ナチュラル・ハイジーンでは、「究極の健康をめざす」というゴールがあります。そのため、動物性タンパク質にしても、乳製品にしても、糖分にしても、「無理せず、食べたかったら食べてもいいのよ」とは決していいません。「食べることにはどういうリスクがあるのか」具体的に数字をあげて示す(○○をX年食べ続けると、△△ガンのリスクが☆倍に増える)ことで、情報を提供し続けています。
対してローフードというコンセプトでは、今のあなたの状態に寄り添うようなアプローチが多いように思います。ヨガやスピリチュアルな世界とつながっているグルが多いせいか、「甘いものが食べたくても、ナッツが食べたくても、それは今のあなた」という寛容さがあります。
ナチュハイの方がともすればとっつきにくく、対してローフードはがやさしい感じがするのはそのせいかもしれません。人間って間違ったことをしたり病気をしたりする中に「生きる面白み」とか「ドラマ」があるような気がするんだけど、ナチュハイをやってると、「病気になりたいならそうしなさい」って言われているみたい(笑)
それを踏まえて、今の私は、なるべくナチュラルハイジーンの厳しい(笑)教えを実践していきたいなと思っています。
というのは、人間というのは、肉体的に健康になったその先に、初めて自分だけが直面する「自分の問題」があるだろうと考えているからです。それを超えることの方が、ドラマティックだと思っているからです。
巷間、みんなが「人生を楽しむ」だと思っていること、〜(酒を飲んだり、おいしいものを食べたり)、あるいは「ドラマ」だと思っていること(経済的成功を目指したり、恋に胸を焦がしたり)といったことは、実は、「自分の人生」じゃない。「自分の問題」じゃない。誰かに筋書きを書かれた人生。
肉体が健康になり、ひいては精神が健康になって、そういうことから興味がなくなったとき、やっと自分の人生が始まるのです。自分の実存をどうとらえるか、という問題が初めて現れるのです(サルトルはそれと直面したとき、気持ち悪くて吐きそうになったらしいです)。
おおお、とっても哲学的なところまで話がいってしまいました。でも、今、私が考えている、ナチュハイ(ローフード)の最大の魅力がこれです。
健康になるには勇気がいると思います。だって、そのときはじめて自分が見えちゃうから。でも、その勇気さえ、ローフードが与えてくれますから、大丈夫。
いつも興味をもっていただいてありがとうございます。
ブログ村のローフードカテゴリもにぎやかになってきました。(現在22)
ご自分の選択のために、情報収集してみてくださいね。
ブログ村 ローフード
ブログ村 料理ブログ
2008年11月11日
RBJブックストア 現在のオススメ本と文具ベスト6 |
(2022/12/16更新)
私はナチュハイを先に知ったため、
ナチュハイ→果物・野菜・加熱70%はOK、食べる時間、食べ合わせにルールあり
ロー→ナッツを多用で高カロリー、もどき食、マクロビの生バーション、ちょっと宗教ぽい・・
という風に理解していたので。
ナチュハイやローは明るい、きれい、元気に対しマクロビは茶色、修行、精進などの言葉のイメージです。
どちらにしても、あまり厳しくしすぎず楽しんでやっていきたいです。(生サラダばかりでは飽きるので)
石ともさんが以前から、「ローの先にあるものを見たい」というようなことを書いてらっしゃるので、わたしなりに、生菜食について勉強してみました。生菜食といえば、日本では甲田療法。青汁一杯だけで生活している鍼灸師さんの話など、とても霊的な感性が研ぎすまされてくるらしい印象を受けます。
誰かに書かれた筋書きじゃない完全オリジナルな人生って、そんな物がもしあったらスゴいです。だって、人間が積み重ねて来た文化というか、発明というか、なんかスゴい新しいぞ、これは!!っていう考えなんかも前に誰かが考えてたり、本を書いてたりするもの。その先を目指すんですね。素晴らしい!!
生菜食実践者はとても美味しいから毎日同じものを食べるらしいけれど、一般人は「あんなもんまで食べて健康になりたくない」と思うもの。それに比べるとナチュハイは食べる喜びも調理する楽しみも残ってるような気がする。
ところで、朝のグリーンジュースがとても寒くて、寒さに負けて生度が減ってます。石ともさんは最初の冬をアメリカの暖かいところですごされたのかなあ、と思うのですが、生の越冬問題、ぜひ取り上げて下さい。凡人は寒さに完全に負けてます。
それから、ローの先に行ってしまっても、そこから凡人にも分かるメッセージ送って下さいね。石ともさんの未知への旅立ち、応援しています。
>きわこさん、
松田先生の著書で最近「ローフード」のことが
よく書かれているのは、日本でもローフードの知名度が
上がってきて、読者に受け入れられやすくなったと
考えているようです。たしかにここ数年で、状況はとても
変わりましたよね。
サラダは、本当においしい野菜なら飽きないかもしれない
なあ、と、北海道に行って以来思います。
実はついにベランダで野菜を育て始めました。
また報告しますね^^
>ぺんぎんさん、
んっとねー、反対にいうと、「不健康である」ということは
「他人の物語を生きている」ことかもしれないと思うの。
自分の物語は本当はとても面白い。でも、
「他人には共感してもらえないかも」
「自分の物語なんて、劇的でないし、つまらないかも」
「本当に劇的な部分は、恥ずかしくてさらせない」
この3つが邪魔しているように思う。
ローを続けていて得たのは、この3つが改善していく感覚なんです。だからえろえろ小説(笑)
確かに(笑)
石ともさんの、哲学的なローフードの話、おもしろいです。
肉体的に、精神的に健康になったときに、自分の人生が始まるって。
松田先生がきらきら輝いてるのは(比喩じゃなく、間近でお目にかかって、本当にそう見えました)、そういうことと関係してるのかな。
本の出版本当におめでとうございます。
集いにもマイプレートマイ箸などもって参加したいんですけど、遠くに住んでるので無理そうです。いつか週末などのプランで参加できる日を楽しみにしています。石ともさんの哲学的見解が聞けるのが本当に心からの楽しみです。というのも普段ふっと “何かが”からだ、または心に起こっているときに浮かぶ考えを言葉にできないままに日々が過ぎてしまってるんですが、石ともサンのブログを読むことで究極の同感と新しい見解が自分の中で定着していく精神的感覚は本当に感動を超えた喜びがあります。
心に浮かぶことを全て書き続けていってください!
応援してます。
松田先生のセミナーのシェア、興味深く排毒しています。
先生はほんとうにキラキラ輝いていましたね。
あと、ローフーディストの特徴かと思うのですが、
どこかイノセントというか、少女みたい。
歳をとるとたまってくるのが当たり前と思われている
よくいえば「人生の年輪」悪く言えば「しがらみ」
がどんどん排出していってしまうんじゃないかと思います。
追記)「拝読」と書こうとしたら「排毒」って誤変換されちゃったよ。大笑いなので残しておきます。
(うちのPC,「勇気」と書こうとすると「有機」と誤変換する…)
内面のこねこねを書きつづるのは私のもっとも得意とするところなのですが(笑)
ただ内側だけ書くのではなく、「ローフード」という、世界と自分をつなぐまさに「触媒」が
できたことで他の人にわかりやすくなったかな?
と思います。
それが他の人の内なる感覚を呼び覚ますことができたら
本当にうれしいです。ありがとうございます。