報告が遅くなったが、7月22日のPARC自由学校の講義のときに、摂食障害についての質問が出た。
ローフードの話をするときに短絡的に話しちゃうと「やせる」という話になってしまうのだけど、この「やせる」というのにも意味がいろいろあるが、
ここでは、生活習慣病につながるような太り方のことではなくて、摂食障害(および予備軍)の子たちが陥りがちな「太りたくない、やせたい」という願望のこと。
質問を言われたとおりに思い出せないのだが、私が答えた答えは、
「摂食障害に陥っちゃうほど『やせたい』という人は『やせたい』という願望と別の願望が癒着してしまってどっちがなんだかわからない状態。
本当の願望に気がつかないのだが、それは、気がつくのがとてもつらいことだから。
どうしてかというと、その願望というのは『愛されたい』ということで、それを認めたら『自分は今愛されてない』ということを(それが間違った思い込みだとしても)認めることになるから非常につらい」
というものだった。
なんだかその「愛されたい」という言葉を吐いた時、すっとしたのだ。(今でもその感覚が胸に残っている)
昨年の12月から始めて6〜7回講義・講演をしたけれど、「あい」という言葉を口に出したのは初めてのように思う。
(あ、書いてたらまたじわっときちゃった。すごく気持ちが良かった)
いつも講義では便通の気持ちよさについてえんえんと語る私だが(笑)、まさに「みちがついた」感じがしたものである。
自分も結局、食べものを通して「愛」と「自分」をどうつなげるかという話をしたいのに、照れくさくてずいぶん遠回りな話し方をしている(ということに、その時気がついた)。
「あい」を口に出すのは本当に恥ずかしくて居心地悪いのである。
あいうえおの「あ」と「い」で一番最初に出てくるのにね。
ああそうだ、江戸時代までは「いろはにほへと」で「あいうえお」がなかったから、「あい」もなかった。安土桃山時代に渡来したキリスト教の宣教師たちは、「LOVE」(ポルトガル語だからAMORかな?)を「おたいせつ」と訳したそうですね。
(ああまた逃げてこんなトリビアばっかり書いている(笑))
人間って、絶対に気持ちいいことしかできないのよね。それだけは間違いない。暴言を吐いたりアルコールやドラッグが気持がいい人も、それが知る限りの最高の気持ちよさだからやっているわけだ。
一方で、「愛を伝えていける人になりたい」なんて決意を固めるのも自分的にはちっとも気持のいいことではなくて、やっぱり「あい」は、語ったり説明したりすることはできなくて、自分がやっていることから見えてくるしかないな、と思うから。
「あいされたい」という願望を口にだすのがつらいのは、「ということは今愛されてない」ということを認めるのはつらいし、もう一歩つっこんで「本当は愛されてた、大勘違いだった」ということをみとめるのもつらい(恥ずかしい)からじゃないかと思うのですが、皆さんいかがでしょうか。
(後者の方なんて顔から火が出る気がして、その立場になったら、冗談抜きで自分が入るための穴をスコップで掘ってしまいそうな気がする)
ローフードをやっていて感じるのは、この恥ずかしさを感じずに、さまざまな形をとって現れる自分の欲望と、「私を愛し、世界を愛の視点で見る」という願望とを自然な形で結び付けてくれること。
だから、「あれ? なんてこのあいだまであんなにやせることにこだわってたの?」とか「なんであんなものが欲しかったの?」とかそうなってることがよくある。
へたすると、ローフードを食べ続けていると「ローフードじゃないといけないんだ!」みたいな強迫観念までとれてくる。
これもよく講義で話すのだけれど、
「ローフード」以前は、「きれいになる」ということは、資本主義にあまりに操作されすぎていて、「きれい」というひな型が決まっていて、そのきれいにあてはまろうとする息苦しさがあった。
一方で、消費者運動家(フェミニスト含む)がすすめる「女性としてのきれい」は、自然すぎる、というのかなんというのか、たしかに着ていてラクだけれど、これを「きれい」というのかなあ、という疑問もあったりして、だったら「資本主義的きれいのほうがいいなあ」と「転んで」しまうこともしばしばだった。
ローフードをやってよかったことは、「自分が楽」ということと、ある程度の「資本主義的きれい」が一致して、「これならやっていていいなあ」と思えるものを探し当てられたことだ。そういうものが存在するんだ、っていう発見は、生きていくうえでものすごい希望を与えた。(ちょっとおおげさですけど、本当にそう思った)
そういえば、先週、マナ・カードで愛のカードをひいたばっかりだったのに、週末はそれも忘れてた。でもまあいいや。
「あいをかたらずにあいをいきる」。そんな大それたかっこいいことがしたいって思ってる自分を、ちょっと恥ずかしさがとれて口に出してみました。
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2009年08月03日
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(2022/12/16更新)
「いろはにほへと」の最初もやっぱり
「いろ」
で、愛の意味(エロスだけどね)なのでした。
超つぼです、この記事(*^^*)
うーん、
「資本主義的なキレイ」
VS 「素朴さ」 のはざまで、うなされたり(笑)します。しました。
そういったあたり
少しでも折り合いつくなんて、おめでたいことですよねぇ!
また、わたしも石ともさんから「愛」についてのシンプルな素直なお話を聞くと、なんかホッと、スッとします。
今回の記事を読んでいて思ったのは、ローフードを通して、色んな面で、自分にとって「丁度いい」「自分らしい」ポイントを見つけられるのですね。
なるほど。それは、気持ちがいいし、楽しいし、自分らしくて生き生きするわけです。
とても面白い記事、ありがとうございます。
今回このコラムを拝見しまして、長い間もやもやしていたものがすっきりする感覚を得ました。
突き詰めれば、「あい」だったのかと。
私は摂食障害というところまでは体験しておりませんが、ストレス、また体のバランスを崩したところからの過食は何度もあります。今現在も過体重です。夫と出会った頃は今より12キロほど痩せていた為、ずっと痩せてと言われて、それがどうしても辛かったのですが、そういうことだったのかと・・・。
それとともに、「資本主義的なきれい」と「消費者運動家(フェミニスト含む)がすすめる『女性としてのきれい』」という表現もわかりやすかったです。
なかなかローの世界に踏み込めずにいますが、こちらのコラムで精神的なローフードを頂いた感じがしました。
一方で、消費者運動家(フェミニスト含む)がすすめる「女性としてのきれい」は、自然すぎる、というのかなんというのか、たしかに着ていてラクだけれど、これを「きれい」というのかなあ、という疑問もあったりして、だったら「資本主義的きれいのほうがいいなあ」と「転んで」しまうこともしばしばだった。
わかります〜!これ!!!
そうそう!と納得して読んでました。
「きれいにあてはまろうとする息苦しさ」
・・・サザンオールスターズの
”ミス・ブランニューデイ”を
思い出しました。
女もしんどいけど、男から見ても
無理してるように見えるんでしょうね〜
そして、じゃあ、ナチュラルに女でいようとしても
資本主義の掲げるきれいの正反対、しか
思いつけない想像力の乏しい女に育ってしまっているんですよね〜知らず知らず。
(悪く言えば「無頓着」に見えて、
何だかかっこよくない、ってのわかります〜!)
>ローフードをやってよかったことは、「自分が楽」ということと、ある程度の「資本主義的きれい」が一致して、「これならやっていていいなあ」と思えるものを探し当てられたことだ。そういうものが存在するんだ、っていう発見は、生きていくうえでものすごい希望を与えた。(ちょっとおおげさですけど、本当にそう思った)
いやいや、大袈裟じゃないです!
本当に実感しますもん〜!
丁度良いところが存在すること、
そこに落ち着けた安堵感ったらもう!!!
人生って、
「生きてて良かった」ってこんなに毎日思って
生きられるの〜?
って思います^−^
深いところ鋭く書かれていて、
流石石ともさんだわ〜と感嘆した記事でした★
ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
「資本主義的きれい」と「女性として居心地いいきれい」の接点を見つけたのは、
レプティリアンとのコラボレーションだったかも。
「資本主義的きれい」につかれて女性として
居心地良くあろうとしたらどんどん病んできた私に
レプティリアンは、
「スカートはけ! 化粧しろ! 女だろ?」
といいました。
私はその言葉にちょ〜反発しながら、
「あ、でもその言葉にも真理がある。
スカートはいて化粧して男の気に入る身体になって
でも、自分も納得できるダイエット法じゃなきゃいや!」って
思ってローフードに出会ったのでした。
>*Jewels* さん、
>あぁーん!
いろっぽい(爆)
>うさぎもちさん、
>自分らしくて生き生きするわけです。
男の人から強制されずに、自分で一番気持ちよい姿があちらから見てもよければ
ベストですよね!
>もえさん、
はじめまして、
>こちらのコラムで精神的なローフード
おいしかったですか!(笑)
>Ringosta さん、
考えてみたら、Ringosta さんの旦那さんも
「自分で気持ち良い」「しかも男としてセクシー」な
ポイントをご自分の身体が発見された
わけですよね。一流ブランドからも
「服を着てほしいお客様」ですもの!
(すみません、あそこ、ほんとに笑いました、今も指がふるえちゃう-\^^)
ローを食べて、男も女も魅力のポテンシャルが
ぞんんぶんに発揮されたら素敵ですね!
自分がそうだったので、も〜〜何といいますか!!
「そうそう!そうだったんです〜〜><!」「昔こうだったなぁ・・・」など、たくさん思いながら読んでいました。
石ともさんがおっしゃっていたこと、ここに辿り着くまでにすごく長くて。
簡単なことなのに、なかなかわからないものですね。
私が芸能を通して伝えたいことは「自分でよかった!」と思ってもらうことです^^
「キレイ」も人それぞれの「気持ちいい度合いや好み」があると思っています。
それを肯定できて、たくさんの人が「自分のキレイ」を楽しんでもらえたら。
なので「資本主義的キレイ×自分が楽なキレイ」にとても納得でした!
いつも素晴らしい記事をありがとうございます!!!
いつも楽しく拝見しています。
私、心から愛する人に巡りあったら、「あなたを愛してるわ」と、平気で口に出して伝えると思います。
(今でも、自分のブログで不特定多数の方に恋愛ネタを披露していますけれど・・・)
こんな風に愛について素直に語ったり、伝えたりできるようになった事、自分でもオドロキです。多分、ローフードに出会っていなければありえなかったかもしれません。
ローの力、∞。
ローを実践していない方々もまだまだ多くいらっしゃるこの世の中で、先んじてローの恩恵を受け取ろうと決心した私たち自身に対して、「おぬし、なかなかやるな」って感じです。
素敵な記事をありがとうございました。
スコップで穴を掘っている石ともさんの姿が目に浮かびます(笑)
うさりんさからもついてる〜
(1分違いなので即レスです)
>ともさん、
この記事を書いて、みな、求めていることは
同じなんだなって思いました。
みんながその輪の中でつながっていけたら、
すてきですね^^
ともさんがそのイメージ作りとなるような
お仕事をできたらますます素晴らしいですね
>うさぎりんごさん、
>こんな風に愛について素直に語ったり、伝えたりできるようになった事、自分でもオドロキです。多分、ローフードに出会っていなければありえなかったかもしれません。
「あい」を阻害するものの一つに「恥」があると
聞いたことがあります。
ローフードを食べて、「恥」がデトックスされたら、すごーい。
私、ブログによく(汗)とか(恥)とか
書いちゃうけど(爆)