に「VINCENT」と書き、さらに、その下に、妙な記号を書いた。
 最初の記号は2本の線が縦に並べられており、次の記号は、線が3本あるが、どれもどっちを向きたいのかまったく判定不可能。次の記号は二つの線が、ちょうど漢数字の「八」の字を上下反対にした方向で並んでいる。次の記号も判定不可。最後の記号は、一つ前の、「漢数字の八を上下逆」にしたのと同じようだった。そして、これらの記号は、VINCENT と横書きにされたアルファベットの下に、縦に書かれていた。
「何、これ!?……」
 彼の悲しそうな顔に、ほんの少しだけ微笑みが戻った。
「ヴァンサン」
 と彼は言った。
「ヴァンサン」
 彼は、自分で書いた記号を一つづつ指さしながら、繰り返した。「ヴァ・ン・サ・ン」
「あー! これ、日本語?」
「イエス、イエス」
「……」
 なんてこったい。これじゃ日本人には読めないぞ。カタカナで「バ・ン・サ・ン」と書きたかったらしいのだが、かろうじて、「ン」」の文字が読めるぐらいだ。そもそも、「バ」に濁点が打たれてないから、百歩譲っても「ハ」にしか読めない。
「いやこれはちょっと……、読めないなあ」
「どうして? じゃあ、君が書いてみてよ」
 私が隣に「バンサン」と綴ると、
「えー、そんなに変わらないじゃない。とくに『ン』はあってるじゃない」
 と嬉しそうな顔だ。
「だって『ハ』にテンテンがないし、現実には厳しいと思うなあ……。日本語、どこで習ったの?」
「ロサンジェルス」
「ロサンジェルス? アメリカ?」
「そう。若いときに、サマーキャンプで」
「日本人から習ったの?」
 ヴァンサンはこくりとうなずいた。なーるほど、そういうことだったのか。
「付き合ってたの?」
「うん、ちょっとだけだけど」
「今もどこにいるか知っているの?」
「知らない。もう、連絡もとれない」
 ヴァンサンは、自分が書いた石版文字みたいな記号と、私が書いた「バンサン」というカタカナとをしげしげ見比べた。そして、その名前が書かれた紙を裏返した。そして、わたしにこういった。
「ナナコって、ここに書いて」
 わたしが、紙の裏に、「ななこ NANAKO」と書いてやると、ヴァンサンは、
「もっと大きく書いて」
 と言った。
 わたしは、A4大のノートの紙片を横につかって、なるべく大きく
「ななこ」と書き、
 その三つのひらがなの下に、それぞれ「NA」「NA」「KO」と綴ってやった。
 ヴァンサンは、その文字をじっくり眺めて、
「ナ・ナ・コ、ナ・ナ・コ」と、何度か繰り返して読んだ。しみじみと。

 なんとか御役目が果たせたようだ。列車がリールを出発してから40分以上がたち、もうすぐシャルル・ド・ゴールに到着する、と、アナウンスが流れた。
「トモ、行っちゃうの?」
「(当たり前でしょ、と言いたかったが)そうね。お話できて楽しかったわ」
「僕も連れて行ってよ」
「スーツケースに入っていく? 入らなかったら、あなたの身体、切っちゃうよ」
 ……と、適当に冗談めかして終わらそうとしたのだが、
「あのね、ヴァンサン。人っていうのは、過去に生きてるときは、決して魅力的に見えないものなんだよ。人は現在に生きはじめたとき、カッコよく、輝いて見えるものなの。だから、今に生きようよ。お酒はもうやめようよ。(ほんとうは、「食事に野菜と果物を増やしてね」とまで言いたかったが、踏みとどまった)」
 出た〜! 正論中の正論。こんなこといって、ぜ〜〜ったい、通じるはずがない。
「トモ、行かないでよ。君はキュートだ」
「ナナコのためにも、頑張らなくちゃ。あなた、子どもいるの?」
「いるよ。九歳と一一歳。女の子と男の子」
「離婚してるんでしょう? 一緒に暮らしてるの?」
「ううん、元妻と半分ずつなんだ」
「だったら、毎日会えないんだから、よけい、いいお父さんにならなくちゃ。がんばれ」
「トモ〜、一緒にいてよ〜」
「遠くから応援してるよ。きっと大丈夫だよ」
「君、いくつ? 僕は四十歳だ。僕達、ちょうどよくない?
「そうじゃないと思うな。わたしのほうがあなたよりずっと年上だもの」
「嘘だろ? 年上って、一つか二つだろ?」
「うーんと、日本人、若く見えるし、わたし、さらに若く見えるんだよね〜。わたし、来週、四八歳になるの(秘訣は野菜と果物をたくさん食べることよ、と言いたかったが、言わなかった)」
「ノー。ノオ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
「ほんとだってば、パスポート、見てもいいよ。ほら、一九六六年生まれ」
「歳なんてどうでもいいよ。君はかわいい。魅力的だ。結婚してるわけじゃないだろ」
「あれ? わたし、してるっていわなかったっけ?」
 すごーい、わたし、嘘をつく余裕まである。
「ヴァンサン。強くならなくちゃ。子どものために」。


 そうなのだ。人は強くなれるのだ。そしてやさしくもなれるし、幸せにもなれる。それも、ひとりで。
 ずっと前のわたしなら、こんなに強くなかった。ヴァンサンが甘くて悲しい目で私を見た時、その光が、誰よりわたしの心に刺さっただろう。その目の色が、自分の心についた傷と同じ色だと感じ取り、またたくまに、どちらがどちらの痛みかわからない関係に落ちただろう。通常、世間では、そのことを指して「恋に落ちる」という。
 わたしは、彼に、自分のことを何ひとつ話さなかった。それは、わたしの中に、痛みというものがなかったから、吐き出す必要がなかったのだ。
 フランスに来て、ふだんはメールでしかやりとりができない恋人と会いたかったのに、先方は前もって都合も知らせずに海外出張に行ってしまい、とうとう会えずじまいだった。ヴァンサンの胸でさめざめと泣く要素はあったのに、ぜーんぜん、それとこれとは切り離されていた。私は、残念ではあったけど、痛みは感じていなかった。
 旅をしながら、わたしは感じていた。わたし、どうやら、すごい孤独であるらしいでも、いちばんわたしを弱めているのは、わたしが、その孤独を、みじめで恥ずかしくて屈辱だと感じていることなんだと。
 わたしは、ひとりで旅をしてはいなかった。その、みじめで恥ずかしくて屈辱な孤独と旅をしていた。それは最初、とても居心地の悪い道連れであったのに、次第に形を変え、暖かい真綿のように、わたしを包み始めた。一週間の旅程のうち、三日もたつころには、その真綿は、どんな男女関係より、わたしを強く、やさしく、魅力的にするものだという確信が生まれていた。何を差し出されても、もう、脱ぎたくなかった。
 その真綿を着て旅をしていたら、今までは連絡がせいぜい一週間に一度の先方様からメールが来た。「君が帰国する予定日の翌日フランスに戻る。それまで旅程を延長できないか?」と書いてあった。「ごめんね、その日は、父のガンのことで日本でお医者さまに会わないといけないの」とわたしは返事を書いた。
 わたしは残りの日程を、オーガニック・ショップで買った野菜と果物をたらふく食べて、それはもうヘヴンリーに過ごした。最後のTGVでの座席が酔っぱらいの隣になってしまっても、「こんなの引き寄せちゃって、わたし、まだまだ自分への愛が足りないのかしら……」なーんて我を失うこともなかった。そして、わたしは、ヴァンサンに向かって、そのことだけは嘘をつかずに言い切った。「今? ありがたいことに、幸せよ」と。

 もしもどっちかに金を賭けろと言われたら、わたしは、ナナコは、ヴァンサンのことを忘れている方に賭ける。そのときはもちろんナナコはヴァンサンのことを愛したと思うけど(たぶん、重たいぐらいに。そして、ヴァンサンのほうがふったんじゃないかと思う)。でもきっとナナコは次の男を愛し、またその次の男を愛して、いつかはヴァンサンの名残を消していったのではないかと思う。
 それにしても、男というのは、なんと昔の女のことを覚えている生きものなのだ。昨年の夏、姪が留学しているオーストラリアに遊びに行ったときは、「第二次世界大戦後の進駐軍として日本に行って、女王陛下から勲章をもらった」という、歳を計算したら八五歳ぐらいの老人が、わたし、妹、姪の三人を前にして「そこで、ハツコという女性に会ったんだ……」とうっとりした目で語り、姪に向かって、日本に「Kで始まる軍港はないか」なーんて聞いていた。ずいぶん昔の話になるけど、大学の卒業旅行でアメリカに行ったときも、マイアミの海岸で、「君たちぐらいの歳に恋に落ちたんだよ。スイート・リトル・マミは今頃どうしているだろう……」とつぶやきながらわたしたちの後をつけてくるおじさんに会ったっけ。
 ……ということは、かつて、(わたしが重かったせいで?)わたしをひどい方法でふっていった男たちも、やっぱり、わたしのことを覚えている可能性があるということだ。頭がはげたじいさんになっても、「ベジタリアンで、くるみばっかり食べてる、リスみたいなカワイイ子だったんだ」なんて、どこかで言っているかもしれない。そして、それを聞かされた女に、「けっ、なにこのおっさん」なーんて思われるのだ。
 世界は、結構、公平にできている。

 わたしがTGVの中で落ち着いていられたのは、わたしとヴァンサンが座った席のまわりの人たちが、「あの子、大丈夫かな?」という感じで気にしていてくれている雰囲気がよく感じられたから、というのもある。シャルル・ド・ゴール空港で列車を降りて、エスカレーターに乗ろうとしたら、わたしの前に座っていたわたしと同じぐらいの歳の男性が、わざわざ「大丈夫?」という調子で目配せしてくれた。彼は、機内持ち込みできるサイズの黒いキャリー・ケースを引っ張ってビジネス・スーツを着ており、まさに「出張」という感じだった。わたしは、彼に「ほんとは独身だからね」と言おうかなと思ったが、やめておいた。

 空港には、出発の3時間前につけた。パリからではないので、万が一電車が止まったら、酔っぱらいにからまれるよりヒヤヒヤものだったが、無事に計算どおりに到着できた。さて、これから、チェックイン・カウンターで、ヴェジタリアン・ミールがオーダーできているかどうか確認して、出発ゲートのオーガニック・レストラン「エクスキ」で、ヴィーガン・ピザでも食べることにしよう。お楽しみはまだまだあるのだ。

(了)

(事実に取材して書いていますが、最終的にはフィクションです)

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104メートルの高さを誇る、
リール市庁舎の鐘楼。1932年完成。
世界遺産。

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その時計台を眺めながら、
ゲルソン朝ごはん。

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posted by 石塚とも at 01:50| 小作品 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする