本日(3月12日(金))に公開される、ガイ・リッチー監督 ロバート・ダウニーJr 主演『シャーロック・ホームズ』。アカデミー賞レースからはずれたためにあまり話題になっていないのですが、ベジタリアニズムの視点から、また、現代とは何かを考える視点から、大変に興味深かったのでちょっと解説したいと思います。
「ちょっと世の中を面白く見られるようになったわ」と思って帰っていただければ幸いです。
舞台は1891年のロンドン。1891年といえば明治5年で、西欧諸国+日本が文明開花、近代化、工業化、帝国主義化にまっしぐらに走っていく年です(しかも舞台は、産業革命発祥の地、イギリスです)。予告編を見てもらうとわかりますが(よくもまあこういうことにVFXを使おうと思ったアイディアには脱帽しますが)、ロンドン名物、タワー・ブリッジが建造中なんですね。この絵が、1891年のロンドンがどういう時代かを一発で表している。
予告を最後まで見てもらうとわかりますが、クライマックスでは、この建造中のタワー・ブリッジの上で大立ち回りがあります。近代化、工業化、帝国主義化していくロンドンをホームズが駆け回る。造船所でもアクションがありますし、化学工場でもあります。なかでも興味深かったのが、解体される前の牛が多数つり下がっている、食肉加工場でもアクションがあったことなんです。
「食肉加工(とくに牛肉の)」は、近代化、工業化、帝国主義化の一つの表象だ、というふうに、この映画でははっきりといっているわけです。
映画を見てあらためてわかったのですが、牛を殺して肉を分けるって、人力だけだったらそう簡単にできないんです。だって重い(笑)。牛を殺して高いところから吊り下げて血抜きして、そこからさばく、それも、人々に毎日供給する量をこなす、っていう作業は、蒸気機関なり、今は電気なり、動力を使わなかったらできないんですね。
もっと昔、人力でやっていた頃はあったでしょうけど、その頃は、牛を殺すというのは、宗教的行事や結婚式といった大きな節目のときだけでした。食べたら栄養つくけど(ものがない時代)、でも、殺して解体する作業にかかるエネルギーのほうがずっとかかるから、しようにもできない、という時代が長く続いて当然でした。
ところが、動力の発明は、ベルト・コンベアの発明でもあります。動力があって、ベルト・コンベアがあって初めて、牛肉の加工は大量生産が可能になり、誰の口にも、日常的に入るようになるのです。映画の中でも、吊り下げられてコンベアで送られ、順繰りに電動ナイフで切られる牛たちのあいだにヒロインが引っ掛かってしまって、あやうく生きたまま解体されそうになる、というシーンがあります。
同じ頃、ドイツでは、栄養学者、カール・ルブナーが「たんぱく質こそ、文明そのものである」「たんぱく質をとらない戦争に負ける」といった話は、昨年の5月に「タンパク質こそ文明である」!で書きました。
なんか、本当に、このころは、「たんぱく質」をとることが、
「夢」であり、「文明」であり、「成功」だったんじゃないか、ということが、全然関係ないエンタテインメント映画で出てきちゃったので、私は、ものすごく腑に落ちてしまったのです。
さて、この映画はさらに興味深く続いていきます。
それは、ホームズと盟友ワトソンが追いかける相手が、「黒魔術の使い手」だからです。
急速な近代化、工業化、植民地化は、科学の謳歌でもあると同時に、宗教への依存が下がり、人々が霊的アイデンティティを失いかけているときでした。そういうときに、実は最新の科学をトリックに使いまくった、「黒魔術師」が人の心をつかむのです。
なんか、現代とカルト宗教の関係みたい。
そう、この映画は、100年前を描いているようでいて、現代ととてもよく似ている。
黒魔術ほどではありませんが、神秘的なものへの興味もまた興った当時の世相をよく表しているのが、実は、原作者のコナン・ドイルでした。
1859年生まれのコナン・ドイルは、映画の中のシャーロック・ホームズたちとほぼ同時代人です。
ドイルはのちに神秘主義にのめりこみ、交霊会などを催す、いわゆる「エセ科学の香り高い」人になりました。そして、少女たちが「私たちが撮った」と主張した「妖精の写真」を「本物」と認定してしまう、ミスをおかしてしまうことになります。(少女たちは後にその写真がねつ造であったと認めました。コティングリー妖精事件、と呼ばれています)
しかし、彼がどうしてそこまで妖精や神秘的なものを信じたかったのか、という心情を描いたのが、映画、「フェアリーテイル」です。
1914〜1918年の第一次大戦で、ドイルは息子を失い、少女たちは父親を失ったことになっています。それらの遺体は帰ってきませんでした。近代化、工業化、帝国主義化で作りだされた大量破壊兵器(それまではせいぜい鉄砲でドンパチやるぐらいだった)のおかげで、牛がオートメーションで解体されるように、彼らはオートメーションで殺された最初の兵隊たちとなりました。そこには弔いもなく、死の実感もありません。近代化がタワー・ブリッジや食肉加工技術を作った陰で、彼らは死の実感を失ったのです。
そういう時代に「最高」「夢」とされた食べ物が牛肉だったんです。
で、たぶん多くの人は今でもそう思ってるんです(汗)
つい最近までも、農家が自家用に食べる動物性たんぱく質といったらニワトリでした。飼い易くて、場所も餌代も食わないし、最後に食肉加工もしやすいです。牛を口に入れられる状態に持っていくにはパワーがいる。だからこそ、牛肉があこがれの食べ物だったんだと思います。
近代化、工業化、帝国主義化の時代に、たんぱく質は、牛という一番大きなものまで行きました(ちなみに、このころは捕鯨も世界中で盛んでした)でも、今、それ以上大きな動物性の食べ物はありません。ポストモダンの食べものは、まったく発想を変えたところにジャンプしないといけません。
牛の次は、「ひまわりのタネ」になったら?(いや、スピルリナでもいいけど)
ジョーダンの新しいDVDによると、発芽させたひまわりのタネの吸収可能たんぱく質は、加熱した牛肉の4倍だそうです。
一番おっきいものの次に、いちばんちっちゃいものになったら?
なんか、ふっと笑いがこみあげちゃいます。
でも、パラダイム・シフト(世界観の変更)ってそういうことでしょ?
そんなことを考えながら、タワー・ブリッジの上で格闘するシャーロック・ホームズを眺める私なのでした。
最近のワーナー映画は、ガイ・リッチーとか、クリストファー・ノーランとか、癖のある監督を大作に溶け込ませるのが非常にうまいです。この映画からも、ここまでの文明批評が読み取れます。
お時間あったら、ぜひ。
2010年03月11日
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(2022/12/16更新)