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2019年05月10日

映画『作兵衛さんと日本を掘る』でも掘らなくても今ここに見えてること

 5月25 日(土)よりポレポレ東中野他で公開される、『作兵衛さんと日本を掘る』。

 思うところ大きい映画というのは「ちゃんと書かなきゃ」と言葉を探っているうちに公開日のタイミングをはぐってしまうことばかりだったので(『主戦場』もいまだに書けていない)まずは今書けるところを書いておきます。その「思うところの大きさ」のことを世間では「衝撃」と言ったりする。

 映画のタイトル、『作兵衛さんと日本を掘る』だけ聞くとこれが芸術の映画だとはわかりづらいのですが、これは、20世紀を生きたひとりの画家とその作品群をめぐるお話(ドキュメンタリー)です。その背景にある日本を掘るというか、背後の日本の縮図が浮かび上がってくるというか。山本作兵衛という、日本の美術史でほとんど名前を聞くことのない、アマチュアの画家の作品をためたスケッチブックが、2011年5月、日本初のユネスコ世界記憶遺産に登録された。

 その絵は、作兵衛自身の生活の場所だった筑豊炭田での暮らしを描いたもの。
 どこの博物館かテレビだったか見た記憶はあるがどこだか覚えていないのだが、昔の炭鉱というのは、安全なんか何も考慮されてなくて、ここ入って事故が起きたら生きて帰ってこられないんだな、ということが、入り口からわかるような場所だった。その奥で、多くは夫婦で(炭鉱ほりは二人一組で作業する)働いた。暑いから、男も女も裸だった。d

 その生活ぶりを、作兵衛は、独学で、誰に頼まれたわけでもなく、ある日描きだす。その作品の数は千枚を超えるという。
 その絵を見て、この作品で取材を受けている日本画家、菊畑茂久馬氏は、一時自分の絵が描けなくなってしまったほどの衝撃を受けたという。
 

 ゲルソン療法WSに参加した時に、「牛」の話になった。牛というのは、現在では「食べるもの」だが、昔は、牛を持っているということは、トラクターを持っているということだった(日本では。土地が広い南米やアフリカでは今でも土地と車と金貨全部合わせたような感じかと思う)。今、トヨタ、日産、ルノーなどが世界的自動車メーカーだが、「自動車」が出てくる前は、「牛・馬」がその役目を果たしていた。牛馬は人々の生活の豊かさを左右するものだった。
 で、産業革命が起こって、牛・馬という生物(一頭が持っているエネルギーは限られている)ではなく、「機械」を作ったらエネルギーの投下次第でいくらでも成果を出せる、そういうに動力が変わっていった。そのときにエネルギーとして注目されたのが「石炭」だったわけだ。このエネルギーを安く大量に手に入れるために、労働力がなりふりかまわず動員された。そして、1970年ごろ、そのエネルギーは突然、安く輸入された石油にとって代わる。さらにそれが、原子力発電に代わる。

 健康の話をするときに、科学的な、つまり理系な話が先行しがちで、その次にスピリチュアリティとか芸術とか宗教とか霊的な話も私の回りではまあまあ出ることがあって、それらに比べて著しく出てこないのが、歴史、経済、政治という、社会科学的なアプローチだなあと今のところ私は思っている。
 この映画では、歴史、経済、政治という社会科学的見地も掘り起こされるけど、山本作兵衛が描いたのはそれらすべてを含んだ芸術だった。芸術だから、見た時に、理屈を離れて、絵を見たら心が動く。自分の奥の涙腺とつながる。
 そこがすごくて、見てほしいなと思う理由なのです。








 
posted by 石塚とも at 16:58| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月03日

今年のカンヌで話題となった邦画2作

 東京にいます。東京にいるので、日本で公開中の本年カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞作、是枝裕和監督の『万引き家族』を劇場で、9月1日に公開が決定している、商業作品1作目でコンペティション部門に正式出品された濱口竜介監督の『寝ても覚めても』を試写室で見ました。

 まず、先に『寝ても覚めても』から。



 濱口竜介監督は「気鋭」という言葉がふさわしい39歳。初商業作品がカンヌコンペティション部門に正式出品。本作はフランスMK2が出資していることもあってか、今年のカンヌで、上映時点ではかなりフランス人の心にヒットしてた気がする。映画の最初の「一目惚れ」シーンとか、恋愛映画らしい恋愛映画の要素をいくつも持っていたしね。
 ヒロインの心がどこに落ちるのか? 最後まで謎だし、その中にはだいぶ不条理な部分もあるので(原作のアマゾンの評を見ると「ふわふわでエゴイスト」と書かれてる)なんだか不条理すぎて恋愛そのものが「そんなんでいいのか?」と思えてしまいさえするのだが、なにしろタイトルは「寝ても覚めても」。どれが現実だかわからなくても、それでもいいんじゃない? っていうファンタジーに、私は見えました。

 そして、『万引き家族』。



「本当に貧困だったら、カップラーメンばかり食べるのは高くつきすぎる(つまり本当の貧困を描けてない)」とか、「日本の誇れない部分を描いたから政府に無視された」とか「犯罪を助長する」とかtwitter で意見を見ましたけど。
 まず、「犯罪を助長する」なら、8月10公開の『Ocean's 8』の方が上です! 本当に盗みたくなります(笑)(しかも、すぐ実践できそうな実用的なネタが入ってます(マジ顔))



 で、『万引き家族』に話しを戻すと、これは「貧困の話」じゃないし、「日本の姿」の話じゃないし、「窃盗」の話しでもない。ひたすら「ダメ」で「不器用な人」たちの話。彼らは、修正する気がないのか、やる気はあっても能力が完全に欠如しちゃってるのかわからないけど、とにかく「まともな生活」ができない人たちなのね。短絡的。依存的。だからこそ、ラーメンばっかり食べちゃったりするのです。そしてまた行き詰まる。
 でも、そういうダメな人たちが、ちゃんと暮らしている人たちができないことを、ちゃんとできているのかもしれない、っていう、そういうアイロニーのお話だと思います。「教えられることがこれ(万引き)しかない」と言うとーちゃんが、息子(らしき少年)と海で遊びながら、「最近、朝、あそこが固くなるのか。恥ずかしいことでも病気でもない。健康なことなんだ」と、さらっと、息子が不安に思っていたことから解放するセリフが言えたりする。こういうのって、ふつうの家族でちゃんとできてるのかね、っていうことを、問いかけたシーンだと思う。

 もちろん、それは「ごっこ」です。人間って、「ごっこ」の世界では理想が演じられたりする。本当の家族の中に入ったときは、そんなに簡単にできないのは当然なんだと思う。この家族は、本当の家族の中でやらなくちゃいけないチャレンジから完全に逃げちゃってる。

 きっとこういう人たちは世界中にいそうで、たまたま舞台が日本だけど、別にこれは日本だけの話じゃない。そういう普遍性が賞に結びついたのかなと思いました。

 以上です。

 また更新します。

 

 
 
posted by 石塚とも at 00:56| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月05日

過負荷・カフカ

パリに来て最初のブログのタイトルは、「わたしはいつも自分に最大限に負荷をかけてるなあ」にしようと思っていたのですが……、そんなものではなかった。
過剰負荷。もう脚が動かない〜、ってとこまでとこまで行ってしまった@@

気候も厳しかったのです。
到着して、最初の週は、パリで62年ぶりという、4月の最高気温29度。
そして翌週は、最高気温が8度の冷たい雨! で、一気に20度ダウン。この日(4月30日)、ノルマンディーで雪が降ったらしい。
そして今いるとお部屋は、北向きなので、最初の週は涼しくていいわ〜と喜んでいたのですが(エアコンないからね)、寒くなると、北向きの部屋は、大きな窓から風が吹き込んでくる〜

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最初の週。タンクトップに生脚なのに。

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最高気温8度の日。ウールの服を持ってなくてきつかった。ユニクロのウルトラライトダウンの一番薄いやつの上に、旅行用品店で買ったダウンのマルチユースストールを重ねてなんとか防寒。
そんな日も、しぼりたてオレンジジュースを握りしめてます^^

そんなわけで、
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季節外れの暖房機をなんとか在庫探して買ったり、
(在庫がまだ残っててよかったよ!)

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家の側に大きなホームセンターで

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上は、キッチンの観音開きの扉にかけて使うタオルかけ(3、9ユーロ)、
下は、伸び縮みのできる鍋敷き(7ユーロ)。
こういう家庭用品の選択が豊富で、機能的で、値段も手頃。

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パソコンのUSBにさして使える証明(5ユーロ)。
光が分散してやわらかいのでいいなと思った。

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なぜ液体石鹸入れを買ったかは、後ほどレポート(予定)

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そういえば、先週末はイケアも行ったのよね〜
(やっぱり負荷かけてるな)

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それで、もう限界だと気がついて、
今日、これも買いました。以前紹介したほぐれッチ
最近さぼり気味でしたが、今こそ自分の夢(「毎日思う存分ほぐれっちしたい」)を
実行すべきときだと思いました。

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そして、チェリートマトがめちゃめちゃおいしい。
(試しに買ったらあまりのうまさに1日で食べ尽くしちゃって、
くたくたなのにさっきもう一度買いに行った)

先週、映画の宣伝関係の皆様に
「パリで活動できることはします。情報お待ちしてます」とメールを送ったら、
一つの宣伝会社の方から

「今週の土曜日(5/5 (土))ヨーロッパ・インディペンデント・映画祭に、
在日30年のイギリス人のジョン・ウィリアムズ監督が撮ったフランツ・カフカ原作の『審判』が出品されます。
主演俳優さんもパリ入りしますよ」
とご連絡をいただいたのですが、すみません、過負荷すぎて、明日、カフカ見に行けません……。
(家で映像は半分ぐらい見ました。明日残りを見ます)。



自分は「体制側の人間なのか?」「で、なければ何なのか?」
カフカの作品は、それをいつも問うてくるよね。
で、自分が体制側の人間なのか、という問いは、
自分に過負荷をかけるのは、誰のためなのか。
自分のよりよい人生のためにかけてる負荷なのか。
誰かを搾取し、もしくは搾取されるゆえの負荷なのか、
それを問うてもくる。

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(追記)
映画祭は結局見に行けました。
フォトセッションのときに、「背後の人も写りますからポーズしてください」と
言われて手を振ったら、
主演俳優のにわつとむさんのブログに採用されてました。どこにいるでしょう?^^
posted by 石塚とも at 03:48| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月15日

子どもは静かにいなくなっていくけど、街も静かに傷つけられていく

 前回の子どもの映画に続いて、また「静かに」ってことばが出てくるのは偶然なんだけど、それは暴力を表すときにとても適切なことばだkらそうなるのかもしれない。抵抗もできず、ダメージを訴えることもできなければ(訴えても聞き入れてもらえないと絶望したとき、人は訴えることをやめてしまう)、私達は黙って消えていくしかない。

 昨日(4/14)から公開されている、『ラッカは静かに虐殺されている』


ラッカという街が建設されたのは紀元前2世紀のセレウコス朝。そのあとキリスト教圏になり、イスラム教圏になり、モンゴル帝国に攻め込まれて廃墟になり、18世紀に再建され、欧米列強の支配を受け……と、中東の街として典型的な?(?)歴史をたどってきた。 そして現代圧倒的にその名が世界に知らされるのは、2014年、イスラミック・ステート(イスラム国、IS)がこの街を首都として建国を宣言したからだ。

2018年4月現在、ISは有名になったあと、すでに鎮圧されている。しかし、2014年当時、そこで起きていることは、市民以外誰も知ることがなかった。学生を中心に始まった市民ジャーナリスト集団”RBSS”(Raqqa is Being Slaughtered Silently = ラッカは静かに虐殺されている)が、スマホで撮った映像を発信し始めることがなければ。

職業ジャーナリスト(っていうか会社員ジャーナリスト)の給料というのは高い事が多いのだが、これは、ジャーナリストは危険なところに行くのでその手当がつくからだ。でも、職業ジャーナリストというのは、結局、事件の外部の人間で、給料が高かろうがなんだろうが、どうしても危険になったらその内部に入り込むことができない。もしもうまく入り込むことができたとしても、そのジャーナリストが内部で殺されてしまえば、やっぱりニュースを発信することができない。

「ラッカは静かに殺されている」のメンバーたちは、「職業」でニュース配信をしているのではない。そこに報酬が発生するはずもない。しかし、彼らは、そのニュースを発信する必要が誰よりもあったし、そう望んでいた。本人たちはそんな気持ちを意識するというよりただ身体が動いただけかもしれないけど。
それは、当事者であるから、というのももちろんそうなのだけど、「世界がまだ希望があるところだから」と思っていたから、思いたかったから、というのが大きな動機づけじゃないかと私は思うのだ。つまり、「我々の訴えを世界はまだ聞く耳があり、それが誰かを力づける可能性を持っている」という希望だ。

ISがデジタル技術を駆使して世界を席巻したように、RBSSもまたデジタルを味方にする。「デジタル」っていうか、スマホ一つで世界に自分たちが置かれている世界を発信する。きっとこれは後世から見ても大きな歴史の変化なのだと思う。

そして、RBSSの活動をISが見逃すはずはなく、彼らにも暗殺の手が伸びる……。

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posted by 石塚とも at 15:21| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月10日

愛がないところでは、子どもは悲しすぎて静かに消えてしまう 『ラブレス』

4月7日から公開されている、映画『ラブレス』のお話。

実は、この映画の公開される時期に映画評のページをもらってたのに、この作品を候補からこぼしてしてしまったことに公開日になってから気がついて、わーしまった、と思った。

なんで落としちゃったんだろう?? と思い出したら、案内ハガキをもらうなり第一優先でカレンダーに書き込んで、試写の初日に見て、あんまり衝撃すぎて、受け止められなくて、記憶から抜けてしまったのではないか気がする。虐待を受けた子供の多くが、自分のセルフを守るため、虐待という出来事を記憶から消してしまうのと似た感じで、私もこの記憶を処理してしまった感がある。

ロシア人の監督によって、ロシアらしき街を舞台に、いかにもロシア人っぽい風貌の人たちが、ロシア語で演じるこの作品は、急激に自由主義経済化がすすむロシアの現在を切り取り、疑問を投げかけているように見える。が、実際はこの作品は「ロシアの街」とはっきり限定していない。世界中のどこで起きても不思議がない話を、「ロシアらしい」世界の中で描くことで(森、白樺、憂いを秘めた瞳の金髪の少年)、むしろファンタジーの要素を与えている気がする。

お互いが経済的にも成功している若いカップルには一人息子のアレクセイがいるが、夫婦関係は破綻し、お互いが早く新しいパートナーとの生活を始めたくて仕方がない。毎晩、子どもを「君が引き取るべき」「あなたが引き取るべき」とケンカが耐えない。それを寝室で肩を震わせて泣きながら聞いていた子どもが、ある日突然、消えてしまって……、という話。

消えてしまうので、子どもが出てくるのは映画の中の最初の部分だけ。全体の2割ぐらいかな? あとは子どもを探すシーンに多くが割かれるのだが、そこでいけどもいけどもあらわにされる大人のエゴと、最初の2割でインプットされる子どもの悲しみ(それは再生されないので、記憶の中)と、の対比がどんどん際立ってきて、ラストではなんともいえない感情を突きつけられるという構成。



42秒の子供の泣き顔見てください。
この顔、人生のどこかで見たことあるよね。自分もこんな顔したかもしれないよね。
(世紀の名演技なのに、公式サイトに子役の名前がない!)

なんか、これ書いたらまた忘れたくなるほど悲しい。
でも、いったん忘れたつもりでも、心の中から完全に消える風景ではない気がする。決して消えることのない風景だから忘れたくなるのかもしれないけど。子どもたちのように。

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posted by 石塚とも at 19:43| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月07日

『私は絶対許さない』って思い続けるだけでも、負荷が大きいこと、それでも生きる力になれること

本日(2018/4/7)から公開の映画、『私は絶対許さない』。



15歳の元日に近所の若者たちから拉致、集団暴行を受け、心身ともに死ぬ寸前まで打ちのめされた傷と、それをまったくケアしてもらえないばかりかここでも心身ともに痛めつけてくる家族からの傷。2つのダメージと戦いながら生きてゆく実在の女性の手記を映像化した作品。

厳しい現実が妥協なく描かれれている以上、映像もときにはショッキングになるのですが、それが興味本位にならず、被害者が受けている傷みの深さが観客に伝わるように構成された映像が素晴らしいのです。ハリウッドはじめ、外国映画でもそういうふうに思えた作品を見たことありません。ぜひ海外にもどんどん輸出されてほしいです。
監督は精神科でもある和田秀樹氏で、私、彼の著書を学習法の本を1冊読んだぐらいで、映画も見ていなくて今まで縁が遠い方だったのですが、大変感服いたしました。拍手パチパチです。

それと、俳優さんたちがみなさん非常にいい仕事しており、この主人公・雪村葉子が生きる世界を作り出すことに「貢献している」と感じました。とくに娘をいじめぬく母親役の美保純と、クラスで残酷な言葉を放ついじめ役の立山咲里がよかった(悪役はこの映画の成功のカギです。憎々しいほど熱演されたお二方をはじめ皆様、お疲れ様でした)。

何をどう選択してもそこに影響を及ぼしてしまう人生の傷。それは彼女にさらなるダメージを与え続け、しかし同時に生きる力になっていく。このふたつの絡み合いをときほぐしていく作業を、「癒やし」と呼ぶのだと思います。

posted by 石塚とも at 21:33| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月30日

黒いシンデレラ

『ブラックパンサー』のことを書きたい書かなきゃと思っていて、間に合わないかと思ったら、ロードショー館でもレイトショーならまだやってみるみたいなので、今日急いで記事にします。まだの人は見るべし!

アメコミに強くない私は、アベンジャーもジャスティス・リーグも見逃しており、かろうじて飛行機の中で『ワンダー・ウーマン』を見られたぐらいで最近のアメコミこれでもか攻撃にはついていけてなかったのでした。本作も試写で見てなかった。
それが、公開されたとたん、有名、無名を問わず、ツイッターやFBの私のタイムラインで話題にする人の多いこと多いこと。その多くはアフリカ系の人だったが、そうでない人もいた。そしてその誰もが、「これが私達の待ち望んでいた映画だ」ということを口にしていた。

そして、『ブラックパンサー』は、公開10日で全米興行収入が4億ドルを突破、公開4週目で『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』や私の大好きで名作のほまれ高い『ダークナイト』を抜き、本日現在で世界歴代興行収入12位の12億ドル超えをしている(1位は『アバター』)

さらに、CNNによると、「ツイッターでもっとも話題にされた映画」となった。私のTLがあっちもこっちもその話題になったのは偶然じゃなかったのだ。



この映画のヒットの要因は、『ドリーム』のヒットと同じです。今までこういうのを待っていた! マイノリティの人たちが、家族総出で見に行った。思わず言わずにはいられない口コミ効果も高かった。

オーストラリアで見られたらその熱狂感が感じられるかなと思ったんだけど時間がとれなくて、3月15日に六本木ヒルズに見に行きました。
(平日の昼間だったのでガラガラで、その熱狂は残念ながら全然感じられなかった)。

いやはや常識を覆す映画だって、私も本当に感服しちゃったんだけど、いや、常識をくつがえすんだけど当たり前、当たり前だけど常識やぶり。
つまり、「ヒーロー物においてはなんだかんだいっても主役は白人よね〜、多様性重視だからチームの中に肌の色が違う人も女性も入ってるけど」みたいなのが今までの常識。この映画はそうじゃない。全員アフリカ系。話が進んでも進んでもアフリカ系。そして、めちゃめちゃクール。ヴィヴァ・アフリカン・カルチャー。人物だけじゃなく舞台設定も衣装も。スタッフのこだわりがガチンコ感満載。

さらに、この作品のすごいところは、アフリカ系のフィーチャーというだけでなく、これも常識やぶりというか今までの常識が変だったというか、一騎当千のつわもの戦士軍団が女性だったり。そしてこれがかっこいいんだ、この映像が、「今まで見たことない、でもずっと見たかった」」の具現化なのです。

If you want to go quickly, go alone. If you want to go far, go together. - African Proverb #Oscars 2018.

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↑2018年のアカデミー賞授賞式で揃い踏みするブラックパンサーの主役お三方。真ん中が主人公ブラックパンサー/テイ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマン、左が元恋人で今は各国でスパイを努めているナキア役のルピタ・ニョンゴ、そして右側が、左のロマンスの相手よりもずっと映画にしょっちゅう出てきてさらにときには主役より存在感ある女戦士・オコエ役のダナエ・グリラ。この人がかっこいいの!

この3ショットは2018年の授賞式で撮られたものですが、『ブラックパンサー』は、なんと今から2019年の賞レースにからむだろうと予想されているのだ。しかも、そうプッシュしたのがクリストファー・ノーランなのである。こんなに早くから話題になる作品なんて、2001年から映画評論活動やってますが、聞いたことないです。そして、どうしてそれほど話題になるかもわかります。

そして、ルピタ・ニョンゴはほんとうにかわいい。

Chilling. #Oscars. Not really #tbt just yet. @lovegoldlive

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Glam for life! #FanArtFriday @guillermo_meraz. Thank you!

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2014年、『それでも夜は明ける』の女性奴隷役で彗星のように現れ、(1000人のオーディションを勝ち抜いて映画初出演)、演技を絶賛されアカデミー助演女優賞を受賞したときのルピタ。プラダがスペシャル製作したドレス。
そしてこれ、髪飾りとのコーディネートを見ると、ディズニー映画の『シンデレラ』へのオマージュだとわかるコーディネイトです。
ブラック・シンデレラ。

(今回のコーディネートをしかけたスタイリストミカエラ・アーランジャーとの2ショットをはじめ、さらにかわいいブラック・シンデレラ・コーディネートがこちらで見られます。写真は転載できないので)



日本語版の予告をのせようとして見たら、全然面白そうに見えなかった(涙)
たぶん、上で書いたような魅力はほとんどフィーチャーされてない、たんなるアメコミ映像になってたからだと思う。(Hidden Figure を『ドリーム 私達のアポロ計画』と訳してしまうようなロスト・イン・トランスレーションがここでも起こっている)
なので、英語のオリジナル版を御覧ください。
posted by 石塚とも at 22:17| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月25日

「まるで何事もなかったように」処理しちゃうチカラ

google keep を、めちゃめちゃ愛用しています。
使うようになってからどれぐらいたったんだろう? …まだ2週間もたってない。しかし、これが私の前に現れる前と、後とでは大違い(大げさなんだけど、そういう表現がぴったりになってしまう)。

このブログが今日書けているのもgoogle keep に助けてもらって仕事を片付けているから。

メモとかノートのアプリはいろいろあると思うんだけど、google keep というのは、メモをなんでも付箋みたいにぺたぺたはっておけるボードのようなイメージのものなんです。
ページを繰って探し出さなければいけないノートタイプのアプリと違って、すべてのメモを、全部並べて俯瞰できる。
あっちもこっちもやることが広がって、プロジェクトが全部同時進行になってしまいやすい(これ多分脳の傾向なんだと思う)私には、とても見やすい、使いやすいのです。

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自分のメモを(都合のいいメモだけね^^)スクショしてみた。
自分のgoogle keep を iphone で見るとこうなります。
買い物、買い物候補の比較、連絡しなければいけない相手、「仕事」とか「家事」」とか「趣味」とかわけず、とにかく自分が気になることをダンプ(洗いざらいぶちまけて)おける。

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それを、別のデバイスから見ることもできるのです。
PCで仕事しているときはPCから更新ができる。
もちろん、同期されていきます。

これを使うようになってから、とっても気持ちが静か。
どうしてかというと、google keep と「対話」しながら1日を進めていけるから。
「大変!」と思うヒマがあったらまずkeep 。keep することができただけで、それは解決の第一歩。
問題の可視化の第一歩だからね。

ふつうのto do list と違って、作業が終わったら、リストは捨ててしまうのではなくて、
その結果や、さらにその結果から生まれた次の課題をメモしておけます。
だから、「私は今、どの立ち位置にいるの?」「次は何をしたらいいの?」
「何を取りこぼしている?」
ということを、いくつものプロジェクトを並行して、しかもひと目で俯瞰することができる。
ちょっと変なたとえだけど、鵜飼いが、「鵜」を何羽もコントロールできている感じです(なにそれ?)

鵜飼いのイメージ

google keep と対話し、伴走してもらう生活のおかげで、最近、発言が少なくなっているところにもってきてますます静かになってしまいました。

で、そんなことを思っているときに、3月1日に公開される、クリント・イーストウッド監督の『15時17分、パリ行き』を一足先に見ました。

↓予告


ご存じの方もいると思いますが、2015年8月21日、高速新幹線タリス(アムステルダムからパリを経てマルセイユまで走る国際超特急列車のこと)の車内で起きた無差別銃撃未遂事件をもとにしています。犯人を取り押さえた三人のアメリカ人男性は、彼らがそのまま演じています。

これ、90分の映画なんですが、肝心の取り押さえは3分ぐらいの出来事なんです。3人のアメリカ人の若者のうち、二人は軍人で、専門の訓練を受けていました。銃を構えて発射寸前の犯人にアメリカンフットボールのようにとびかかり、首をナイフで刺されながらも離さない。そのうちふたりともう一人のイギリス人が取り押さえて銃を手放させ、訓練で習った柔術で首をしめて失神までさせた。その後、ワニを縛る如く後ろ手にしばり、緊急停車したアラス駅(フランス北部)で、駆けつけた警官隊にテロリストを引き渡した。さらに、撃たれて重症を負った乗客の応急処置までしていた。

 このテロリストは自動小銃(カラシニコフAK-47)と弾丸約300発、ルガー(自動拳銃)、他複数の拳銃とナイフを持っていた。乗客554人を殺傷する能力があったのです。いろいろテロ事件が起きているけど、最悪の大惨事になりかねない事件だった。でも、彼らの活躍で未遂に終わったため、この事件はしばらくすると人々んの関心からはずれていった……のは、彼を取り押さえた青年たちのやり方が、水際立っていたからです。それこそ、何事もなかったかのように。

 3分だけではもちろん映画にならないので、作品は、小学校の時から学校になじめず(そのうちふたりは教師から注意欠陥障害を指摘され)それでも、転校したキリスト系小学校で教えられた「神に私を平和の道具とされること」への希求が、この行動の背後にあったことを描いています。主人公たちはその一心で軍隊に入隊するんだけど、「平和の道具」として一番憧れた「救援パラシュート部隊」は、視力検査で落とされてしまう。しかし、その情熱は消えることなく、彼の中でいつも燃えていた、という設定で物語は進んでいきます。

 映画の中では「平和の道具」となりたかった彼が受けた訓練の様子も時間をとって描かれている。厳しいと同時に、その範囲はあまりにも広い。身体を鍛えるのはもちろん、救助兵でもあるので医学的な知識も必要、救急救命室と同じようにとっさの判断力も必要。

 そういうものを備えていたから、事件は3分で鎮火に成功しちゃった。
 ちょとっとだけ事件になったけど、その後、あっというまに静かになった。まるで「何事もなかったかのように」。

 何事もなかったように見えすぎて本当に忘れられていきそうな出来事を、「心を動かす出来事」として残そうと、イーストウッド(87歳だって!)映画の企画にしたわけですが。

「何事もなかったようにする」って、その水面下に、すごい強固な土台がある。その土台は鍛錬によって積み上げられたものである。
そういうものを私も鍛えてきたいな、大騒ぎしないで処理できるようにもっとなっていきたいなと、google keep をにらめてタスクリストを書き込んだり消し込んだりしながら、私は思うのでした。

(追記・今回書いた「何事もなかったようにする」というのは、痛みや傷つけられたことを「なかったことにする」というのとは別の話なので、そういうものがあると感じている人は、我慢しないで痛みを表明してくださいね)





posted by 石塚とも at 00:40| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月23日

「完成させる力」

数日前、小室哲哉さんてあらためてどういう人なんだろうと思って(わずか数日前のことなのに、雪が降ったらすっかり前のことになってしまって、ニュースの流れは早いですね)ウィキペディアを見たら、恐るべき逸話がたくさん書いてあった。
・3歳からヴァイオリンを習い始め、5歳のときにはすでにクラシックの器楽曲を作っていた。
・5歳のときに母親がエレクトーンを購入すると、母より先にコードを覚えてしまった。
・同じ頃、叔父からギターを習うと、覚えが早くて叔父を驚かせた。
・中学の頃に家の楽器を売り払って購入したシンセサイザーで、後にプロになってから各歌手たちに提供した曲のひな形を作っていた。
・高校に入学すると、クラスメイトから音楽の時間の宿題の作曲の依頼が殺到し、半分以上の生徒の作曲を肩代わりした。
etc, etc....

 なんだか、クラシックな作品を多作し続けたピカソの少年時代を思い出した……。

 そんなことを考えていたら、今日、3月に公開される実在した画家とその夫を描いた『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』を、一足先に見ました。


わー、予告編見たらまた泣けます……

 サリー・ホーキンス演じるモード・ルイスも、身体が弱くて家事をするのもやっとだけど、次から次へと描く。完成させる。あ、今思い出したけど、草間弥生さんとかもそうだよね。

 完成させる力。

 それがあるのとないのとでは、大違いだよなあ、と思う。
「完成させる力」を持っている人は、なぜ完成させることができるかというと、「そこに描くべき世界」がしっかい見えている、ということだからだ。
 それを「構図」とも言う。
「世界」が見えている人、つまり「構図」が見えている人は、何枚でも、何作でも、完成させられる。

 完成させる力がとっても弱い私の世界は、ぶれぶれだからだよなあ、と思う。
 最初から弱いのか、誰かに壊されてしまったのか、強くする努力を怠けてきたせいなのか。

 今年は、「完成させる力」にフォーカスしてみたいな、と思う。
 「完成させる力」は「世界を見せる力」だとしたら、私が見えている世界を他の人も見られるようにする、という作業は、人を、とっても孤独から救い出すはずだ。

 最近やっとブログを書き始めたのは、最近会う人ごとに「もう書かないんですか?」と言われたから。そして、その後に「ともさんの書くものを読んで(あるいは話を聞いて)、力をもらってたのに」と言われてたから。

 力が与えられる、というのは、ちゃんと世界を見せてあげられているからで、そういう点から見たら、私にも少しは「完成させる力」があるのかもしれない。

今日は写真はないです^^
posted by 石塚とも at 23:47| 映画がらみ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする