以前、「第三次性徴」という記事を書きましたが。(後半のスキーに行ったとか具体例は無視してください^^;;;;。「第三次性徴」というコンセプトの話)
最近、ローフーディストの人で、「赤ちゃんができたかもしれない」という方と話をしました。話しているうちにローを続けた実感でいろいろ共通点があることがわかり、いろいろシェアしあっちゃったのですが、そうするうちに、なんだかこちらの身体(気分)がもぞもぞしてきちゃって……、その「もぞもぞ」感は、実は、まぎれもなく、「私も子ども欲しいな〜」という気持ちなのでした。
といっても特別に具体的な計画やアクションがあるわけでもないのですが、自分が感じているのは……、イメージとしてはですね、身体がパチンコ(!)だとすると、そういう「何か」を受け取るチューリップが、ポーンと開いちゃった状態、というか……。
なんだか変な表現だと自分でも思いますけど、その何かって「子だね」とか具象的なものじゃないっすよ。たぶん、「そういう事実が起こりえる身体をもっているように生まれた」という事実そのものじゃないかな。I am ready. スタンバイ完了な自分。
私はあまり子どもを欲しいと思ったことがなかったので、自分が不妊かどうか気にしたことも検査をしたこともないのですが(ちなみにお話をした方は、ロー以前、「不妊太鼓判」を押されていたとか)。ただ、一度だけ「やや不妊っぽいかも」といわれたことがあります。そして、今はきっと、もう、そうじゃなくなっているように感じます。
おなかに赤ちゃんができたら、その子の当面の受け皿である自分のことも、より一層大切にするんじゃないかと思いますが、「そうなる可能性のある自分」というのを意識すると、肉体としての子どもはいなくても、自分を大事にする、という感覚が研ぎ澄まされてくる。いい栄養を与える道を選ぶようになる。
そんな感じが確かにあるんですよね〜。
第三次性徴は、そんな感じで、「成熟」に向かっていくのかな?