【肉食をやめると動物の死体が皿にのっかっている風景が
どんどんキツクなってくる心理と、ロシアの文豪、ドストエフスキーさんとの関係について】
前回まではこちら。
思想犯でシベリア送りになってしまったドストエフスキーは、昼間は厳しい自然環境下で過酷な労働、そして、日が暮れると、30人の囚人が風呂も入らず、油ろうそく一つの明かりだけの、罵詈雑言と、鎖の音と、人いきれと悪臭がたちこめた部屋に閉じ込められることになります。当たり前ですが栄養状態だって「やっと生きてるだけ」の分しか与えられません。
とくに彼がつらかったのは、ひとりになれない、ということで、彼は、実体験を基にした小説『死の家の記録』で、
「十年間(小説なので)の徒刑生活の間、一分一刻もただの独りきりになれないということが、い
かばかり恐ろしく悩ましいものであるかを、想像することもできなかった」
と書いています。
しかも、その暮らしから脱出できるのか、できるとすればそれはいつなのか、未来はまったく見えません。
では、そのつらい状況を、彼は、いったいどのように乗り越えたのでしょうか。
自分の心理的変化を見つめて、彼は、深い深い発見をするのです。
「人間は、いかなることにも○○る動物である」と。
え、聞こえなかった?
ではもう一度。
「人間は
いかなることにも馴れる動物である」
と書き記したのです。
(そろそろ終わりが見えてきたが、とりあえずまだ続く)