2009年05月04日
自分の欲望を口に出すということ
前にも書いた気がしますが、私がローフード的にあらまほしいイメージの一つは、
「近所のレストランにランチを食べに行ったときに、ごく普通に定食メニューが『食前果物→大サラダ→メイン1品(ヴィーガン)→別料金でいいからローデザート』という構成になっている」
というものです。
つまり、私(買い手)が何も言わなくても、店(売り手)がこちらのニーズをわかっていてくれる状態になったら、ラクでいいなー、と思っているわけです。
もしもレストランでなくても、売り手であれば、この状態は常に目指したいものです。昔「包丁人味平」という漫画に、お客さんが店に入ってきたとたんその人の服装(職業)顔色(健康具合)なまり(出身)などから味の好みをひと眼で見抜いて一杯一杯味付けを変えるラーメン屋の話が出てきましたが、こうあればお客様にも感謝され、経済的にも成功するでしょう。
……と、売り手としての心構えを書いてみたし、最近まではいちいち自分の希望を伝えないといけない外食に疲れて、「金を払う側なのにこんなのってないんじゃない?」と思っていたのですが、最近、それって違うんじゃないか? と思う始める今日この頃です。
というのは、お客は、「お客」というより対等な「取引相手」として、自分の希望を常に伝えていくのが仕事じゃないかと思うようになったのです。
商取引のシーンであってもなくても、家族であっても恋人であっても職場であっても、自分の欲望は自分でわかり、自分で言葉にして相手に伝えないといけません。それが自分が何者であるかということに対して責任をとることなのだと思います。
もちろん他の方法で伝えることもできるでしょう。「そぶり」でもできるかもしれないし、人によっては「反対のことをいう」ことで伝えている場合もあります(よくある気がします)
そういうほうがドラマになりやすかったりもします。
でも、自分の欲望を自分で言語化して相手に伝え、相手にそのとおりのことをしてもらい、お礼をいって終わり、というのは、それに比べたら地味な(簡単に交渉が終わるから)交流です。でもそれが一番「平和」ということなんじゃないかなと思います。
人が自分の欲望を伝えるときに「そぶり」で伝えてしまったり、「反対のことをいって」伝えてしまうのは、それがその人の「馴染んだやり方」だからです。ホ・オポノポノでいう、「過去のデータ」とはそのことをいうのでしょう。ものかき的にいえば、「その人の古い物語」にのっとって伝えてしまっているということです。
でもね、この「過去の古い物語」を捨てて、自分の欲望をそのままの形で伝えてかなえてもらう、という、地味なコミュニケーションの方式には、とても大きなご褒美があるのです。
それは、相手から、「あなたの欲望をかなえさせてくれてありがとう」という一言がもらえる、ということです。
相手が、あなたに愛を与える存在になるチャンスは、あなたがあなたの欲望を知り、伝えることで作りだされるのです。
レストランに入るたびに、またはローのことを知らない人と食事をするたびに、毎回毎回「フルーツは先に食べるの、次にサラダを食べるの」といい続けるのは、自分の心の中をのぞきこみ、自分の欲望を知り、伝える修行のようです。
単調で地味な修行です。でもこの修行を繰り返すことで、「自分は何が食べたいのか」だけでなく、すべての領域で、「自分は何を求めているのか」「自分は何をしたいのか」という欲望を探る作業がしやすくなることに気が付きます。
「自分の欲望を探る」というのは筋肉運動なのです。毎日繰り返して鍛えるものなのです。探るだけでなく、それを口に出すのも筋肉運動です。
ローフードを食べるということは、自分の食べたいものに主体的な選択をするということです。野生の動物なら選択なんてしないで自然にやっていることなのに、人間は「主体と責任」というもっとも人間らしいコンセプトでもってローを食べ始めるということがおもしろいなあといつも思います。でも、自分の食べる行為に主体性をもち、食べる行為に責任が持てるなら、そしてそのことを気持ちがいいことだと思えるなら、他の行為に主体性を持ち、責任を持つことも楽になっていくでしょう。
おいしい主体性と責任。それがローフードです。
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(2022/12/16更新)
「自分の欲望は自分でわかり、自分で言葉にして相手に伝えないといけません。」
私は以前、これが出来なくて、大切な友人と袂を分かってしまいました。
変な思いこみが邪魔して、当たり前の距離感がとれなくなっていたようです。
ローを食べるようになって、
物事を素直にとらえる事が簡単になりました。
距離の取り方を本で学び、無理矢理強制的に距離をとったり、
四苦八苦していた頃に比べて、なんと楽なことか。
今では、自然に言葉にして、伝えることが出来ます。
改めて、石塚ともさんの本に出逢い、ローにはまって良かったです。
ありがとうございます。
全然関係ありませんが、今回の内容で、
昔距離感を学んだ本を、ひとつ思い出しました。
「サレンダードワイフ−賢い女は男を立てる−」 ローラ・ドイル
この本は究極の恋愛加工系ルールズ路線の本ですが、
第三章で、今回と同様の結論が語られています。
違う考え方から、同じ結論に至り、そしてまた違うものを目指してゆく。
十字路でふと出逢って、またそれぞれの道を行くような、
一瞬の触れあいがあったみたいで、個人的に嬉しかったです。
個人的に一番の収穫だったのが
石ともさんが教えて下さった「ノン・バイオレント・コミュニケーション」でした。
早速、日本で唯一その対話メソッドが書いてある本を取り寄せて読んでみたら
ものすごい衝撃でした。
ホ・オポノポノの「全ては自分の責任だ」から出発し
だからこそ主体的に自分ですすむ道をポジティブにクリエイトできる!という確信
瞬間瞬間の選択を見間違えない様に
自分を明らかに観て 心の底の感情や欲求を発見し
分かるように伝える筋肉をつくりたい!って決めました。
今はものすごく苦手なことなのですが
10の20乗倍に 劇的に自分は変化できるんだってイメージング
して日々練習しています。
素晴らしいものを教えて下さり、ありがとうございます!
食に関して、こういうスタンスを持った人達が世の中に増えて、ベジタリアンでもノンベジでもローフーディストでも。自分がどんなスタイルを持っていようが、臆することなく、凛とした態度で食事を楽しことができる世の中になればいいなと心から思います。
そうなるには、今あるローフーディストたち(マクロビアン、ベジタリアン、ヴィーガンも)の地道な努力が必要なんだと思います。そして石塚さんの存在もね!超重要!
「相手に伝えないといけません」は、
「相手に伝えるのが一番確実です」と
書くべきでしょうが、これってとてもローフードと
似ていますよね。栄養をつけるためには
ローで加工しないで食べるのが一番確実なのに、
お肉を食べたりケーキを食べたほうが
ドラマティックに力がつく気がする、という。「サレンダー・ワイフ」は気になっていたのですが、きっと最後に
そういう感じのことが書いてあるんじゃないかな、と思ってそのままにしていまいました(笑)
>紗和さん、
はじめまして、
最近「ノンバイオレント・コミュニケーション」の
話はゆみさんもするひまない(ローフードとマシュー君とホ・オポノポノでいっぱい^^)
って感じですが、
ローフードと同じぐらい大切なスキルなので
ちょっとでも触れられてよかったかなと思います。
このブログでも少しずつ書いていくつもりです。
>yoccicoさん、
そうですね、お肉を食べる人でも、
「その事態に責任がとれる」という食べ方であれば、
実はそんなに無害でないんじゃないかっていつも
思っています。
私はNH&ローフードを始めて以来、外食はしていないので、まだ未経験ですが、お店選びから禁煙から大盛りバラエティサラダはYESかNOか・・など、考えると大変だなと思っていました。
ただでさえ、今の私達を取り巻く食環境は加工食品や添加物のオンパレードで包囲されているような状態で、それはそのように牛耳る人達が商業ルートから開発ルートさらにはマスコミのCM作戦に至るまで仕切ってきた(マインドコントロールですね)からであり、そして消費者自身も欧米ナイズドされた食文化を好んで取り入れてきた背景があったからであり、添加物を複数種類組み合わせてまでも食感にこだわったりした結果ですよね。
だからこそ、今私達は自分の体からローの世界を取り入れ、体現しようとしているからには、やはり汚染されきった体質の市場へ突入していかなければならない感、というのを感じずにはいられません。
私も、資金とか仲間がいたら、ちょっとばかり街中にてセンス良く展開できないものかな。。などと考えたりもします。(まだ実際自分でもろくに作ってもいない状態ですが、今後の行く末を考えると行き着いてしまったんです。^^;)
ともさんは、そのような意味で、精神世界的にももちろん体にとっても、地球にとっても、ご本を出版された事は神によっての一連の祝福であり、身近な人々や縁ある人々をさらに確かな知識と自信を持って立ち上がっていかせる力を持ったものだと言えると思います♪
何か、そういう方向へと自然に広まって常識・・というか受け入れられる世界になると良いですね。
>何か、そういう方向へと自然に広まって常識・・というか受け入れられる世界になると良いですね。
いいですね〜。
ローの場合、「こっちのほうが気持ちがいい、おいしい」というオルタナティブがありますから、
とても可能性が大きいと思います。