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寺子屋・受講生様の声
英語教室・受講生様の声

2013年12月24日

こんなにも素敵なクリスマスは初めて。人間がもつ力、こころが持つ力って、すごい。

だって、今日1日デスクにはりついて仕事してるだけなんですけどね。
こんないい日って、ないような気がするの。

どうやら本格的に何かが起こりそうな予感なんで、フェイスブックのタイムラインとかじゃなくて、ブログの方に記録しておきます。

メリー・クリスマス。

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posted by 石塚とも at 21:25| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月11日

昭和46年生まれ以降ぐらいから摂食障害が激増するわけ

 先日、mimiさんと香織さんのお二方とお食事会をしたときに話したらすごくウケたので、ブログでもシェアしちゃいます。元ネタは高橋三恵子先生だけど。

 昭和22年(戦後)と15年(戦中)ぐらいの生まれの人に、食べものへのイメージについて結構世代差があるように、昭和40〜41年の私達と、46〜7年ぐらい生まれの人たちには差がある。私たちの世代にもいろいろ問題はあったけど、「摂食障害」ってあきらかになかった。私たちはまだどこかで「食べものって、過食できるほど豊かに存在してない」と思ってて、「大事に食べて、食べ終わったら次にいつ手に入るかわからないもの」というイメージがあったと思う。だって、街の中にコンビニもファーストフードもまだなかったんですよ。

 マクドナルド1号店は昭和46年、セブン-イレブンジャパン設立は昭和48年。この頃から、日本中に「食べものがあふれて」くる。同時に、このころ普及を完了したのが「白物家電」である。炊飯器のタイマー機能(前夜セットしておくと、朝炊きあがってる)というのは、1960年代を通して開発されたのだそうだ。1970年に開発終了したとすると、昭和45年ということね。
 …そして、それはどういうことなのか? お母さんが劇的に暇になるということなのです。実は日本で炊飯器より車より先に普及したのはテレビなんですけどね(皇太子婚約と東京五輪)。「スイッチを押すこと」で家事の多くが完了し、余暇時間はテレビを見る、という生活が昭和46年頃に始まるのだ。摂食障害世代ベビーたちが出てくる前に、そういう舞台装置が出来上がったわけだ。(ちなみに欧米では1940年代に普及完了していしたそうだ)。

 …でね、お母さんが暇になるとどうなるかというと、娘に目が行くの。「家事運営時間」から「育児教育時間」に、主婦の仕事内容が大きくシフトする。

 ついでに、お父さんのお給料が銀行振込になり、「お給料を持ってくるえらい人」でなくなる。

 摂食障害の娘を持つお母さんは「支配」とか「やさしい虐待」とかいわれてろくな言われ方されないことが多いのだけれど(実際、根深いものがあるとは思いますが)、実際そんなひどいことをした、とは思えないケースはたくさんある。
 でもね、単に「育児時間=娘を見ているが増える」っていうだけで、娘にとって「生きづらさ」は生じるのだ。お母さんは体力が余っている。職場復帰の道は閉ざされてるし、女ざかりなのにお父さん帰ってこないし、給料は銀行振込だし、ご飯はスイッチ入れておけば炊けるし、お母さんにとって、娘しか「気になるもの」がなくなってしまう。息子は、当時は「男の子」はお母さんに支配できるものではなかったので(男は女より社会的ヒエラルキーが上)管理外。唯一、コントールできる対象が「娘」なのだ。

 お母さんに見られていると、娘の中で育ちにくいのが「セクシャリティ」である。性は基本、人が見ていないところで育つものなのだ。だから、「見ちゃう」だけで発達不全が生じてしまう。

 性と摂食障害がどう関係があるかというと、性のエネルギーを十分に発揮することができないと、女は性によって自己確認できない。そうすると、食によって自己確認するようになる。栄養補給のためでなく、自己確認のために食べものと対面するようになる。このメカニズムは、拒食でも過食でも同じである。

 日本の昔話に、「見るなの屋敷」ってあるでしょう。男がある豪華なお屋敷に連れて行かれ、(たいていは美しい娘から)「一つの部屋だけは見てはいけない」と言われるが、それを見てしまうと、その部屋からウグイスが飛び立って、屋敷は跡形もなくなってしまう……、というもの。
 この屋敷の見てはいけない部屋には二つのパターンあって、「一番目から十二番目の部屋までは見てもいいけど、13番めは見ちゃダメ」というのと、「一月の部屋、二月の部屋、、、と12の部屋があるんだけど、二月の部屋だけは見てはダメ」というパターンがある。それ以外の部屋をのぞくとお花がいっぱい咲いてておいしいお酒や美女がいて、極楽が展開されているのだけれど、禁止されている部屋には、うぐいすの卵だけがある。男が呆然としていると、卵が巣から勝手に落ちて、男がその卵を割ったことになってしまう、というバージョンもある。
 陰暦二月は生殖の月で、生殖の期間、生命が育つためには、「放置」「見ない」が必要であると示唆されている例じゃないかと思う。

 摂食障害になってしまった女性たちというのは、この「見るなの部屋」を開けられて、卵を割られてしまったウグイスちゃんたちなのかもしれないですね。
 もう一度卵を生むとしたら、自分の中に卵を生む力があると発見するしかない。それは食べものが役に立つこともあるけれど、それ以外のもの(言葉とか知識とか寺子屋で教えているようなもの)が役立つことも大きい。
 
IMG_4966.JPG

ベリーやマンゴーは、冷凍もこの季節がおいしい気がする。
ミックスベリー、マンゴー、グリーンで
スムージーを作ってみた。


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posted by 石塚とも at 16:20| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月02日

千葉敦子のインナー・チャイルド

「千葉敦子」って誰? って方は、このブログの過去ログのみならずウェブで検索していただくとたくさん出てきます。私の人生に大きな影響を与えた人ですが、アマゾンの書評でも、死後25年たってなお、「私の人生を変えた人」だというレビューが今頃ついたりする人です。
 彼女が西麻布に住んでいたから、私も西麻布に住もうと思いたちました。
 最近、wikipedia に彼女のページができました。彼女は、死後自分に入ってくる印税を、若いアジアのジャーナリストのために使いたいと思っていたようですが、彼女自身がその奨学金で留学した、ハーバード大学のニーマン奨学金に「チバ・ニーマン基金」が設立されたようです。

 2日ぐらい前から、「千葉敦子のインナーチャイルド」というイメージが浮かぶようになった。

 うーん、なんか相当傷ついてるんだよなあ。。。
 本人の霊視を勝手にしてるようで、失礼な話なんだけど。
 ごめんなさい。
(でも、これ書きながら泣きそうな気分なのよ)

IMG_4951.JPG

4月の寺子屋ケーキ。
Bunny's の国井さん作。

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posted by 石塚とも at 23:26| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月16日

私の敵は世界のすべて?

 「ヒットする本を書く」「ヒットする商品を作る」「自分自身が他人の記憶に残る」になるためには
「自分の仮想敵を作る」
 という法則(というか鉄則に近い)があって、
 たとえば、「健康のために腸をキレイにする」という方法を勧めるお医者さんが、「(加熱して栄養がない牛乳を売ってる)牛乳業界」を仮想敵として設定したりすると、本は爆発的に売れたりするわけです。(仮想敵に設定するかどうかと、理論があっているかどうかは、まったく関係がありません。整合性がある場合もあるし、まったくない場合もあります。一般的には極論をいうほどヒットします)

 私は、本を書くときに、自分の外側に仮想敵を作るのは嫌だったので、「過去の自分」を仮想敵に設定して、本を書きました。そのせいもあってか、本は、ベストセラーの大台(1万部)を超えることができました(大手からの出版でも、このラインを超えられない本はたくさんあります)。

 自分じゃない人を仮想敵にしないと平和主義としてはいいのですが、ずーっと自分が敵なので、疲れます^^;

 自分の敵を設定するには、「今、自分に不満をもたらしているもの」を考えるといいそうです。
 
 なんだろう?

 全部のような気がしてきた^^;

 「敵」っていうほどじゃないけど(←こういうぬるいこと言ってると売れない?)納得できないことはたくさんあるので、そしてその疑問をあきらめずに、解決できる方法を一つ一つ作ってきたわけです。食事法だったり、恋愛法(っていうのか?)だったり。

 ローラブのe-book を書きだしたので、ご興味あるみなさん、待っててね〜。

IMG_4671.JPG

久々にmimiさんのスイーツを食べに行った。
(昨日のモンブランも食べたかったな〜)

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posted by 石塚とも at 21:41| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月07日

あなたがいちばん幸せになれる食事をとって。

 最近、ちょっと気がついたことがあります。
 私はこのブログでは何度も書いていると思いますが、6年以上生食を続けていますが、材料がオーガニックかどうかということについてはあまりこだわっていませんでした。敷居を上げてしまいたくないということもあったし、自分が忙しすぎて、いつも買いに行くことも毎食食事を作ることも現実的ではありませんでした。外食でも、誰かが作ってくれるだけありがたい、という気持ちでいただいてきました。全然オーガニックじゃないんだけど、毎週2回六本木にトラックで激安野菜を売りに来るおじさん(どんぶり勘定で、何をどれだけ買ってもお勘定が「1000円でいいや!」になってしまう)も大好きでした。

 昨年の11月にゲルソン両方のWSに出てから、ほとんどの野菜をオーガニックの食材店で買うようになりました。20分に一度のちいばすに乗ったり広尾まで歩いて、帰りは振り分け荷物のようにたくさんの野菜をかついでえっちらおっちら帰ってくるのは手間がかかることでしたが、最近は慣れました。

 で、そんな生活を4ヶ月ほど続けてふと気がついたわけですが、たぶん、私の身体の栄養状態は、さらに良くなっていると思う。何が違うかというと、身体のなかで「燃えているものがある」感じがするのです。「燃える」というと「糖質」とか「脂肪」というイメージがあるかと思いますが、微量栄養素がなければ、燃焼効率は上がりません。それが上がっている感じ。

 今年の冬は、風邪をひかずにあっというまにすぎてしまった。ちょっと頭が痛いと思っても布団を重ねて寝たら一晩で治ってしまったり、免疫がアップしている感じもあった。

 日々の積み重ねって、どうやらすごいらしい、と、気がついてきた。

 今回の投稿では、「あなたがいちばん幸せになれる食事をとってください」ということを書くつもりだった。その中身が、何でもいいのだ。肉でも乳製品でもジャンクフードでもいいと思う。自分が愛せるものを食べれば食べるほど、他人の食事のことは自分のコントロールの範囲ではなくなる。

 それと、もう一つ思っていることがある。人は、自分が幸せになれるものを食べる。だから、その「幸せ」の中身が変わらないと、食の嗜好というものは絶対に変わらない。食だけ変えようとしてもムズカシイのである。私なんかなんでも変えるの平気になっちゃってるけど、多くの人にとって「変える」ということは、とてもエネルギーを使うことであり、リターンがあるか読めない不安な投資なのである。

 なので、私は「幸せの中身を変えて下さい」という気はあまりしない(交渉して変わるものではない。インフルエンスによっては変わるけど)。ただ、あなたが「ふつうに幸せになれる食事」をとっているのなら、「いちばん幸せになれる食事」「最高に幸せになれる食事」をとってほしいなと思うのだ。
 なにしろ、食事というのは積み重ねなのである。一回で終わることではないのである。「そこそこ幸せになれる食事」をとり続けていった場合と、「最高に幸せになれる食事」をとり続けていった場合、一年、三年、五年と結果が変わってくる。
 
 全体は、今、目の前にあるものの積み重ねである。だから、今、目の前にある「日曜の糧」にもっと気を配りたいと思うのだ。

IMG_4615.JPG

とかいって、この日は普通のスーパーの
サラダとそばサラダのお世話になったので、
せめてお皿にちゃんと盛りつけてみた。
サラダにはアボカドをトッピング。


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posted by 石塚とも at 23:57| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月01日

ローフードが広がると世界は多神教回帰する、と私が思っていることについて

 もう今となっては懐かしい、2007年の秋のこと。
 私の運命の舵が大きく切られた、アリゾナ州セドナで、きくちゆみさんと一緒にロー・スピリット・フェスティバルに参加した時、もっとも強い印象を受けたのは、次のようなことだった。

 この年のロー・スピリット・フェスティバルは、フェスティバルの歴史の中でももっとも盛り上がった年で、参加者も多く、スピーカーはほんとうにもう、アメリカのローフード指導者が一堂に会するという感じだった。
 室内のホールでシェリー・ソリアさんとアニー・ピョーさんが同じステージに上がってシンポジウムしてるかと思えば、野外のステージではデヴィッド・ウォルフさんがローカカオの効能についてスピークする、みたいな感じで、なんかもう、「ローフードのディズニーランド状態」というか。

 でも、そのことが印象的だったのではない。ご存知の方もいるかと思うが、その各カリスマさんたちは、主張内容がかなり違っていることも多い。「油は使うな」と言っている人に対し「良質のオリーブオイルやフラックスオイルは積極的にとるべき」、「ローカカオといっても結局嗜好品」vs「健康のためローカカオは毎日摂るべき」、「グリーンスムージー推奨」vs「高速回転のブレンダーで撹拌したら、栄養が壊れるし酸化する」etc etc... 今、日本でローフードをかじった人たちが「これってどうなの?」とぶちあたってた疑問に対する答えが、「こっちが本当」ということがないまま同時に存在し、しかも、発言している人達が仲良く同じ場を分かち合っている。そういう光景をライブで見、その場を自分も共有したことが、とても強い印象だった。

 ちなみに当時の日本の健康食がどういう状況かというと、(覚えてます?)マクロビオティックが全盛。私は、自分が体質的にマクロビがピンと来なかったというのもあるが、同時に「○○先生がおっしゃったことには……」みたいな、一神教的な雰囲気がどうも苦手だった。マクロビの世界を極めるには何年も勉強しなければならず、その学ばなければいけない先生というのが、ごく少数に限定されているようなのだ。「健康=自分の中の神様を作ること」と当時も今も考えている私は、どんなに栄養的に優れていても、それにくっついている哲学を食べたら、たちまちバランスを崩してしまいそうな気がして、手が出なかったという一面があるのだ。

 それに比べて、アリゾナで見たローフードの世界は、とても多神教的なのだった。そして、上記に一応「各カリスマさんたちが仲良くしていた」「相手を否定しない」かというとそんなこともなく、「あの人が主張している食べ方はダメ」「油をたつなんて、とんでもない」みたいなディスりも遠慮なしであったのである(←私の英語力ではそこまでわからなかったのだが、後に洋書で確認して、どうやらそうらしいと気づく)。
 つまり多神教の神様というのは、唯一無二の智慧と慈悲に満ちた存在、ではなく、すばらしい能力を持っているという同時に、欠点丸出しで人間臭いのである。そういう神様たちが、でもそれぞれに自分の信者を持っていて、その信者たちから見れば、圧倒的な信頼が供給されている。でも、信者じゃない人からは、ぜーんぜんぴんとこない(きかない)。

 多神教というのは宗教の原始の姿で、人間の中で歴史が進み、文明化されてくると、宗教は一神教に集約されるというのが歴史の流れで、だから、一神教の方が宗教として進化した姿だと、今までは思われていた。しかし、一神教といういのは、「まかせとけば安心」ではあるけれど、使い方を間違えると、「架空の独裁者」を創りだし、大きな組織の中で人を動かすことと相性の良い宗教のスタイルなのである。神様が完全無欠でなく、他人の妻を寝取ったり戦争しちゃったりどれが正しいかわからなかったりする姿の方が、世界は秩序だっていないようで、実は、他者(神様)に頼らない内的規律を持って、神様のカッコ悪さを楽しめたり、欲しい教義をいいとこどりできたりするのである。

 今の日本が、ようやくそうなってきているような気がする。ある指導者が、数年と数十人の経験で「良質の油はちゃんと摂らなきゃダメ」と言い切り、ある指導者は「悩んで私のところに来た人が、肉や乳製品をとるようになって体調が回復した」と言う。ある人が「海外で修行を重ねてきたうちのデトックスは本物」と言い切り、一方で、その観点から見たらまるで甘っちょろいデトックス・メソッドでも、それなりに結果が出てしまう。かといえば、そうした言い切りをやめてしまう神様もいる。各神様たちにはその教義でうまくいった人たちが集うので、それぞれの世界観は強化され、意見はさらに別れていく。(まだ、日本ではそれらの人々が一堂に会する機会はないが。今後もないかもしれないが)。


 私は、ローフードで到達する人間のステイタスというのは、栄養学的にどれが最新とかを知るということではなく、むしろ、探っても探っても生まれてくる矛盾というものを「そういうものなのだ」と受け入れる度量を作るところにあるのではないかと思うようになってずいぶんたつ。食糧に課せられた第一目標はずっと「安定供給(=飢えないこと)」だった。しかし、その目標に達するために「高度に加工」という手段をとってきた食品を、「もうこれではダメだ」と卒業する地点まで来た人々は、同時に、「職の安定供給=大企業」とか、「無条件に委ねられる思想=一神教やナショナリズム」を卒業して、次のものを探すかもしれないのだ。そのときに、食事が「ロー=未加工」という、つい最近まで「未開、野蛮」と思われていた方法に戻っていったらそこに再評価すべき価値があったように、「個人=微力」「未発達=多神教」といった、やはり歴史の中で不要とされ一度は捨てられた方法に回帰、再評価する可能性は、大有りだと思われるのである。

 別にローと関係ないところでも、世界はそうなっていると感じさせられている。ローフードが広がるというのは本当に人が自然の中で生きられる場所か、食品の衛生が確保されているということで、ある程度経済発展がしている場所であることが前提かのどっちかである。この、どちらも、大企業による画一品大量生産と相性が悪い。前者では貨幣経済が必要とされないし、後者では、豊かになった人々のニーズはニッチ化していき、大企業が作った「みんな同じ」の製品では満足しなくなっていくからである。かくして、「ある一定の細かいニーズを持ったお客様を圧倒的に満足させる」ニッチなビジネスが成功していく。それは、大企業もできないことではないが、小さな事業体でも十分に成功のチャンスがあるビジネス形態である。たくさんの事業体が、たくさんのニーズを満たす。というわけで、経済全体で「世界の多神教回帰」の現象が起こる(すでに、起こっている)。

 そしてそのとき突きつけられるのは、人は、昔の状態に回帰して、個人というものの弱さを改めて知り、多神教の秩序の無さをあらためて知るということである。でも、私達には、その弱さに目を向け、秩序の無さや矛盾に目を向ける度量がすでについてきているから、そこにもう一度帰ることができたのだと思う。「度量」というか「ゆるし」というか。ああやっと見つけた、と、それらをちゃんと直視した人は思うと思うのだ。それらはみっともないから見たくなくて長年無視してしまい、ところが無視したためにとても人生が「精のないもの」になってしまった、人間のエッセンスに当たるものではないかと思うのだ。

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↑最近、うちの教室でめちゃめちゃ評判がよかったローチョコタルト。



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2012年05月24日

副作用が少ない

つい最近まで、
「私って意地っ張りじゃないかなー」
とか、
「やせガマンしすぎかなー」
と思っていたのですが、
そうでもないような気がしてきました。

「このようなもの」を手に入れるには、
むしろ、最速、まっしぐら、無駄ない動きをしてたんじゃないか
と思うようになってきたからです。


「このようなもの」とは、つまり「私がほしいもの」ですが、
例えば、
「一応私が教えてるんだけど、相手からも学び、
生徒さんたちはただ自分が欲しいというものをつかみとり、
『師匠!』などと一段上に置かれない人間関係」
であるとか


「耳に甘ったるいキャッチコピーをなるべく使わず
(それは商品にふりかける添加物のようなものです)
恐怖をあおったりムードで誘導することもなく、
お客様が必要だと自覚さえしていなかったものを提案し、
そこになぜメリットがあるのかを
丁寧に説明して、
なるべく低価格で提供して、それでも利益を得る」
とか、

「夢に溺れることも酔うこともなく、自己決定をコントロールできて、
深い変革を感じて、それでもときめく男女関係」
とか、

どこにも売っていなくて、でも、私が欲しかったものばかり。

「そんなものが手に入る」とも、そもそも
「存在する」とも
思ってない人は思ってない、もの。


でも、私は、手に入れて(これからもブラッシュアップし続けるけど)、
とてもとても満足で、感謝しています。
そういう生き方は「副作用」が少ないと思うからです。


副作用が少なければ、反復していけばいいし、しやすいと思うんですよね。
地味な繰り返しから、豊かな発見ができたら
とても素敵だと思うのです。


IMG_2433.JPG
↑河内晩柑のジュースを楽しんでいます。



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2012年04月11日

「40代の年収減少傾向」のニュースについて

外国人の日本語学習用にとっているメルマガで

「40代の年収が減少傾向

国税庁の調査によると、約10年前に510万円だった
40代前半の平均年収が470万円に減少していることが
わかりました。
下落率は約10%で、20代前半の下落率5%に比べて
下落率が高いことがわかります。
働き盛りであると同時に、住宅ローンや教育費、
介護費用など費用がかさむ年代だけに、年収の
減少による生活への影響は深刻です。」

というニュースがのってたので、ソースを調べてみたら、

・「民間企業」の
・「給与所得者」(正規・非正規は問わない)

データだそうです。「公務員」も、「事業主(=自由業、会社経営、農林水産業)」も、
「日ごとに賃金を受け取る人(=いわゆる日雇い労働)」も含んでいないから
これで話を進めても意味ない気がするのですが……。
(しいていえば、国税庁が調査対象からどれほど税収を見込めるか、という調査、かな?)
データはこちら


話を進めても意味ないデータから、あえてもう一方話を進めるとしたら、
もはや、「収入と幸福度はまったく相関性がなくなってるんじゃないか」
そして、
「調査対象(=民間企業従業員=いわゆるサラリーマン)の人々が、
世の中のメイン階層からどんどんはずれていっていること」
だと思う。

ローフードメインの生活をしていると、食費は一定の額を確保しないといけないのですが、
その代わり、高級レストランに行きたいという欲望も必要もなくなるので、
その一定の額で安定する。
金銭で食費を確保しなければいけないのは都市部の話で、
今後、農村部に引っ越して自給自足を試みる人、都会でも少々は自分で育てよう、
という人も出てくると思う。


昔は「エンゲル係数(家計における食費の割合)」が貧富の指数とされたのですが
(割合が高いほど貧しいとされた)
今は食費にどれだけかけるか、というのでは貧富をはかれなくなっている。

エンゲル係数では「食費/家計」の分子の方が問題になっているけど
現在は、分母の方も揺らいできている。

私の友達でも、年収が低くても持ち家に興味がなくても、
しょっちゅう旅行している人が何人もいる。


見た目ではその人が豊かか貧しいか、ますます測れない時代が来てるなー、と思う。

人の数だけ現実がある世界が、好きなんです^^


natusalad01.jpg
↑超健康革命の会ニュースレター最新号からのレシピ。
イチゴとレタスのサラダ。

natusalad02.jpg
↑カシューマヨをかけたところ。

natusoup.jpg
↑同じく。ブロッコリーのスープ(加熱)。


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posted by 石塚とも at 09:07| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年03月29日

「間違ってる」と思ってたことが突然「正解」になる瞬間(副題・お風呂の効果的な入り方)

「50度洗い」って、「ためしてガッテン」でオンタイムで見ていて衝撃的でした。
栄養的にも水洗いより効用が報告されてるんですね。
なによりレタスがおいしいんですよね。
(温かいままで食べてもおいしい)
というわけで、ときどきやるようになりました。

でも、今日の話は50度洗いの話ではなくて、
そのあと、湯沸し器の設定温度を
元に戻すのを忘れちゃった話です。
50度に設定するとあつすぎるので44度にしておいてその後熱いお湯を足すのですが、
その44度を、お風呂を入れるときの42度に戻し忘れて浴槽に溜めちゃったんですよね。
一昨日、火曜日の夜のことです。

手を入れてみたら熱い。でも、入れないわけじゃないので
(追い焚きできないマンションの浴槽のお湯はどんどん温度が下がるので、
実測はこれでも41度ぐらいな気もします)
その日はそのまま入りました。
しばらく使ってたら、突然、身体がほかほかしてきて
汗が出始めました(私は発汗しずらい体質です)
とっても気持ちよくなったので、
さらにそのまま入りました。

で、出てびっくり。
先日のオーバーワーク以来腰に来ていた痛み、
とくにここ数日痛みが強くて、どうしたもんかと思っていたのですが、
それが吹っ飛んでいた。

水曜日の朝夜と本日(木曜日)の帰宅後、このぐらいの温度に
入ったら、ほぼ完璧に復調してしまいました。。。

「熱いお風呂は筋肉疲労にきく」と、以前から知っていました。
しかし、熱いお風呂(40度以上)は交感神経を刺激して神経を高ぶらせる
とも聞いて、むしろ避けていたのです。
というのは、私が腰が痛くなるのはストレスで自分を追い込み過ぎる時だと
わかっているので、神経を休めたほうがいい、と思い込んでいたからです。

ナチュラルハイジーンを始めるまでは、
もし私が当時、自己啓発セミナーに行って「あなたの夢は何ですか?」と聞かれたら
「肩こり、腰痛が治ること」と即座に応えるだろうなあ、と
想像するほどの肩こり腰痛持ちでしたし、
ローになってからも、ピンチになると何度か復活したことがあります。

そういうときに限って仕事のアイディアが次々とわいてきてしまい、
実行しようとすると当然腰痛は悪化するわけです。


化学的な薬品を飲んだり塗ったり、ということはしませんでしたけど
それでも、アロマサロンとかマッサージとか岩盤浴とかはあれこれ試し、
お家で使うマッサージオイルや入浴剤も勧められたものは取り入れて、
そして……この温度のお風呂はあえて避けてきてしまってました!!(嗚呼……)
何年間も、です。

「ナチュラル」とか「ヒーリング」という言葉には甘美な響きがありますが、
適切に使ったら水道水でもキュアできちゃった、という、
灯台元暗しなお話。
(火曜日の夜はエプサム/ソルトも重曹も切らしており、浴槽には何も入れてませんでした)



でもね、じゃあこれはシンプルにフィジカルな筋肉疲労だったのか、というと
そうもいえないかなー、と思っておりまして。


というのは、今、このときに湯沸かし器の設定温度を元に戻すのを忘れた、
というアクションが降りてきたタイミングです。


日曜日から火曜日にかけて、
「どうしてときどき、肉体がついていけないほど暴走的にアイディアが浮かんでしまうんだろう?」
という私のメンタルについて、省みる機会がいろいろありました。
また、現在、寺子屋のクオリティをあげるべく、自分もある塾に
入って学び中なのですが、そこで
「今やるべきことと、やる必要のないことをどういう尺度で切り落としていけばいいか」
具体的な方針の立て方を教えていただいたりして
心もラクになっていました。


そういうときに、ふっとお湯の設定温度を間違えたわけです。
これで「引き寄せ〜」なんていうのは、話って後付ならなんでも言えるし、
あまりにベタな話で赤面しちゃいそうなのですが、
心に余裕ができてすっきりしていたことは確かです。
そういうときに、無意識に、手が勝手に正解を連れてきた。


ちなみに、週に2回ほど実家に泊まっているのでそのときに
入る実家のお風呂の温度は結構高めなのですが、
そのときにはこれほどの劇的な効果を感じなかったので
これもまた不思議。
(「自分の家」っていう感覚も大事なのかな?)


これからもずっと仕事は続くわけなので、
1日1回、できれば2回、
大切なセルフケアとして、このお風呂には入ろうと思います。
(入った後は、筋肉疲労にきくオイルでマッサージもしてます)


自分が「これが正解だ」と思っていることを疑ってみることが
いかに大切か、も学んだのですが、
同時に、「本当に準備ができるまで、自分に効果をもたらしてくれる正解」も
すぐ近くにあっても自分にその姿を見せてくれることはないし、
準備ができればすっと手に入るんだろうな、とも
思ったのでした。


ちなみに、目的別お風呂の入り方で
参考になったのは、こちら





blancmanger.jpg
↑今月の寺子屋のおやつ。
ブランマンジェ〜(とリメレモなおくん作のホワイトチョコケーキ〜といちごのバルサミコマリネ)。




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posted by 石塚とも at 19:44| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月13日

大豆と乳製品の発酵についてのつれづれ

ちょっと前に、
「発酵していない大豆食品は、あまり身体にいいとはいえない」
という記事を読みました。
こちら
ですが、少しだけ抜粋すると、

・発酵していない大豆は強い反栄養素が含まれる。
・発酵していない大豆には、フィチン酸塩が多量に含まれる。
・発酵していない大豆には、酵素阻害物質が多量に含まれる。
・イソフラボンは一種の環境ホルモンであり、副作用がある。

など。

栄養学の本ではありませんが、
体内クリアリングのために定期的なジュース・フィースティングを薦めている
カレン・キングストンは、『ガラクタ捨てれば自分が見える』の中で、
「菜食主義者でさえ、腸内クレンジングは定期的に行わなければならない」
と述べています。
カレンさんによると、

「大豆と穀類が、宿便の元になるからです(大豆は、全ての植物の中
でもっとも粘液状沈殿物になりやすいのです)」
(176ページ)

とのことです。

↓この本を知らない人ももはや少ないかとは思いますが。


経験値で言うと、
私は、豆腐を「重い」と感じます。
納豆は1度に半分ぐらいでやめときたい感じですね。
豆乳は、紙パックで売ってるのは「高度な加工食品」な
感じがして、かなりひかえるようになりました。

ちなみに、日本で今食べている「豆腐」が定着したのは
江戸時代ですが、この頃はまだ特別な食べものだった模様。
(白米も豆腐も鶏卵も、この頃はみんな特別な食べものだったのです!)

中国の豆腐はもともと発酵させたもので、
現在も「臭豆腐」といった発酵系の豆腐があります。

上記の記事では、
「昔の人々は、『大豆はそのままでは身体に悪い』ということを
なんとなく経験値として知っていて、それで、健康に食べる智恵として
発酵させるようになったのではないか」と書いてありますが、

考えてみると、これ、乳製品にも当てはまるのではないか、
と、ふと、思います。

アメリカ人は牛乳をコップに入れて単体で飲みますが、
イギリスでは紅茶に入れる、イタリアでもフルーツ牛乳を作る、と、
ヨーロッパではそのまま飲むということがないらしい。
とくにこういう飲み方を嫌うのがフランス人で、
(朝のカフェオレでしか牛乳は飲まない)
昔は牛乳をそのまま飲むと「アメリカ人みたい」といって
バカにされたそうですが、なんか、本当っぽすぎて作ってる感じもする
話ですが。。。


そのままの乳製品は身体に悪い、ことを、
昔のヨーロッパ人も、なんとなく経験値で知ってたんじゃないかというのが
今回もヨーロッパの畜産業を垣間見ての
私の推測なのです。
日本に地方別に味噌があるように、ヨーロッパにも地方別にチーズがありますが、
そうでなければ、あんなに熱心にチーズの開発に取り組まなかったんじゃないかなあ、
と。

日本の地方に行くと、「こんなところまで?」と思うほど
幹線道路のぎりぎりのところまで田んぼがあるけど、
ヨーロッパに行くと「こんなところまで?」と思うほど牛がいる……。

使いようによってはすごく栄養価が高い。
(あの寒さを生き延びる食料になってくれる)
でも、そのままではリスクがある。
そのために、人間は、ちゃーんと「発酵」という
ストラテジーを身につけたんじゃないかなあ、っと、随想は続きます。


昨年の夏と今回の冬、両方共畜産→チーズ作りの現場を見学できたのですが、
たしかに、おじさんたち、中肉なのにすごいお腹出てましたが(^^;)
味噌にもオートメーションでフリーズドライにされた味噌汁から
天然麹で育てた手作りのものまであるように、
乳製品にも、身体に対する影響は、作り方によって
かなり違うのではないか、と、考えています。


もっとも、あれだけの脂肪の摂取を必要とするのはあれだけ寒いところ、
というのも今回よーくわかったので、
日本ではガマンしようと思います。


日本では、チーズの関税は28%、
バターの関税は36%。
そのうえ、バターを輸入するには、農水省の関連団体である農畜産業振興機構というところへ、
806円/1kgを、上納金(マークアップ)として払わなければいけないらしい
(ソースはここ)ので、
輸入バターの値段はあんなに大変なことになる
(日本で1500円ぐらいする海塩バターはフランスでは1ユーロ80セントぐらい)


日本での畜産は本当に大変なそうなので、
それを「保護」と考えるか、
高いバターを買ったときは「お国に奉仕」と考えますかね。
やっぱりガマンが妥当だろうな……。



ところで。



ushi01.jpg
↑私達、ともさんが見学した牛たちよ。
私達が手をなめたら、ともさん都会育ちだから、
「大きい! 牛タンみたい!」って大喜びだったわよ。当たり前じゃないのよ!

ushi03.jpg
↑僕達は、生まれてまだ2ヶ月でーす。

ushi02.jpg
↑西麻布にあるともさんの靴に、私たちの落としものが
まだついてて、ともさんそれ見て、「思い出♪」とかいって
ほっこりしてるらしいけど、私たちのせいじゃないわよー、っていうか
「ほっこり」の使い方間違えてるわよー、もー。




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posted by 石塚とも at 23:39| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月05日

胸がドキドキして鼻血が出そうな幸せについて


寺子屋第3回目の話ですが、
この回は、
ある事情からちょっとしたロシアン・ルーレットがあったため、
結果的に、当日のスイーツは、
ローカフェで食べたら3,000円以上するような
大量になってしまった。
(写真は、あらためてこちら


なにしろ私はこの大量さに(とくにチョコを)完食しきれなかったのですが、
寺子屋のコンセプトは「寺子屋=小学生」なので
お菓子は大きければ大きいほどよく、
生徒さんたちは元気に完食していく。
私がサーブしたピースがちょっと小さかったりすると、
「せんせーい、こっちのほうが大きい」とかクレームが来る(笑)

しかし、さすがにこの日のお菓子はダイナマイト・ボンバーだったらしく、
帰り道に「胸がドキドキしちゃった人」とか、
「鼻血出そう〜」と感想もらした人が続出。

私はといえば、
翌日、残ったチョコをちびちび食べながら、ふと、思った。

「2010年から2011年の私は、『低刺激ローフード』だとか、
ゆるエロ』とかいってたんだよなー」

たぶん、「低刺激」とか「ゆるエロ」とかの方向性はright path な気がしてるんだけど、
そのとき1つだけ気になったことがあって、
「低刺激」で「低エロ」を求めてる私は、
「低幸福」で満足してしまってないか?
みたいなことを、また、小難しく考えていたんだった。

つまり、私には、「高幸福」を受け取る受容性が
用意されているのだろうか? と。

受容できないから刺激やエロも低ボリュームにしてるんだったら、
ちょっと悲しーな、と。

この、事故的な成り行きで出来上がった、
どこでも食べられない強烈ボリュームロー・スイーツ盛り合わせを
2日がかりで食べながら、
「低刺激、低エロ、でも、高幸福」
って、あるのかな、って、ぼんやり思った。


きっとその最初は、それが「高刺激」なのか「高幸福」なのか
分けられないぐらい激しさで、
胸がドキドキしちゃったり、鼻血が出そうになっちゃうかもしれない。


2011年の12月5日にこれを書いてる私はちょっとずるくって、
このときそれが、ほんとに on the corner
まで来ていたことすでにを知っている。
でも、当時の私(ってたった2週間前ですが)は、胸がバンバンなる鼓動によって、
根拠がないままに、その足音を感じ取り始めていた。

増えろよ増えろ、
高幸福受容体。


そういえば、明日と明後日を予定していた家具の総入れ替えは、
運送会社の都合で、一週間ずれこんでしまった。
邪魔な家具をどかして障害物をどかして、
ますます受容体増やしたいなー。




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posted by 石塚とも at 21:52| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月12日

ローフードに思うこと

(今日のブログは本日発行のメルマガからの転載です。
メルマガにも登録をぜひお願いいたします)


最近、ローフードについてほとんど語ることがなかったので、
最近の私の考えを書いてみます。
それは、「なぜ寺子屋セミナーを始めることにしたのか?」
という問いの答えにも一部なっています。

で、直接ローフードの話しをする前に、
一つの例から始めたいと思います。

3〜4年前だったかな?
私が、銀行で順番待ちをしているとき、
週刊誌(サンデー毎日かそれに類するようなもの)を
手にとったときのことです。

そこに、ある、女性学者(と、いっておきます、大学の先生してたので)
のインタビューが出ていました。
英国暮らしの長い方で、日本とイギリスを比較する本を書いて
ベスト・セラーを連発した方です。

そこに、このようなことが書いてあったのです。
「イギリス人は、職を失ったら、『これがチャンス』というふうに
考えます。
日本では、リストラで職場をクビになったのに、そのことを
家族に言えずに、毎日スーツを着て出勤している人がいるんですってね。
イギリスでは、信じられないことです」

これを読んだ人の中で、
イギリス映画、『フル・モンティ』を見た人なら、
「ほーっ、おもしろいこという人だなあ、この人は」
と思うかもしれませんね。

なぜなら、『フル・モンティ』は、
イギリスの衰退してゆく鉄鋼業界を舞台に、
まさに、職場を解雇されてそのことを妻に言い出せずに
毎日スーツを着て職場に出勤するふりをする中年男が、
元部下のこれまた失業中の男(就職先を見つけないと息子の
親権を妻にとられてしまう)の誘いに応じて、
えいやっ! と、ストリッパーになる話だからです。
http://bit.ly/lozBmz

トム・ウィルキンソン演じるこの中年男は、
主人公(ロバート・カーライル)たちより少し年上、
叩き上げで、中間管理職にあったことにささやかな誇りを
持っていた。だからこそ、妻に解雇されたことをいえないのですね。

この事象からわかることは、
情報化社会では、「専門家」と称する人の情報が常に正確であるとは
限らないし、そのことが、インターネットを通して、みな明らかに
なってしまうということです。


そして、非常に興味深いことは、「これが正しい」と思う専門家は、映画『フル・モンティ』を
見た一般の人からその事実を指摘されることはないまま人生を終わってしまうかもしれないし、
『フル・モンティ』を見た一般人も、まさか、自分が
「専門家」と称する人が知らないことを知っているとは
思いもよらずに、そのまま生きていくということです。
(記事を読んだとき、この記事を書いたインタビュアーは
映画『フル・モンティ』のことを知っていたのかな? と思いました。
もし知っていたとしたら、この専門家にそのことを指摘せずに
記事を書いたということになりますよね)

こうした、「ふたつの事実がパラレルに同時進行する」
ということを、情報化社会は生み出してしまったのです。
映画『マトリックス』は、まさにこの状態を指摘した映画なのですが。

ローフードについても、同じようなことが、
すでに、たくさん起きていると思うのです。


映画『マトリックス』が公開されてから10年以上たちますが、
そういうことが、堂々と娯楽映画の中で指摘されるようになった、
というのは、我々は、その「並行に存在する事実」を無視できなくなった
時代がきた、ということだと思うのです。
同時に、現実世界で『マトリックス』を感じることの難しさもまた、
映画は指摘していたわけですが、
それにしても、日々進化する情報化は、そのことを、
日々、無視できないものにしていっていると思います。

だから、その中で、「専門家」として情報を伝え、
それを権威付けする、というやり方は、
近い将来時代遅れになっていくし、
(予言、ではないのですが、そうならざるをえない、ということ)
だったらさっさと乗り換えたくなっちゃったのです。

そして、私が食べ続けているローフードを意味付けすると、
その
「乗り換え」の力を与えてくれるものだったのです。

そして、「世界は、パラレルにさまざまな現実が同時存在する」
という、ややっこしい、でもそれこそまさに「ありのままの姿」を
認める力を与えてくれるものだったのです。

上記のイギリス専門家は、
元イギリス男爵の妻だったとのことで、アッパークラスの視点から
物を見ていると思われる、しかもイギリスびいきで日本卑下の視点なので、
映画を見ても、
「これは映画のことで、話を面白くしているだけのことです、
事実ではありません」
というかもしれません
映画作者さえ、「世界中の人に共感を持ってもらえるエピソードを
考えました。事実ではありません」というかもしれません(笑)
でも、イギリス労働者階級に共感を寄せる人や、
自分自身がリストラされて傷ついた経験がある人は、
このエピソードを「事実だ」と思うかもしれません。

このように、ひとつの事象を見たときに、
それをどう解釈するか、という、一種の色眼鏡は、
客観性を求められる、学者、科学者、政治家、企業経営者、
などであっても誰でも持っていることで、この色メガネのことを、
「パラダイム」と呼ぶわけです。

だから、私にとって、「ローを伝える」ということは、
「ローの専門家」になるということではなく、
(10年前だったらなろうとしたかもしれない)
「世界はいくつもの現実が同時に存在する
(つまり、今までの考え方では不条理な考え方で成り立っている)」
「その中で自分の立ち位置を見極め、場合によってはメガネをはずしたり、
架け替えたりする(違って見えるので、最初は怖いはず)」
というような、先走りすぎるかもしれないけど、
未来を基準に考えたら、きっとワクワクする考え方の原動力としての
ローフードをお伝えしたいと思うのです。

ロービューティ寺子屋でやることは、
そんな、未来基準の自分に備えて、少しずつ、コツコツと
自分の中のデータを書き換えていくための
エクササイズなのです。


【今日のまとめ】
ローフードに限らず、すべての情報は、情報化社会の中で、
その不完全性があらわになる宿命を負う。
ローフードは
情報が不完全に、しかも並行に存在する
世界、というものを受け入れる力を持たせてくれる食べものである。


この考えも、ひとつのパラダイムにすぎない。



今回も、お読みいただきまして、ありがとうございました。


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posted by 石塚とも at 21:32| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月28日

父と娘と拒食症と東京電力 〜その2〜

 フェミニストの金科玉条に「個人的なことは政治的なこと」というのがある。私が痛みを感じたら、私が不条理に苦しめられているとしたら、それは私ひとりが処理すれば終わるという問題ではなくて、社会のシステム全体とつながっているんだ、という考え方だ。
 70年代のフェミニストたちは社会に向かって「抵抗運動」もしたけれど、同時に、同じぐらい、今まで自分が無視していた「自分の中の痛み」に目を向けることを始めていた。この試みが、摂食障害などの問題を抱える人々が集う「セルフヘルプ(自助)グループ」や、カウンセラーが上から目線で指導をしない「ピア(仲間)カウンセリング」(今でこそ「患者さんに寄り添う」なんて言葉が常套句だけど、フロイトの頃はそうじゃなかったのだ)につながっていった。「インナー・チャイルド」という言葉を自分の中に発見し、(たぶん)初めて使ったのが、この70代フェミニズムのリーダー、グロリア・スタイナムだった。

 で、私は、私の本のプロデューサー・きくちゆみさんが音頭をとっている「平和省プロジェクト」をお手伝いした2005年〜2007年ぐらいをのぞいて、徹頭徹尾「個人的なこと」にフォーカスを当て続けている。なぜかというとそれが一番効力が高いし(自分を変えるのなら誰の許可もいらない)、自分の外側に「敵」とか「悪」を作ると、「敵」扱いされて嬉しい人なんて誰もいないわけだし(どんなにその人が不条理であっても)もしもそういう人に働きかけるなら、今あるやり方とは違うやり方でやりたいなあ、と思っているからだ。

 で、私は、今後も自分の話をさらに書きたいと思っていて、それが以前は「書かずにはおられない!」みたいなやむにやまれぬ気持ちだったのに対し、「自分の選択です」「私の責任です」みたいな気持ちが結構ある。自分の愛する食べもののことを今書いているけれど、実は、それと同じモチベーションの範囲で、うんちのこととえっちのこと(←ここ、韻踏んでます)を書きたい。
 
 食べものの変化もそうだけど、その人が形作る信念(=コア・ビリーブ)が変わるとき、排泄と生殖も、それに負けず劣らず劇的な変化をとげるものなので、それはぜひ言語化してみたいと思っている次第だ。

 
 さて、東京電力女性社員が1997年に殺害された事件に戻る。
 
 彼女の父親が責任ある業務から降格され、1年後に病死、彼女自身も謎の死をとげた背後に、親子の「反原発活動」があった(因果関係の証明は不可能だが)ことは、今までまったく報道されていなかった。
 かわりに、殺人事件の被害者なのに、あんまりすぎるマスコミによるプライバシーの暴露があった(ネット上では、彼女に対するマスコミのこの態度が、彼女への同情を消すための情報操作だったのではないか」という意見が見られる)。
 
 だけども、さらにひっくり返してみてみると、彼女が行っていた、奇異で危険な「個人的な行動」は、そのまま、奇異で危険な「社会システム」とそっくり合わせ鏡、だと見えるのである。彼女の行動がさらされてしまったことが、本人の意にそっていたのか反していたかわからないが、(少なくともあんなふうに他人にずかずか踏み荒らされる筋合いはない)、でも、結果的に、彼女の「個人的な行動」は、「社会の危険なシステム」を告発していたのである。社会システムの危険を告発したかった、でもその手を封じられてしまった彼女は、彼女の、他の人には立ち入れない「個人的な行動」の範囲内で、他人が騒ぎ立てずにはいられないような行動を行い、もはや無意識に「社会の告発」を行っていた…… としたら、すごすぎる。

 もしかしたら、それは「自己処罰」なんかじゃなかったんだ。

 だからね、あらためて、「個人的なこと」に目を向けよう、と、私は思う。私の中で、「循環」は起こっているか。「微笑み」を芯から作り出せているか。自分の持っている豊かさに気がついていなくないか。気がつかなかったことに対して、責めてしまったり、突破口が見つからなくて絶望的な気持ちになってしまったりすることはないか。
 排泄と生殖は「循環」や「微笑み」とつながっているのよね。だから、それに変化が起きたことは、私の「循環」や「微笑み」とつながっているのだと思う。

 そして私は、食べものの話だけじゃなく、「父と娘」のことも、メルマガに書いてきたのよね(現在休刊中です)。死んでしまった父と娘は、本当はどんな関係だったんだろう。そして、娘の母親は? 彼女が言葉ではなく「お金のためでもなく楽しくもない性労働をし、殺されてしまった」という行動によって示したものは、いったいなんだったんだろう?
 
 私の親子関係は現在良好です。「自己処罰」という言葉を聞いて、「自分にもある」と思うことももう遠い昔の気がする。多少がんばりすぎの人生ではあるけれど、今は私はそれを「選んでそうしている」と思っているし、そこから得ているごほうびもたくさんある。そう、どれ一つとして、やらない価値はなかった! と私は思っている。ちなみに私の先を歩いていると思う女性は、「(試合が終わってからも練習するような)完璧主義が私を作ったのよ」とのたまうテニス界最強のまじめ人間、シュティフィ・グラフです。そういえば、シュティフィも、お父さんにいろいろ悩まされてたんだよなー。

 「あんまりな目にあった被害者」であった彼女が、私の中で、精一杯のことをやって、大変なことを世界に示して、死んでいった、ずいぶんヒロイックな姿に見えている。これって……、それはつまり、事件に対して「あきらめなかった人」たちがいて再審が決まるような世界の変化であり、「自己処罰」という自分の中の死の灰をはらいのけた自分の変化なのかしら?

 被害者は私の大学の先輩で、似たような雰囲気の同級生も結構見た(勝間和代さん、高校、大学と同窓なんだな)。事件後、彼女の虚無的な姿に、「他人事と思えない」という女性(おもに高学歴、高キャリア)が少なくなかったときく。摂食障害の女性たちの共感は大きかっただろう。男性と同じように働く場が用意されたのに、さて、そこでは失うもの(結婚とか、過去の女性が幸せとされてきたこと)ばかりがあって、得たものは男性社会の権謀という悪霊? がべったり。私の友達も、法学部や経済学部でキャリアになった子たちは「ここは一生いるところではない」と思ったのか、みな結婚して子供を生んで退職してしまった。

 でも、最近、そのうちの一人が子供を育てながら法律事務所に再就職し、昨年、司法試験に合格した。

 世の中は、良い方向に向かっていることもある。悪いこともあるけど。

 そして、その先にたって、一生懸命走っていってくれたひとりが、この被害者のY子さんだったと、今の私には見えているのだ。

 天国にあなたの場所は用意されていますから、どうぞやすらかにお過ごしくださいね。

 そして私は、これからも、個人的なことを書いていこう。

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2011年07月27日

父と娘と拒食症と東京電力 〜その1〜

 ずーっと「ともフード」のことばかり書いてきたところに、唐突にこの記事を織り込むが、そしてあまり社会的ニュースのことは書かないのだが、ちょうど、今までの自分を清算することにもつながると思うので、まとめてみた。

 東京電力の管理職だった39才の女性が渋谷、丸山町で殺されたのは1997年3月。まさにその月に、私は1度目の(ってしたのは今のところ1回だけですが)結婚が破綻して港区麻布十番のさいとうクリニックに通うことになった。1月に予約入れて、2ヶ月待ちで、そのあいだに1日3本ビデオを見始めてとうとう映画評論家になっちゃった。。。
 とまれ、クリニックの上部機関である家族機能研究所ができたのが1995年なので、まだできたての青いパッションがみなぎっていて、斉藤学先生もいろいろな話をしてくれた。その中で先生がものすごく興味を持っていろいろ話を展開していたのが、この女性管理職社員の話である。

 当時の私は、彼女と私の境遇は違いすぎるように思えて、先生の話は正直ぴんとこなかった。まずこの女性は、父親が大好きだったらしく、そこから私には理解できなかった(当時の私は父と話すと自傷行為が出るため、まともに話せなかった)。
 それから、私には、サラリーマンが親子二代で同じ会社に勤めるという感覚がわからなかった。家業と違って、他の会社を選ぶ自由があるのに。
 第3に、先生は、彼女が「父の仇をとる」という発言をしていたことを当時から指摘していた。これが全然わからない。「敵をとりたい」という感覚も、「仇をとりたくなるほど好きな誰かがいる」という感覚も。
 そして4番目に、彼女が拒食症だったことである。先生は、「彼女は、自分が『男だったらいいと思っていたのに』と思っていたかもしれない。拒食症は女性的成熟の拒否、ととれるから(注・それだけではありません)。男だったらもっと順調に昇進して、父の仇がとれると思っていたかもしれない」といっていた。
 私は、潜伏的にその要素はあったかもしれないが、症状としては今までまったく発症したことがないし、表面的には「女性的成熟」を拒否しているとも思わなかった。
 私は当時はカロリーと1日30品目を頭に入れて献立をたてる、ありきたりの栄養感覚の持ち主だった。

 ただ、このとき初めて聞いた、「自己処罰嗜癖」という言葉に、私も自分に同じものを感じて背中が寒くなった。
 この女性は性労働をしていたことがマスコミによって(被害者なのに)大々的に報道されてしまうのだが、先生は「売春は自己処罰だ」という持論を持っていた。

 「自分を罰するために春を鬻(ひさ)ぐ」。売春婦が一般社会からさげすまれるのは、性的興奮という「たのしいこと(とされる)」に対して自律心がなくて、しかもそれで金銭的利益まで得るている、と、さげすむ人たちは考えているのだと思う。でも、自己処罰のために自分に(おそらく、欲しくもない)性的興奮を与えていたのなら、なんか、やりきれないというか救いがないというか。出口がない。道が「生きることが楽しい」につながっていない。彼女は客に向かって「いつ死んでもいい」といっていたそうだが、絶望が死を引き寄せたとしても、むべなるかなだろう。

 私がどうやって自分を罰していたのか、今になってみるともうよく思い出せないのだけれど、少なくとも「こういう自分じゃないと愛される価値はない」という気持ちは自分の中で強かったと思う。「ゆるし」という概念を、あのころの自分は知らなかったように思う。


 さて、どうして被害者は「父の仇をとりたかった」のか? 働き盛りのときにガンで死んだ、というだけで、そこまで会社をうらむことができるのか? それが同じ会社に入社するというモチベーションにまでなるのか? それだけの情報を聞いた限りでは、それって、会社に対する逆恨みじゃないの? という気持ちが、私にはあった。

 ところが、15年たっていろいろ出てきた。
・彼女の父親は、工務部全体を統括する副部長と言う管理職いたが、一年で降格されその一年後のガンでの死亡した。
・降格される前に、高圧の地中送電線を東京都内に引く責任者を務めてからは反原発に転じ、社内で原発の危険性を説くようになっていた。

・被害者女性を東京電力に勧誘したのは、現東電会長の勝俣恒久氏だそうだ。入社後、勝俣氏は彼女の直属の上司だった。彼女は、父親の遺志を引き継いだのか、反原発のレポートを書いて賞をとっている、と、ネット上で情報が出ている。また、性労働を行うようになってから、原発関連にかかわらず、論文を一切書かなくなった、とも。

よって、

1 「仇討ち」というのが、実に、父親の「粛清」に対する仇を討つのだとすると、話は合う。
2 彼女の性労働が、「仇を討てなかった」自分に対する「自己処罰」だとすると、話は合う。
3 彼女が、「もしも自分が男だったら社内権力争いに勝てたのに、女だから力足りなかった」
  と考えて、女である自分を罰するために性労働に走ったのだとすると、かなり話が合う。

 自分の外の世界のことをブログにあまり書かず、自分の発見と変化に常にフォーカスし続けようとしている自分が自分以外のことを書こうと思ったのは、1だけではなく、2と3の「つじつま」のほうにひかれているからである。

 反原発に命をかける親子が、推進派によって粛清されました……、という図式は成り立つ。ただ、それなら、「1」だけあれば必要十分なはずだ。問題は、「仇うち」を果たせなかった娘が、なぜ、「自分を」罰する行為に出たのか、だ(もし、本当に性労働していたのであれば、だが。そこからフィクションだったりして)。罰するなら、父親を蹴落とした人に罰がいくように働きかけるべきでしょ。それなのに、なぜ、「自分」に罰を与えたの?

 前回の記事で、「人は『不当感』があるかぎり、危険なものを作り続ける」」と書いたのだけれど、まさに彼女は、「失敗した方が自分を罰する」という心理に導かれて、危険に自分を追い込んでしまったのだろろうか。だとしたら、光を当てるべきは、この、「仇がとれなかったから自分を罰する」という出口のなさなのだろか。

 〜その2〜に続きます。

参考
被害女性を渋谷で見た、という人のブログ(2007年)
http://sealmania.blog21.fc2.com/blog-entry-275.html

2011年、事件の再審が決まった後、上記の記事に4万アクセスがあったことを報告する記事。
http://sealmania.blog21.fc2.com/blog-entry-685.html

佐野眞一氏のノンフィクションに斉藤学医師が寄せたコメント。
http://www.geocities.jp/out_masuyama/dokusyo01.htm


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posted by 石塚とも at 22:50| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

最近一番びっくりしたこと

 何がびっくりしたって、半月ぐらい前かな? 実家で書類のクリアリングを手伝ってきたときに出てきた、ある書類である。その書類というのは……昭和50年ごろの、父の確定申告。

 それ見て、父があっさり言った。

「あ〜、この頃は、夫婦合算だったんだ」

 確定申告って、基本は個人単位でするものだと思うんだけど、生計を同一にする自営業者だったり資産があったりすると、夫婦単位でしていたらしい。じゃあ自営業者でなければ、つまりサラリーマンは個人単位でしてたのかっていうと、サラリーマンの妻は収入がないことが当時はライフスタイルの多数派だったから合算しても意味ないし、そもそもサラリーマンは今も昔も確定申告をしない。

(お断り:この記事を書くために過去の税制について一応さかのぼって調べたのですが、「何年まで」とかいったデータが見つかりませんでした。誤謬がありましたらすみません)

 とにかく驚いた。個人の線引き、私有財産がうやむやな世界。そんなの、戦後の民法成立でなくなったアンティークの世界観かと思ったら、私、ライブでしっかり浸かっていた世代だったんだ。
 これなら、「夫婦別姓=家族の伝統の崩壊」という主張をする人がいる理由も、やっとわかってきた。

 なぜこのことを今書いたかというと、「エネルギー供給の在り方を変える(いわゆる、「脱原発」というやつね」を変えるということは、ライフスタイルのすべてを変えるということだと思うからだ。

 日本の「原子力の父」って誰だか知ってますか? 正力松太郎さんという方です。昭和40年代まで生まれの読売ジャイアンツのファンの人なら、この名前は知ってるんじゃないかと思う。なぜなら彼が読売ジャイアンツのオーナーで、ファンブック読むと名前が出ているからだ。。正力さんは戦前は警察官僚、戦後は国務大臣になったと同時に読売新聞社の社主である。大正時代は警察官僚として米騒動を鎮圧し、関東大震災が起きた時に「朝鮮人暴動の噂」を流布し(流布した人を取り締まったんじゃなく「治安維持活動」の一環として。今も昔も官僚がすることは「パニックを予防して」なのだ)、昭和9年に読売巨人軍を創設し、すでにアメリカ大リーグを招へいしている。20年に戦犯で巣鴨拘置所に投獄、不起訴釈放後日本テレビ社主になった。日本の「テレビの父」「プロ野球の父」「原子力の父」と呼ばれる。

「原子力の父」と呼ばれるのは、「アメリカ中央情報局(CIA)と日本へのテレビの導入と原子力発電の導入で利害が一致していたので協力し」あったかららしい(出典はベンジャミン・フルフォード氏の著書)。ここによると、正力さんは、1956年に、日本の原子力委員会の初代委員長となり、次いで科学技術庁初代長官となる。科学技術庁って原子力推奨のために作られた省庁だったのね……。

 なんてこったい、正力路線の継承者であるナベツネが、今年のプロ野球の開幕時に東京ドームでの節電に強固に抵抗したのは、「プロ野球」のそもそもの存在理由が、「電気ってすばらしいよ、ビバ原子力発電」のためのショウだったからなんだ。 両親と子ども2人の核家族(ここで書くとすごい言葉だ)で、息子がお父さんに肩車されて王選手のホームラン見たら、それがもう彼らに用意された舞台装置に乗っかってたということなんだ。V9はだから史上命令で、日本じゃサッカーは日蔭者だったんだ(ヨーロッパ発のプロゲームは利権と関係なかった)。
 
 原子力発電所を作っているというので東芝の製品の不買をするという人がいるが、そういう人だって何十年も「サザエさん」を見てきたと思う。おっちょこちょいだけど仲良し家族。「家族」という集団を機能させるために格別努力しているとは思えないのに、絶対に壊れない。波平さんとマスオさんの会社は絶対つぶれない。そして家じゅう最新の家電製品だらけ。そういうライフスタイルは、一世紀近くかけて、計画的に私たちの細胞にしみこむようにプログラムされていたのだ。ちょっと怒ったぐらいじゃ壁は破れない。デモ=示威行為も悪いことではないと思うけど、一世紀近く綿密に計画されてきたものに対して、感情の爆発だけでは「破壊」はできても「次世代構築」というのはむしろ「忍耐」「自己規律」がいるのではないか。彼ら以上にクレバーに、彼ら以上に綿密に、彼ら以上にサブリミナルにことを運ばないといけないと思うのだ。

 だから、私たちはただ単純に「電気を大量消費する生活」とか「便利な生活」だけを疑うにとどまらず、「今、『そういうもんだろう』と思って幸せを感じている生活」すべてを疑ってみる必要があると思うのだ。

 さて、個人的な話になるけど。

 数ヶ月前、チャック・スペザーノのカードで、しょっちゅう「先祖代々の問題」というのをひいていた。
(前のカードはリンク切れしてしまったのですが、ここにもありました)
 
 そしてそのカードをひきまくっていたころ、私の父の母(祖母)の十七回忌があった。その席で、長男である父が、次のように挨拶した。

「私と母は血縁上は親子ですが、家族の役割としては、母と結婚したようなものでした」

 どういうことかというと、父の父、つまり祖父は、父が9歳のときに結核で死んで、父の下には三人の弟が残されたので、家族が離散しないように、父と祖母は、二人三客で働いてきた、ということだ。

 この、やや不健康な親子関係は私の代にも繰り返されそうになっていて、だから私は父と一緒に仕事をするのがいやだった。彼と組むと、彼に「かんで含めるように」説明するだけで一日がかりだからである。残った体力で何事をなそうか、というパワーが残らない。吸いつくされてしまうようなディスパワー感から、私は逃げたかった。「エスケープ」したかったのではなく、「サバイバル」したかった。

 でも、気がつけば、父との仕事はがんがんこなすようになって、西麻布に帰って来てから口笛を吹きながらもう一仕事こなす私がいて、さらにバレエと英語とフランス語の「芸事」にも励む。ちょっと恋にも励む。そういう生活がいつのまにか当たり前になった。

 で、今、私が一緒に仕事をしている父というのは、「多少言いたいことはあるけど、私の足を引っ張ることはない、最近はサポートすらしてくれる、ビジネス・パートナーのおっさん」である。それも、日に日に口を出さなくなり、ついには私が事務所に出社すると、「じゃ、な」とかいって、二階で庭木の剪定とかしてしまうようになった。今、私は「先祖代々の問題」にからめとられているとは思わない。父と私を結んでいる糸は、「これじゃ、父と結婚してしまったみたいだ」と思うほど、「ストロング・タイズ」ではない。

 父は、自分のことを「自分の母親と結婚してしまった」といったけど、その頃は、「生業」と「生殖」が同じ人との間に行われるものだったんだと思う。結婚とは、そういうものだったんだと思う。
「生業」と「だんらん」と「性」と「生殖」が、すべてひとりの相手で最高だと思えるパートナーシップが築ける。そういう暮らしができたら、素晴らしいことだと思う。でも、問題は、「みんながそうなるように」国策でそっちに向かわされてしまったということだ。

 もうすぐ、また、他の人の家にご飯を作りに行く。家族である父のご飯は専門の人に作ってもらって、私は別の家族のご飯を作って、そこで食を分かち合うわけだ。でも、それでバランスがとれている。

 そんなわけで、今の私は、「生業」と「だんらん」と「性」と「生殖」が全部一人のパートナーと、というのはずいぶん違う生活になってしまって、でも、そこにはとても豊かな世界があったので、私は大満足していた。でも、そのうえで、もしも、それを全部一致させられる日が来たら、それこそ「奇跡」だろうなあ、とか思ったりもする。そして、その奇跡は、「そうなることが目的」みたいにあくせくしてしまったら危険だけれど(うまみがありそうなだけに)、それに向かって努力するだけの価値はあることだなあ、とも思っている。

 そして、その奇跡は、今度こそ、「内的変化」によってもたらさなければならないと思う。
 「今度こそ」というのは、今まで、このとっても幸せそうな、多くの人が夢見てきた関係を、「システムによって」外側から固めようとして、その結果、機能せずに腐っちゃった例がたくさんあるんじゃないかと思うからである。外側からのシステムがあっても、なくても、揺るぎないような関係に向かって、なるべくたくさんのエゴを壊していくこと。それと国策の転換は、私にとっては同じ方向に向かって進む話なのだ。


 ……なんか、めちゃめちゃな話ですみません。

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posted by 石塚とも at 20:00| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

ミッド・タイズ

 このテキストのインスピレーションが降りて場所が、直さんと待ち合わせた赤坂ミッド・タウンだったから、というわけでもなかろうけれども。
 そうなのだ、「ストロング・タイズ」でもなく、「ウィーク・タイズ」でもなく、「ミッド・タイズ」へ。
(「ウィーク・タイズ」って何だ? って人は、こちらの記事をお読みください。まとめると、人は「ゆるやかな結びつき」でいた方がサポートや視点変換のヒントを得やすい、という考え方)

 瓶にいっぱいナッツを入れて入りきらなかったとき、瓶の底をとんとんと叩いて中身をゆすっているうちに、中のナッツの向きがそろって無駄な空間が詰められて、また少しナッツが入るようになった、という経験がありますか。毎日地震で揺さぶられているうちに(いちいち地震酔いになる@@)、私の中身も揺さぶられて、中のコンテンツが、行くべき場所に整理されたみたいです。

 「ミッド・タイズ」に気がついたのは直さんとふたりでミッドタウンのニルヴァーナでビュッフェ・ランチ食べてるときだった。彼に何度もレポートされているが、私、よくしゃべってた。(この記事とかこの記事とかこの記事とか)
 それが突然、話が出てこなくなった。静かにご飯を食べた(笑)
「私、なんか、しゃべんなくなったよね?」
「(僕が少したくましくなって)僕をサポートしなきゃ、僕に何か教えてあげなきゃ、って心配かけなくてもよくなったからじゃないですかー」
「そうじゃなくて、誰かに話すことで自己救済したいという気持ちが消えたんだと思う。あなたを助けてあげたいなんて利他の動機でしゃべらないよ。だって、私たち、基本的に小乗じゃん」

 この記事で直さんは、「自分は自己発見、ともさんは自己改革が好きっぽい」って観察してるけど、共通項でくくるなら自己救済だ、ってことを確認しあった。

 で、地震でさんざん揺さぶられて整理された私の心のナッツちゃんたちが私に見せてくれたのは、「自分の魂は自分で救いましょう」という、あらためて当たり前のテーゼなのだった。
 で、そんなことわかってるつもりだったのだが、あらためて考えてみると、もう一回冑の緒を締める部分があって、「シェアすることでの自己救済」という気持ちが消えているのだった。

 この後六本木ヒルズの地下のスタバに移動したが、ここでもカウンターで「語る」というよりふたりして黄昏る黄昏るw。

 ストロング・タイズは、相手と自分の境目がどこにあるかがわからなくなってしまい、ヘタに結ぶと人格さえ破壊する(っていうか、相手に自分の境界線に破らせたい人がストロング・タイズを結ぶのかなー、とときどき思う。言い換えれば共依存ね)。ウィーク・タイズにはゆるやかさ、息のできる自由さ、でも「切れてしまって」いるわけではないぬくもりがあるけど、でも、もう一歩近寄ってかつ侵害しない絶妙な距離を保とうとするチャレンジもない。

 そのチャレンジが楽しく、かつスキルが身についてきたとき、ミッド・タイズという中庸空間にいる楽しさを、身体が覚え始めている。(直さんの前でしゃべりまくってたのは若干ストロング気味だったのかもしれないです、今思うと)。

 家族とも、友達とも、お取引先とも、寺子屋メンバーさんたちとも、セクシャリティを意識し合うお相手さんs(語尾のsは複数形かw いや、最初にtheをつけるべきか(爆))とも、距離感が整理され始めている。

 最近、ある未来達成予言をぽろっとすることがあって、それは、ミッド・タイズの心地よさを覚えたらリレイションシップは融通無碍だっていう真理を身体が覚え始めたからだと思う。

 で、ラプンツェルは、「お姫様には動物の友達がいて感情が極まってくると歌い出す」というディズニーの法則をまたまたセルフ・パロディ化していて(歌を歌い出すと周囲に魔法の力をかけることができるという特殊な力を、最後は自分で失わないといけない)、その結果、ラストで姿を変えてしまうお姫様のキャラクター・デザインが、彼女の新しい面を見せてくれるようによーーく計算されていて、ディズニーの姫様物はやっぱり目が離せないのでした。あ、そうか。ラストでラプンツェルも、両親や平民王子との間にミッド・タイズを手に入れたのよね。 ラプンツェルとユージンが船の上で手をとって歌い出すシーンで私が笑い出してしまった(ロマンチックなものに対する距離感)は、もしかしてストロング・タイズに対する卒業感だったのかもしれないのでした。(となりでロマンティックなところで笑ってごめん、せっかく乙女最高潮だったのにねー、あのランタン・シーン)

 さー、次のミッションに向かって、働こう! ハイホー、ハイホー。

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posted by 石塚とも at 00:25| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月30日

「愛は捨てなくてはいけないもの」という考え

 10年以上ウェブになんか書いているので、この話を書くのは初めてじゃない気がするが、いまどきのように、クライシスが訪れるたびに、私の表面に上ってくるストーリーである。しかも今回は、私が全部書かなくてもばっちりまとめてくれてるサイトを発見した。
 それは、芥川龍之介の『杜子春』と、下敷きとなった唐代の小説『杜子春伝』の違いである。中国の方が日本語でまとめてくれた。
 こちらをぜひ読んでみて下さい。
 http://www.sju.js.cn/s/23/t/57/10/ea/info4330.htm

 ここで、唐代の「仙人への憧れ」と20世紀前半の「(家族)愛」との違いが明らかにされる。7世紀には、自分の子どもが頭が避けて死んでしまったのを見て、杜子春は思わず声を出してしまい、その結果、仙人になれない。物語は、「あーあ、残念でしたね、この人は『愛』を捨てられなかったために仙人になれませんでしたね」と、思いっきり突き放して終わる。近代人は理解できんわね。
 そして、ご存知芥川版の杜子春は自分のために鞭打たれている母を見て「お母さん!」と声をあげてしまった杜子春がやはり千人になれない。しかし、杜子春がそれでも満足し、「すがすがしい気持ちになった」と書かれている。「仙人の高みに上るより、今ここにある愛が大事だ」と。

 私が中国の唐代に書かれた小説『杜子春伝』を読んだのは1995年前後だと思う。そのとき私は、「なんと本当のことが書いてあるんだろう」と感激し、「あくたがわ〜〜、そんな母の無償の愛を求め続けるから自殺したくなっちゃうんだよ〜〜」と100年前に起きた自死に対して地団駄を踏んだものである。
 芥川は赤ん坊のときにお母さんが精神障害を起こして育児放棄(ドクターストップかもしれないけど)になってしまうのだけれど、芥川は死ぬまで母への愛を希求し続けた。文字通り死ぬほど希求し続けたわけだ。

 というわけで、戦争が起きようが災害が起きようが、淡々と、怒りも悲しみも、同胞や郷土や家族への愛着も捨てて、微笑を浮かべて生きている、というのが悟りかもしれない、と、7世紀の人は考えていたわけです。それって、すごくホ・オポノポノ的でない? 
 
 今私が考えている考えが、この記事を読んでいるあなたのお気に召すかどうかは知らない。とりあえず、一般メディアの潮流とはずいぶん違うと思う。テレビのようなマスメディアとも、ツイッターのようなパーソナル・メディアとも。

 私は、よくもわるくも芥川のような考えは「近代的」であると思っている。
 どうして「近代的考え」が生まれたかというと、7世紀の人は不幸を「あきらめて受け入れる」しかなくって、そこから近代までの人類の道のりというのは、「不幸は減らすことができる、人間は幸福をコントロールすることができる」という方針に基づくものだったからだ。ヘタすると、「子どもの頭が割れるのを見て声をあげてしまったぐらいでは仙人になれませんよ、なりたかったら全部あきらめてください」と説く7世紀の小説が、「野蛮な、遅れた考え」だと思い、悟りのための哲学を「訂正」してしまった可能性すらあるのだ。
 21世紀に入って、その方針はだいたい突き詰め終わってしまって、「それじゃやっぱり幸せになれない」ということに気づいて初めて、新しい方向に人類はいくのだと思う。その世界というのは、自分は自分の面倒だけを徹底的に見る、という、その代わり、何が起こっても他人の面倒をみる必要はない(みんな見てもらわなくても元気)、「近代」から見るとかなり寂しい、従って、かなり小乗的な世界かもしれないのだ。

 芥川の「その先」をビジュアル化する人がこの先少しずつ現れ、それがテレビに流され、ネットとか全然タッチできない人(たとえば、『朝まで生テレビ』を見て原発について勉強している父)とかにまで共有されたとき、人類って次の局面に進むんじゃないかな、と思っている。

 私が、「うっわー、この人、『次の局面』をビジュアル化してくれたぜ」と思っているのは、映画監督のクリストファー・ノーランだった。最新作『インセプション』は今年のオスカーの候補にはたくさんなったが残念のことにほとんど賞をとれないまま終わってしまったけど、家族の元にたどりついた主人公に「それで本当にいいんかい?」と挑発をけしかけるようなラスト・シーンは、心憎いばかりだった。……あ、今書いてて涙じわっと出てきちゃう。私、本当にクリスに「救われた〜」と思ったんだ。

 ノーランは『メメント』以来ぶっとんだ映画を撮る人だが、記者会見でプロデューサーとして壇上に一緒に上がった実直型の女性(映画のが妻で二人の子供とLAで暮らしてる、っていうの聞いたときもクレバーさを感じてくらくらきた。女優がミューズで主演に据えて私生活でも関係を持ってしまうウッディ・アレンとかポランスキーとはまったく違う世界観で生きてる。

 話それたが、そういう人が現実に出てきて、しかも、作品的にも商業的にも成功を収めているのだ。

 幸か不幸か、私はわりと簡単に「自分が助かりたい」と思ってしまう人間である。でも本当のところはわからない。ひとさまの「私ってこういう人間です」という自己認識を聞いてると「わーずれてる」と思うことも少なくないから。私の次の課題は、「自分を助けた後」微笑んでいられるかどうか、だ。

 なんと、東京に帰ってきてからずっと、頭が痛いのです。自分の身体、反応してるのかもと思ってしまう(私の身体が敏感なのは自己診断じゃないです、私に触れたすべてのマッサージ関連の先生が反応が早いという) でも、一回のメイクラブで想像妊娠かと思うほどホルモンバランスが変わっておっぱいぱんぱんになっちゃったりするので、今回も「想像健康障害」であるといいと思う。


なんか今回は、「応援よろしくお願いします」ってまっすぐにいえない内容な気がするのですが、
お気に召したらボタンを押してください。

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(追記)ウォーレン・バフェットだったら、今風評被害で値段が下がっている野菜を黙って買いそうだ。つまり、ここで野菜を買えないという選択は、地元の支援とかいう問題を超えて、その選択パターンが生活全体に「乏(豊の反対)」をもたらすとはいえまいか?
posted by 石塚とも at 18:56| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月21日

「根っこ」と「翼」

 ここ数日、美智子皇后のスピーチ(1998年)のことを思い出している。

 http://www17.ocn.ne.jp/~hana2/shiryou/mitiko-kougou_kouen.html

 このスピーチは、私の世界観の基調になっているテキストの一つだと思う。「統合された愛と犠牲(ヤマトタケルとオトタチバナ)」「でんでんむしの悲しみ(人は誰でも背中にかなしみをいっぱい抱えて生きている)」「私たちは、複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても」。
 中でも今、私の心をとらえているのは、読書が与えてくれたものとして美智子皇后が指摘する、二つの相反するベクトル―「根っこ」と「翼」についてである。

 すごく面白い。この二つはどちらもサバイバルスキルなのに、効果がまったく相反する。根っこを持ってたら飛べないし、翼を盛っていたら根をはれない。そして、本来、両方とも人間に与えられていない。「根っこ」と「翼」を持つのは、人間にとってはあくまで比ゆである。そして比ゆだからこそ、人間はその両方を持つことができ、二つを一人の人間の中で統合できる。

 私はこのブログのすべての記事、すべてのコメントを消さずに残してあるのだけれど、唯一削除してしまった記事があって(昨年の秋ぐらいだと思う)、その記事の中で、「孤児感覚」というものについてふれた。この「孤児感覚」とは、「自分には運命的につながれるもの(家族)がない」というあきらめの境地である。そして、「家族や共同体に属さないから冒険を楽しめる」という悟りの境地である。しがらみがないから荷物が軽い。動きも早い。そのかわり、こうなったら、共同体があなたを受け入れるとは限らない。あなたが死んでも誰も気がつかないリスクを負わないといけない。

「根っこ」はまぎれもない共同体感覚であろう。ぬくもりの感覚。人を愛している、人から愛されていると感じるのに、これほど強力な感覚はない。でもその代わり、自由意志だけで動けない重さをちらつかせる。

 そして、美智子皇后の指摘で大変興味深いのは、「根っこ」も「翼」も、「私の内側と外側に橋をかける」ときに、両方とも助けになった、といっていることである。

 あなたはこの数日、「根っこ」と「翼」、どちらに助けられて生きてきただろうか。
 チェコの映画に『オテサーネク』っていう、木の根っこが擬人化して人を次々食べちゃう映画があるんだけど、それみたいに家族の共同体にからめとられて息も絶え絶えだった私は、その後、着々と「翼」つくりにまい進してきた。ローフードも「翼」つくりの一環だったのだろう、と、今では強く思う。2006年にナチュラル・ハイジーンを始めたときから、「生理が軽くなることは、私のサバイバルの一環である」という思いが強くあった。実際、あのときの痛みだったら、避難なんかできやしない。今回みたいに、まさか移動の途中でことが起きてもトイレットペーパーだけで処理がすんでしまうほどに向上するとは思ってなかったが。(これ、どれだけ人生を楽にしているか)
 パートナーも王子様もいない私が、こういうときだけ「乗りなさい!」とやってくるペガサスを引き寄せたのは、偶然ではなく毎日うまずたゆまず作り上げてきた(もしくは思い込んできた)信念の具象化なんだろうと思う。マザー・テレサだってガンジーだって、信念がわらしべ長者のように運命につながるといっている。そう一日では変わらない。

 でも、今回の私の向上は、私が「根っこ」のほうもないがしろにしなかったことだ。ペガサスさんが、私の親まで背に乗せようとしたシーンを思い出すと、私は今でも目が白黒してくる。
(ちなみに、父の東京脱出は、東京の電力消費量の節約にかなり貢献してるんじゃないかと思う。)

 昨日、音声配信で「『いい人』といわれる男がいいのか『セクシーな人』といわれる男がいいのか」という話をしたけれど、結局のところ、私たちは、現在あらゆる局面で統合することを迫られているのだと思う。「迫られる」というより「ついにそういう局面にたどりついた」ということができるかもしれない。「セクシーで誠実」「根っこと翼は『橋をかける』という目的では一つのもの」。

 そういえば、4月から用意していたロービューティなセミナーの演題も、二つの相反する命題をいかにすりあわせるか、というテーマがやたらと多くて、つまり私たちが向かおうとしている先は、あらゆる面での「統合」だと思われるのだ。「便利」は保ちながらエネルギー使用を減らすとか、別の方策でいえば、「不便」でありながら幸福を保つとか。



↑まだこの一つ前の『ネガティブを愛する生き方』しか読了していないのですが。。。


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posted by 石塚とも at 17:59| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月03日

無(付加)価値なローフード

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 写真は、2月25日に福島市内で開催していただいたセミナーで、私と、オーガナイザーさんと、最初参加者だったのにいつのまにかスタッフになってくださったOさん(毎回仙台から来てくださる)と3人で作ったローフードなのですが、この写真を見て、しみじみ思った。

「価値」には2種類ある。元からある「価値」と、「付加価値」と。元からある価値は神様から与えられたもの。だから誰でも持っていて、誰も奪うことはできず、その価値を得るのにお金を得る必要はない。フリー。
 一方「付加価値」は、文字通り人が付け加えたもの。別になくても生きていけるもので、でも、それを人は磨きあげる自由も(あるいは依存も)持っている。付加価値だから、つければつけるほど、金銭的価値もつく。

 私が調理するローフードに「価値」はある。それは神様が与えてくれたもので私が与えたものじゃないから。でも、「付加価値」はあまりない。付加価値のないローフードを私は好んでいる。それは、ロー=未加工=神様から与えられた「価値」をいただくものだと思っているから。人が加えた「付加価値」をつけると、そのノイズで「価値」の声が聞こえなくなってしまうからだ。なんともったいないことだ、と、私は思っているわけだ。いちばんおいしいところが聞こえなくなるじゃないの、と。

 この3次元世界では、無農薬とか無肥料とか、かぎりなく「自然に近い」とされる野菜が、実はかえって膨大な手がかかり、したがって付加価値を伴う、という逆説をはらんでいる。ちょうど、芸術的な「ナチュラルメイク」が、気が遠くなるほどの細かい職人芸で作り上げられるのに似ている。私がそこらへんに売っている普通の野菜を好むのは、この「付加価値のない野菜」からこそ、しばしばクリアに「価値の声」が聞こえる、と感じているからかもしれない。

 ちなみに、こういう理屈をこねあげることは物書きの技術を伴うものなので、「付加価値」がある。だから、私はこの「付加価値」を使って現世の利益を生み出そうとしているわけだ。というわけで、ここに書いていることは「神の声」じゃないので、みんな、信用しないようにね。

 
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posted by 石塚とも at 23:49| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月15日

結局、「現在の良いもの」しか「過去の悪いもの」を洗い流していけない

 2011年最初のブログ更新です。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 年末〜年始にかけて、2つの場所を旅行しました。あんなに弥生会計で家計をしめあげていたのに、凡ミスから計算間違いをしてしまい、顔色まっさおでまさに「清水の舞台から飛び降りる」つもりで出かけていったのですが(とくに前半)、久しぶりに「新しい世界を体験する」を、今、この時期に、心の中だけでなく身体を動かしてしたことは代え難い体験でした。

 ローフードは「生きている」ものを食べる=あなたの身体の中に入って行く食べものと現在を共有することによって現在をより強く体感する食べものなんだと思うけど、食べものじゃなくても、結局は「現在の(良い)体験」が過去を洗い流していく。その繰り返しによって人は「変わっていく未来」に押し出される。つまり、「再誕生」はそうやって起こる。

 私のバレエの先生、N先生は、「人を癒すものは3つしかない。【自然】と【宗教】と【芸術】。【科学】は人を癒せない」という。自然も、宗教も、芸術も、現在の強烈な「よき体験」が人を(閉じ込められた)過去から現在に引っ張り、さらに未来に押し出していく、という括りで結べると思う。でもその条件なら【旅】も同じ括りに入れられるよね。

 猿は旅をしない。でも人は旅をする。人だけが旅することに意味を見出す動物なんだ。ホモ・トラベリング。

thefarm1026-02.jpg
↑こんなところに行ってました。

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posted by 石塚とも at 21:42| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

ローになるとなんで皆あんなに雄弁にしゃべりだすのか・2

 昨日、記事をアップしてから、ふっとくだらないことを思い出した。
 本当にくだらない話です。

 中学・高校の時、私はカトリック系の学校に通っていたので、課目に「宗教(キリスト教)」の時間というのがあった。
 で、その宗教の時間に、「一般的にはキリスト教の行事と言えばクリスマスだが、キリスト教信者にとっては、クリスマス(キリストの誕生)より、復活祭(キリストの復活)の方が重要と考えられています、どうしてでしょうか」
 と、シスターから質問があった。

 私は、答えがわかった気がしたので手をあげたが、シスターは私を指してくれなかった。
 他の生徒を指名して指名して指名して、さんざん、誤答(というかシスターが納得しない答え)や、「わかりません」という困惑の答えの後、結局、先生は私をあててくれずに、自分で答えをいってしまった。

「クリスマスで誕生したとき、キリストは人間の形をとって生まれた。でも、復活というのは、人間にはできないこと……神の子である証です。だからキリスト教徒にとっては重要な祭なのです」

 私は、自分の言いたかった答えがまさにそれだったので、先生が私をあてずに自分で答えをいってしまったときに、「あ、自分でいいたかったんだな」と思った。
 ……と、何十年も思ってただけです。ね、くだらないですね(でもいってちょっとすっきり)

 さて、人が一度死んで、神の子だからこそよみがえる、という現象とその解釈についてであるが。

 人が死ぬのは誰でもそうだと思うけど、「神の子」というのは、何か、神様から特別に選ばれたというような選民思想ではなくて、自分で自分を完全肯定できたとき、とも考えられる。

 とすると、「あ、私、これでいいんだ」「私は私なんだ」と思える瞬間というのは、再誕生=復活の瞬間であり、「神の子」と自分を呼ぶにふさわしい瞬間ともいえるわけだ。

 そう考えれば、復活=再誕生というのは、あらためて、本当におめでたいのである。
 ただし、キリストだけではなく、我々の誰にでも起こりえる現象として。

 うわー、異端思想かな。

 死ぬ、というのは、再誕生を待つ瞬間。昔の自分から完全に細胞を入れ替えるためにも、3日ぐらいは死んでいた方がいいのかもしれない。

 キリストも、復活するまでの3日間、酵素抑制物質がきいてたのかしらん、とか考えたりする(すみません、本当にくだらない話です、やっぱり)

 えー、再誕生に話を戻すと。

 人が再誕生するのは、自分が今まで否定したことや受け入れられなかったことにイエスといえるようになったとき。
 イエスといえるようになるたびに再誕生するから、人は何度でも死と復活を繰り返す。なんのことはない、細胞と同じで。
 ローを食べると、きっと、細胞の再誕生サイクルと、アイデンティティの再誕生サイクルは、一致してくるんじゃないかと思う。

 それって、ものすごく気持ちのいいことのような気がしませんか?

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posted by 石塚とも at 22:05| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月17日

ローになるとなんで皆あんなに雄弁にしゃべりだすのか

 先日、ローシェフ卒業制作発表会に参加させていただいて、しみじみ感じたこと。

 会の途中から、新人シェフたちが自分たちのレシピ制作したポートフォリオを発表することになっていたのだが、これがもう、みんなしゃべるしゃべる。北原さんから「ひとり3分以内で」と指示があったにも関わらず、守った人など1人もいなかったのではないだろうか?

 たぶん、10分以上しゃべった人、複数名(笑)。

 この現象は私にとって初めてではない。昨年の4月に横浜できくちゆみさんたちと一緒に講演したときも、終了後の懇親会、参加者の一言自己紹介のはずが、みんな、いかにローフードが(このときはホ・オポノポノも)自分を変えたか、しゃべるしゃべる。普通、順番がきたらささっと回す日本人とは思えたいのだ。たくさんの会をしきった経験があるゆみさんでさえ「みんななんでこんなにしゃべるの?!」と驚いていた顔が今でも目に浮かぶ。

 しかも、私がピンクの本で書いたように、誰も「力説したり」「叫んだり」するわけじゃないんだよね。こぼれるように言葉があふれてくる。

 あれはいったい何なのか?

 それはね。あれは、ローフードの話をしているのではなくて、「ローフードに出会った自分
」の話をしているのです。

 自分の再誕生の話をしているのです。

 私は横浜での記事のタイトルを「みんなが木のように大きくなって」と書きましたが、このとき、ガブリエル・カズンズ博士のリトリートの名前が「living tree」だとは知りませんでした。でも、人が木の成長のように次の年輪へと移行する瞬間なのです。

 それは、人生でもっともおめでたい話なのです。
 赤ん坊としての誕生は両親の力を借りて行われるけど(親を選んで生まれてくる、説には最近私も賛成ですが)、「再誕生」は自分自身の選択によって行われることだから。
 
 選択、です。
 それは、「自由」への第一歩ではありませんか。

 再誕生の話を聞くのが、私は大好きです。
 他人の再誕生の話ほど、自分の再誕生を促すものはないのです。

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posted by 石塚とも at 23:50| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月06日

死への誘惑

 英語教室は満員だし「父と娘のセッション」もお申込み定員突破だし来週ついに『ビジー・ピープル』のDVDも発売できるし、今月と来月は福島県で3回講演するし(まだ告知してない)、チョコレコさんと旦那さんには「弥生会計教室」の第1回生徒になってもらって「会計アレルギー」は3時間でとれるということを体験してもらったし、(報告はこちらこちら) 今こんなことを書いている場合ではない気もするのだが、昨日、このカード「死の誘惑」をひいたときはかなり衝撃だった。
 午前中、レクチャーしてたときから、何かがむずむずしてたような感じは確かにあったのだが。
 
 それにしても、

「このカードは、疲労感、燃えつき、大きな苦痛、『生きていてもしかたがない』と言う気持ちをあらわしています。」

「このカードを引いた人は、自分が「死の誘惑」を感じていたことに気がついていません。」
   
「『喪失感』、『傷心』、『罪悪感』、『失望』、『権力争い』、『激しい疲労感』、『消耗して燃え尽きる感じ』、『屈辱感』、
『肉体または精神的な苦痛』、『自分には価値がないが無いという感じ』、『自分にも人生にも何の意味も感じられない』、もし、これらの感情を感じていたら、やがて死の誘惑になってゆきます」

 ……って、いったいなんなのよ?!

 ちなみにこのカード、めちゃめちゃ当たるので、やってみたい人はこちらからどうぞ。

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posted by 石塚とも at 23:40| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月15日

ロービューティジャパン・フィニッシング・スクール構想2

 昨日のの記事はわーっとよどみなく書いて、見返してみたら長文なので自分でもびっくりした(笑)。(なんか、久々に気持ち良く長文を書いた気がする)。イメージがかなりはっきりしていたのかもしれない。

 それに対して、拍手もいっぱいいただいた。「今、幸せになるために何を学べばいいのか?」というナビゲーションは、やっぱり必要とされてるのかな、って思った。
 
 よく、「学校で何を教えればいいのか」って話題になるけど、本当に必要なことって、文部省の認可なんか待ってられないぐらい、すぐ変わる。
 でもちなみに、私が作った7つのリストは、かなり普遍性がある。時代遅れってことにはならない。ちょっと基本をかじっただけなら、ずっとあなたを支えてくれる。
 そういうものを教えたいな、と思った。

 この発想がぼーっと浮かんできたのは、夏休みに英語教室をやっているとき。自分でも結構「説明がうまいなあ」と思うようになって、もっと、自分が身につけるのに苦労したことを映画だけでなくいろいろ教えてあげられたらな、と思うようになった。

 とどめになったのは、私がツイッターでツイットしまくっていた、映画banner88x31.jpgで(今週の週刊金曜日にも映画評が出るのでよかったら見てください)。あの、りりしい吉宗将軍のキャラがすっかり入っちゃってね、うふふ。
 
 4年間ローフードをやってきて、ローで素早く結果がでること、結果は出るかもしれないけどローだけだと時間がかかることは何か、それぞれ見えてくるようになった。
 後者の例が、「言葉の毒」だ。

 毒のある言葉を吐いてしまうということは、身体と心に毒がたまってるんだろうけど、それをローフードだの断食だの肝臓デトックスだので毒ある言葉を吐かないところまで浄化しようとすると、1年ぐらいかかってしまうかもしれない。
 でも、ノンバイオレント・コミュニケーションを覚えたら、3秒で解毒する。
 深めなくてもちょっとした基礎だけでそうなれるのだし、だったら、NVCちょっとかじっておいた方が効率的だと思いませんか?
 
 私はTOEICの得点が800点ないし、財務諸表は1回決算表作ってから「できるようなりました」っていえる途中の段階だし、セクシャル・アファメーションも若干あぶなっかしいところがあるけど、できる人が教えることがうまいとはかぎらないし、私の場合、自分ができることに関しては他の人もできるように着実に言語化できる(だから、直さんの前では90パーセントしゃべるわけです(笑))ローフード・エヴァンジャライズしてるけど、スペシャリストじゃなくてジェネラリストなんだろうな、って思う。ビジネススキルも、きほんのきがわかれば身につく。「お金もうけ」という言葉にアレルギーを起こす前に、それを身に付けた後から自分との距離を考えても遅くないんじゃないかな、って思う。

 もう1回書いてみるけど、

・食べもの(ローフード)
・掃除(家の掃除は純さんに委任かな、情報整理やPCスキルは私の得意とするところ)
・財務・会計知識(イコールお金の整理整頓。この夏、弥生会計を覚えたことで私は一気にパワーアップ。実はローフードビジネスがちゃんとできるかどうかはここにかかっているのでは?)
・英語(情報収集能力も世界の広がりも違う)
・日本語コミュニケーション(ノンバイオレントコミュニケーション。食べものと同じで、「伝統」だと思ってたものをなんとなく受け継ぐより、自分の常識をいったんゼロにして学んだ方が結果が早いと思う)
・セクシャル・アファメーション(女性としての自分を愛し、異性、同性との関係をいかに作るか)
・超基本ビジネス・スキル(コンテンツ、セールス、マーケティング、コピーライティング、倉庫管理、アカウンティング、2年かけて試してみて失敗と成功と実験をして一通り学んだ)
・コア・ビリーフ・シフティング(意外と簡単だった……)

 この中で、「あーちょっと人がコツを教えてくれたらラクになるんだけどなあ」って思うものが、意外とあるんじゃないかな。あるだろうな。

posted by 石塚とも at 14:33| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

ロービューティジャパン・フィニッシング・スクール構想

 「フィニッシング・スクール」というのは、イギリスとかにあるいわば「花嫁学校」のことなんですけど(ピンクの本に出てくるスザンナは、由緒正しき名門の出身であるためここに行ったのだそうですが、すでに彫刻家になると決めていたので嫌で嫌でしょうがなかったらしい)、別に専業にしようとか、学校法人にしようとか、ましてや公式HPの中央でエレガントなスーツを着てほほ笑む「校長の私」の写真をのせようとか画策しているわけではありません。全部のことをお金をとってやるかどうかもわかりません(多少はとると思います。英語なんかはもう始めてるし)。

 でも要するに、「女性が幸せに生きるために知っておきたい○つのスキル」みたいなののリストアップを私は作り上げていて、それを知ったらみんなもっともっとハッピーになるんじゃないかなあ、と思っているものがある。ロービューティジャパン版「女大学」とでもいうべきか?
 それが知れるかどうかは「お金」か「運」、どっちかな気がする……。お金を払って正式な生徒として学ぶ人もいるだろうし、ちょいとローカフェで同席したときにぺらぺらしゃべっちゃうかもしれない。それは神様が決めることなので勘弁してください。

 そのスキルはというと……。

・食べもの(ローフード)
・掃除(家の掃除は純さんに委任かな、情報整理やPCスキルは私の得意とするところ)
・財務・会計知識(イコールお金の整理整頓。この夏、弥生会計を覚えたことで私は一気にパワーアップ。実はローフードビジネスがちゃんとできるかどうかはここにかかっているのでは?)
・英語(情報収集能力も世界の広がりも違う)
・日本語コミュニケーション(ノンバイオレントコミュニケーション。食べものと同じで、「伝統」だと思ってたものをなんとなく受け継ぐより、自分の常識をいったんゼロにして学んだ方が結果が早いと思う)
・セクシャル・アファメーション(女性としての自分を愛し、異性、同性との関係をいかに作るか)
・超基本ビジネス・スキル(コンテンツ、セールス、マーケティング、コピーライティング、倉庫管理、アカウンティング、2年かけて試してみて失敗と成功と実験をして一通り学んだ)
・コア・ビリーブ・シフティング(意外と簡単だった……)

 今上げた感じだと、以上の7つかな。これが必修であとは選択科目とか。(「家庭菜園」とかありそうだけど、私には教えられない。運動は各自でお好きなものをやってください)

 なぜそんなこと思いついたかって?
 それはね、私が考える健康とは、自己責任能力の拡大に他ならないからです。
 そして、上記の7つは、いずれも、自己責任能力の拡大につながると考えた。

 私に習わなくてもいいから、機会があったら、身につけて欲しいなあ、と、願ってみる。
 みんな一生の宝になるものだからね。

posted by 石塚とも at 19:01| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月21日

奈良時代の役人、肉食だった?

 6月18日の新聞、ニュースで取り上げられたようです。

 奈良時代の官庁街だった平城宮跡・東方官衙(かんが)地区(奈良市)で見つかった、土壌化した糞便(ふんべん)から、牛や豚、ニワトリから感染する寄生虫卵が検出されたとのこと。

 当時は、「肉食禁止令」が何度も出されているのですが、まるで禁酒法と飲酒のように、一度知ってしまった肉の味はやめられなかったのでしょうか。

NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100618/t10015194351000.html

消えちゃう可能性があるので、PDFに落としました。
奈良時代・肉食.pdf
 
 ところで、当時はトイレット・ペーパーがありませんでした。ではどうしたかというと、細く切った木片で、さらうようにしてふいていたようです。(これを「籌木(ちゅうぎ)」といいます)。それにしても、5月に来日したヴィクトリア・ブーテンコさん、ウォシュレットにいたく感激されてみたいですね。「デトックスの絵」をホワイト・ボードに描くとき、トイレットの絵の脇に、ウォシュレットであることを表すボタンを丁寧に丁寧に描いていらっしゃいました。

posted by 石塚とも at 23:06| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月17日

小食

 小食をすると、身体に「すきま」ができる。

 その「すきま=スペース」から生まれてくるのは、

 希望である。

 余計な食は、絶望を作る。

posted by 石塚とも at 23:29| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月11日

シャーロック・ホームズと食肉加工

 本日(3月12日(金))に公開される、ガイ・リッチー監督 ロバート・ダウニーJr 主演『シャーロック・ホームズ』。アカデミー賞レースからはずれたためにあまり話題になっていないのですが、ベジタリアニズムの視点から、また、現代とは何かを考える視点から、大変に興味深かったのでちょっと解説したいと思います。

「ちょっと世の中を面白く見られるようになったわ」と思って帰っていただければ幸いです。

 舞台は1891年のロンドン。1891年といえば明治5年で、西欧諸国+日本が文明開花、近代化、工業化、帝国主義化にまっしぐらに走っていく年です(しかも舞台は、産業革命発祥の地、イギリスです)。予告編を見てもらうとわかりますが(よくもまあこういうことにVFXを使おうと思ったアイディアには脱帽しますが)、ロンドン名物、タワー・ブリッジが建造中なんですね。この絵が、1891年のロンドンがどういう時代かを一発で表している。
 予告を最後まで見てもらうとわかりますが、クライマックスでは、この建造中のタワー・ブリッジの上で大立ち回りがあります。近代化、工業化、帝国主義化していくロンドンをホームズが駆け回る。造船所でもアクションがありますし、化学工場でもあります。なかでも興味深かったのが、解体される前の牛が多数つり下がっている、食肉加工場でもアクションがあったことなんです。

 「食肉加工(とくに牛肉の)」は、近代化、工業化、帝国主義化の一つの表象だ、というふうに、この映画でははっきりといっているわけです。

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posted by 石塚とも at 23:37| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月03日

ドストエフスキーから学ぶこと9

【「肉を食べるのをやめると、『皿に盛られた動物の死体』を見るのがどんどんキツクなってくるのは、つまりは『馴れ』の問題ではないか?」という仮説について】

前回までは、こちら。

「馴れ」っていいきったら身も蓋もないと思う人もいるかもしれませんが、どうしてどうして、なめてはいけないものだと思います。

「習慣が人間を作るのだ」といっている偉人は、他にもいます。マハトマ・ガンジーは、「習慣が価値観(人格、と訳しているところが多い)を作り、価値観は運命を作る」と言っていますし、20世紀初頭の画家、ピエール・ボナールは、「習慣は偽りの友を作る」といっています。スティーブン・コヴィーの『七つの習慣』
も、人間を作るのは、実は「習慣」に他ならないのだ、という結論から出発した書でしょう。

 家畜をのぞくと、動物には「習慣」はないのです。したがって、「習慣」が動物を変えることもないのです。野生動物は、通常、一代かぎりの一生では変わらないようなゆるやかな環境変化の中で生きていますから(最近はそうでもありませんが)。適応したときは、海イグアナみたいに、種そのものが変化している、というか。。。

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posted by 石塚とも at 21:17| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月01日

ドストエフスキーから学ぶこと 8

【肉食をやめると動物の死体が皿にのっかっている風景が
どんどんキツクなってくる心理と、ロシアの文豪、ドストエフスキーさんとの関係について】
前回まではこちら

 思想犯でシベリア送りになってしまったドストエフスキーは、昼間は厳しい自然環境下で過酷な労働、そして、日が暮れると、30人の囚人が風呂も入らず、油ろうそく一つの明かりだけの、罵詈雑言と、鎖の音と、人いきれと悪臭がたちこめた部屋に閉じ込められることになります。当たり前ですが栄養状態だって「やっと生きてるだけ」の分しか与えられません。

 とくに彼がつらかったのは、ひとりになれない、ということで、彼は、実体験を基にした小説『死の家の記録』で、

「十年間(小説なので)の徒刑生活の間、一分一刻もただの独りきりになれないということが、い
かばかり恐ろしく悩ましいものであるかを、想像することもできなかった」

 と書いています。

 しかも、その暮らしから脱出できるのか、できるとすればそれはいつなのか、未来はまったく見えません。

 では、そのつらい状況を、彼は、いったいどのように乗り越えたのでしょうか。

 自分の心理的変化を見つめて、彼は、深い深い発見をするのです。

「人間は、いかなることにも○○る動物である」と。

 え、聞こえなかった?

 ではもう一度。

「人間は

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posted by 石塚とも at 21:28| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドストエフスキーから学ぶこと 7

 久々、哲学シリーズ。
(今までの続きはこちら。)

 フュードル・ドストエフスキーは、1821年11月11日生まれ。15歳までモスクワの生家で育ち、1846年、処女作『貧しき人々』を批評家ベリンスキーに「第二のゴーゴリ」と激賞され、華々しく作家デビューを果たします。
 ところが、続けて発表した『白夜』『二重人格』は酷評され、さらに「空想的社会主義サークル」のメンバーだったために、皇帝ニコライ1世の弾圧により、1849年に官憲に逮捕されてしまいます。
 死刑判決を受けるも、銃殺刑執行直前に皇帝からの特赦が与えられますが、シベリアのオムスク刑務所に服役することになります。

 こうして、思想の自由に介入された彼は、4年間の獄中生活を送ることになるのです。

(ゆるゆると続く)

circus1.jpg
↑思い出写真館。おなじみ上海雑技団。私は「身体の変化(へんげ)」というのものにとても興味があり、観賞をとても楽しみにしていました。150元(約2000円)前後で、よい席で見ることができるようです。

posted by 石塚とも at 00:02| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月01日

ドストエフスキーから学ぶこと 6

(今までのシリーズは、こちら

 とくに動物愛護を意識しているわけでもないのに、動物性のものがだんだんダメになってくる。見てキツクなってくる。

 これはなんじゃいな、と、考えてみると、

 人間って、動物を見たとき「かわいいな」という気持ちと「おいしそうだな」っていう気持ちを両方持っている。
 でも、食べ物として見ているときは、「おいしそう」という気持ちのほうが優先されているので、「かわいいな」は「おいしそう」をさまたげないように、コントロールされている。

 しかし、「食べもの」として見ることをやめると、「かわいいな」の感情を制御しなくてよくなるので、思う存分表面化する。
 顔があるものは自分と似て感じるし、もも肉にフォークを突き刺すと、自分のももにフォークを突き刺してるような感覚が出てきちゃう。

 これは、お肉食べているときには隠されている感覚なので、両方体験して初めて、「あーこれはお肉食べている人には、菜食の人がどれだけキツク感じてるかはわからないだろうなー」と実感しています。

 さて。

 肉食べるのやめてしばらくたつとどんどん気持ち悪くなってくる理由は、もう一つあって、こっちの理由のほうが大きいんじゃないかなー、と思います。

 その理由は。

 というわけで、ここでやっとドストエフスキーさんの登場です(笑)。

(ゆるゆると続く)


 
posted by 石塚とも at 10:09| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

ゆるエロ #rawfood #relationship

 おいしくて健康になれる話題で無害に見えたこのブログを、突然、コントラバーシャル(=物議をかもす)ブログにしてしまった、「ロー・ラブ」の概念(過去ログシリーズはこちら)。

 このカテゴリーだけは本当にうまく書けなくって、今読み返してみると顔が赤くなったり全部消して何もなかったことにしたくなったり(汗)、non violent にうまく表現できなくて反応的なコメントをいただいてしまったりといろいろなことがあったのですが(そして、いまだに「ロー・ラブってなんだ?」という気もしますが)、でも、気がついたら、自分のやりたかった形に、すーーっかり落ち着いていました。
 
 一緒にいるときはいつも笑っているようになりました。でも、お付き合いの度合いは、すご〜くゆるい。
 この一年間、7時間以上一緒にいたのが、相手ひとりに対して、2回ぐらいしかない。

 私が異性とのお付き合いで「こんな感じだといいな」と思っていたのは……。

・絶対にけんかしない。
・絶対に別れない。
・適切な距離(自分の場合はかなり遠い)の性的コミットメント。
・でも、お互いに異性として魅力を感じていることはちゃんと伝わっている。
だから「ゆるエロ」)
 
 3番目の「適切な距離」がどれぐらいかというのは人によると思うのだけれど、自分の場合は、住居を共にしたり、家計を共にしたり、子供を作ったりという、人生的に深いコミットメントを求めていない。生活全体に関するコミットメントが薄ければ、性(も生活の一部)へのコミットメントも薄くなる。
 というわけで、「セフレ」というのは、よくわかんないなー、と私は思っている。生活全般へのコミットメントが薄いのに、性へのコミットメントだけ濃い、というのは、バランス悪く感じる。

 食生活から「感じたくない感情から逃げる」「ストレス解消」「愛情確認」という意味づけがなくなってくると、性生活にもそれらの意味づけはなくなってくるし。

 「絶対にケンカしない」と書いたけど、意見の違いを飲み込んだりフィードバックを避けたり、ということではない。ていうか、意見の違いやフィードバックでケンカは起こらない。ケンカが起こるのは、相手に自分の期待する姿をあてはめたとき。それがないので、ケンカのタネが生まれようがない、っていう感じだ。

 そんな感じで、ゆるーくゆるーく、でも「友情」というわけでもなく、しかも自分で苦しくなってしまうことなく関係が広がっていく、今の感じがいいな、と思っている。



 
posted by 石塚とも at 01:57| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月12日

ドストエフスキーから学ぶこと 5

【四足動物だけじゃない】

 この、銀座有名中華料理店(カタカナ文字)は、私が出没する銀座界隈の地下鉄にたくさん広告を出しているのですが、どうもこちらと相性が悪い。

 子豚の丸焼きはもちろんですが、「鯉の姿揚げ」なんてのも相当キツイ。

 鯉が

「あ!」

 と軽く声出して(あいまい母音を発音しているように見えるのは私だけ?←英語勉強しすぎ^^; )息絶えている瞬間でたんぱく質固まってる気がして。

 要するに、顔のあるものは全部きつい、ということです(貝とかみたいに顔なくてもそれはそれできついけど)。

 話はちょっとそれますが、私の祖父は、主義上ベジタリアンでもなんでもなかったのですが、やはりこの「顔のあるもの」が苦手で、ある大きな工場に勤めていたんですけど、昔の終身雇用制の大企業ですから、花見会とか、秋には運動会とか、いろいろ行事があるんだそうです。そこで、弁当が出て配られるたびに(鯛の尾頭つきとか入っている)、

「う、うわ〜」

 と叫んでひっくり返る、というのを、毎年やってたそうです(素朴な工場労働者です)。

 私は昔はこの祖父の態度が苦手で(おじいちゃん、少しは学習すればいいのに)とか思ってましたが、この時期になって、彼の気持ちが少しわかるようになるとは思いませんでした。

 ちなみに、祖父は、顔のないものならオッケーなので、彼にとってもっともごちそうなのは、「おでん」でした。あと、頭をとられて作られている「エビフライ」も好きでした。

(ゆるゆると続く)


 
posted by 石塚とも at 01:01| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月05日

ドストエフスキーから学ぶこと 4

【肉のハ○マサだけじゃない】

 一昨日までの記事も直してないし、いまさら伏字にしてもしょうがないですが……(汗)。

 「キッツー」と思うのは、肉のハ○マサだけじゃないんです。

 ミート・イーターの人にとってはなんでもない風景が、急に暴力的なキツサとともに目に飛び込んでくるのです。

 映画関係の仕事でしばしば地下鉄銀座駅を利用するのですが、銀座線ホームの浅草方向に、某有名中国料理店の広告があります。

 こ、これが……。

「子豚の丸焼き(姿のまんま)」なんですよね……。

 顔のあるものが、焼け焦げた姿で、パセリかなんかに飾り付けられたお皿の上に盛り付けられているというのは、きついんですよ〜ほんとに〜。
 思わず、「悪趣味!」とジャッジしてしまいそうになるのを踏ん張って止めているわけです。
 


(ゆるゆると続く)



posted by 石塚とも at 22:29| ちょっと哲学的なこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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