高刺激なのは食べものだけじゃない。都会でもっともありふれた高刺激物質は「お買いもの」だと思う。「恋愛」も「仕事」も「勉強」だって高刺激なのだ。あ、性行為もね。
そして、「知識」というのも依存物質になりやすい。だって、知ったときは快感でしょ、「あ、私これで健康になれる!」って。でも、後で不安が来るでしょ、「どっちが正しいの?」って。最近はローフードの知識が普及したおかげで正反対の理論がいくつもあるから、混乱も増えた。「知ってる」「知らない」はパワーゲームも引き起こしやすい。「知ってる」からといって「役立てる」ことができるとは限らない、というのは、「栄養をとった」からといって「消化、吸収、役立てることができるとは限らない」というのと同じなのだが。
知識がその人にリターンをもたらさなくなっているのにまだ追い求め続けたら、それは過剰だと私は思っている。
で、この「リターン」というのがくせもので、「追い求める」という行為そのものにリターンがあるとき、人は追い求める。そのリターンとは、「痛みをとる」というリターンだ。本人の中に意識されないつらい痛みがある場合、「人生の果実を得る」以前の「痛みをとる」方に走ってしまうのは当然で、それを「問題に目を向けない、弱虫」と言い切ってしまうことはできないのよね。
でも、じゃ、どうしたらいいかというと、とにかく「リターンを出してあげる」ことだと私は思っている。リターンって、出る気持ちよさを知ったら必ずそっちに行くから。
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