前回の記事では、「これが私に合ってる!」とほぼ確信を得ているものを選んで書きましたが、今回は、「まだ実験中」「結論を出してはいない」ものも書いてみます。
・ウィート・グラス(発芽小麦)には手を出していない
ジュースにするほど自宅で大量にスプラウトを育てるのは難しいですね。あと、ウィート・グラス・ジュースはアン・ウィグモア博士が推奨したものですが、ナチュラル・ハイジーンではまったくといっていいほど出てこないんですよね。
そういうわけで、日常生活では全然採用していないウィート・グラス・ジュースなので、いつかそのときがきたら、どこかリトリートに入って、思うぞんぶんウィート・グラス・ジュース三昧したらどうなるだろう、という興味はあります。
・その他のクレンジングにもほとんど手を出していない
関戸ミホコさんの肝臓デトックス・セミナーに出たり、ブログ村を始めさまざまなデトックス情報にも興味がありますが、私はスペシャルなデトックスというのをやったことがありません。せいぜい、ジュース・ファスティングぐらい。
理由は、クレンジングで極端にきれいになる状態の後もずっと粗食・小食を続けられるならいいのですが、そうでない限りは、「ハイ」と「ロー」の差が激しくなる(セロトニンの分布つ不安定)、アップダウンを繰り返すのは、「クレンジング摂食障害」みたいな状態だからです。「そうでない限り」と書きましたが、一度クレンジングした後、むしろ必ず「グルメ」「食べ過ぎ」に走っていませんか? それは、クレンジングをしたからこそ起こること、という考えができるのです。
ローフードの栄養学は、アメリカのものも含めて、依存症(嗜癖行動)についての理解はまったくないところからのスタート、ということがわかってしまったので、ますます私は、この点について自分の見解を大事にしていきたい、場合によってはセミナーやメルマガなどで解説していきたいと考えています。
「徹底クレンジング」がアップダウンを作ってしまうなら、それよりは、「毎日の食事に『ハレ』『ケ』『特別なケ』を作らない、いわば『安定した低刺激食生活』長く続ける」というほうが、脳内伝達物質にはやさしいと思うのですが。。
「クレンジング」って洗浄することですが、そもそも、「自然」はそんなに「きれい」なのか? 汚いのがゆるせないって、自己決定をつきやぶってもその行動につき進んだら、「エスニック・クレンジング(民族浄化、ようするに一民族皆殺し)」につながらないのかしら? という疑問が常にあるのですが。
でも、私がまだ「クレンジング」のリターンを知らないだけかもしれないので、いつかはやってみたいと思います。
・「断捨離」は「朝フル」と同じ。
これは、「ローフード」というより、「ローフードまわりの生活」に入ると思いますが。 「断捨離」流行ってますけど、私は今、「捨てる」ことより「オーガナイズ」することのほうに興味があります。スペクリ歴も7年たってきて、我が家は「ものが少なく」はないかもしれないけど、「使ってない」ものがほとんどないですからね。
家の中に『貯めて」おくのではなく、「スタンバイ」させておく。つまり、「根こそぎ・根絶やし」にするのではなくて「必要数、間引きして、残ったものは確実に生育する」。そういうサイクルの繰り返しを意識して生活しています。
恋人を得る技術を体得したら維持する技術に目が向くのと同じかもね(違?)。維持する方法を知らなかったら、捨てて交換するだけになっちゃうもの。
そのうえで、「捨てる」ことはもっとも簡単だし効果があるけど、「朝フル」と同じで、「もっとも効果が出るはじめの一歩」という位置づけなのでは?
このシリーズ、あと1〜2回続けます。
本日もお読みいただき、ありがとうございました。
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