ヴィクトリアさんのお話で興味深かったのが、「加工食品は、保存料のにおいを隠すために、香料を入れるようになった」という点。
「缶詰あけると、部屋中ににおいがただようでしょ?」
いわれてみれば、そうだ。
代々木ゼミナール世界史講師の山村良橘(りょうきつ)氏は(亡くなられたようです)、「なぜ、大航海時代にヨーロッパ人が同量の金と交換するほど胡椒をほしがったか。中世は肉の保存技術が発達していなかったため、当時の肉はものすごく固くて臭かったからです」といってたけど。
そっかー。14世紀ぐらいまで、固くて臭い肉を食べて、寒い冬を生き延びてたんだね、ヨーロッパ人。紫外線を受け取るためにメラニン色素を捨てたし、目を落ちくぼませて鼻も高くなったし(寒くてまつ毛が凍らないように、冷気が直接入らないようにそうなったと、石原結實先生がおっしゃっていた)
3年ぐらい前にジャパン・タイムスでローフード特集があったとき、最初の一文は「厨房に入ると、レストランにつきもののにおいがない」で記事が始まっていた。そうなのだ。加熱食に比べてローフードにないもの、それはにおいだ。
窓をあけて仕事していたり、マンションでエレベーターを降りたとき、「ふわー」っと近所の食べもののにおいがただようことがある。何のにおいか、目にありありと浮かぶようにわかる。「あ、大根とさんま煮てるな」とか。すごく刺激が強いなあ、と思う。自分がさんまが好きかどうかとはまったく別のところで、つばがじゅわっとわいたりするのだ。
テレビをやめてる人、私の周りにものすごく多いけど、テレビも刺激が強いが、加熱食というのも、いかに刺激が強いんだろう、と思う。栄養で引っ張られるのではなく、刺激で引っ張られてるわけだ。
4月8日、、あまりに幸せのアイコンみたいな写真が撮れちゃったのでアップしてみたのだが、実はあのとき、楽しさと同時に(以上に?)感じたのは、長らく忘れていた「疲労困憊」という感覚だった。8時前に会って10時半ごろ解散したから、たった3時間の会食でである。「ちょっと素敵なところでお花見して、ディナーを食べる」ということが、私にはもう刺激が強すぎたのである。
普通の勤め人さんの若者さんたちは、会社の仕事の後、こういうことして(場合によってはさらにその後もあって)、次の日、普通に会社に行ってるのか〜、なんと大変なんだ、と思った。そんな刺激の中で生きてるのか、と。
刺激が呼ぶもの。それは、アディクションである。アディクションというのは、「中毒」のことだけど、人間は、毒にやられてしまうわけではなくて、好んでその有害物をとるので、「嗜癖(しへき)」と訳す。(新歓コンパで倒れて救急車に乗るのは急性「アルコール中毒」、「好きで飲んでる」といいながらやめられないのは「アルコール嗜癖」)。
だから、180年前に起こった産業革命が生み出したものをあと二つ加えるなら、「刺激」と「嗜癖」なんだろう。
嗜癖は近代最大の病だが、近代最大の文化でもあった。この時期生まれた傑作に、どれだけアル中、ヤク中の話があると思う?
そしてそこにどれだけ、人が「愛」を見つけようと奮闘してきたと思う?
2010年の現在作られているローフードを見渡すと、刺激の強いものもあるし弱いものもある。2010年はまだ完全にポストモダンになりきれていないので、多少の刺激が避けられない部分もある。
実は私自身がローフードを作るとき、に一番気を使っているのが、この「低刺激」性で、あんまり「引っ張らない」ものが作れるといいなと思っている。そう思いすぎると、それがまたストーリーになるので、意識しないようにしているけど。
面白いことに、先週食べたごちそう会のローフードは、あんなに洗練されているのに低刺激だと感じた。 結局、刺激の強さとは、ストーリーの強さ、そのストーリーによって喚起されるこちらのメモリーの強さなのである。見た目とか味とかにおいとかそういうものは、二次的なんだろう。
たとえ、ストーリーの強い人が作っても、ローフードというのは、そのストーリーが入り込みにくい素地があると感じている。
(「あなたのために作ったのよ! 食べて! おいしいと思って!」という念か怨念かぎりぎりの人が作っても、あまりその念が入らなくしてくれるということ)
ポストモダンの世界は、低刺激。
2010年05月25日
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(2022/12/16更新)