このシリーズは第5弾で終わりですが、「ちょっと哲学的なこと」カテゴリーから独立させてあらたにカテゴリーを作りました。
ローフードレシピについての印象で、ときどき、「アメリカ的」「日本的」というような分け方を見ることがあるんですが、これはあまりちゃんと事態を説明している言葉ではないと思います。
というのは、まず、アメリカで生まれたローフードのレシピの大部分が「アメリカ的」とはいえないということ。
どちらかというとコスモポリタンで、アジア、中東など、「伝統的なアメリカ料理」からは離れていると思います。
しょうゆやみそや海藻、ごま(タヒニ)などをしょっちゅう使うローのレシピはむしろ「西海岸的」「東海岸的」といったほうがよく、、内陸の人たちは、これらの食事を「アメリカにはアメリカのよい食事があるのに、アジアからわざわざ輸入したかっこつけた食事」と思っているかもしれません。
なので、ここでは、アメリカのローフードレシピに書いてあるようなローフードを「外から入ってきたもの」、いわゆる日本の伝統食を「内側のもの」という呼び方をすることにします。そういうことがいいたいんじゃないかな、と思うので。
外側から入ってきたものに対して、人は身構えます。それは「異物」だからです。
で、「異物」に身構えることで困るのは、そうすることで、実は「内側にもあなたを傷つけるもの」があるのに、それが見えなくなることなんです。
というか、コインの裏表で、「内側の自分を傷つけるもの」を見たくないから外側の異物を「自分の敵」と位置付けたい気持ちが、強く働くのかもしれません。
お米のすごいところは麦よりタンパク質が多いので、ほかにタンパク質をとらなくてすむし腹もちがいい(消化が悪い)ということです。おなかの中にあってまで価値保存されるんですね。ふつうのお米よりさらにタンパク質を強化して、濃厚な味と腹もちをよくした品種もあります。これを、腹「もち」がいいので「もち米」と呼びます。
そんなにすごい価値保存能力があるので、集団でお米を作り始めた人の中には、この米を税として徴用しよう、という人が出てきました。
いや、お米を伝えた人たちはゴールドラッシュのアメリカに来たように、日本の土壌を見て米を作って一旗揚げようと考えたのかもしれないです。人間の歴史の行動パターンを見ているとそっちのほうがありえるんじゃないかと思ってしまいます。
日本でも貨幣は生まれましたが、明治時代までは米が税金であり、米が政府からの給料でした。だから、お百姓さんたちは、冷害でやられちゃうのに、自分たちの口に入らない米を作り続けるしかなかったんですね。あらら、国内で、今のアフリカやインドネシアのような人たち(国外に輸出する作物を作るために、自分たちの口に入らないものを作り続けている)人達がいたんですねー。
もっといえば、「米さえ作らせない」人という階級も作りました。
それで思い出したんですが、律令時代(飛鳥時代〜。律令制そのものは江戸時代まで続く)。お手本にした中国の法律にはないけど日本にはある刑罰があるんです。それは、犯罪者に罰として「肉を食べさせた(=穢れさせた)」んだそうです。「肉を食べない人=穢れてない人」という優越感があったんですね。そこまでいくと、どっちが暴力的な人なんだかわかりません。
↓この本の102ページに書いてあるそうです。
(情報提供、マイミクけいすけさん)
お米は日本人の感性に影響していると思います。日本語で、「ばか」のことを「たわけ」と呼びます。これは「田分け」つまり、自分だけの田を縄張り作って個人主義でやっていこうとする人のことを指します。お米が野菜より作るのが大変かどうかは諸説ありますが、少なくとも野菜は一人で作れますが、お米は共同作業しないと作れません。だから、田を分けようとする人はばかなんです。個人の気持ちより周囲との協調を優先するマインドを維持してないと死んじゃうんです。
そういうことを、私たちは知っているはずなんですが(このブログを面白がって読むような人なら、一度は、【日本的】な個人封殺社会にげんなりしたことがあるのではないか?)、「外からの異物」が入ってきたとたん、突然、「内側であなたを傷つけるもの」は見えなくなってしまう。
人間には、そういうところがあるんじゃないかなと思います。
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