2011年03月03日
無(付加)価値なローフード
写真は、2月25日に福島市内で開催していただいたセミナーで、私と、オーガナイザーさんと、最初参加者だったのにいつのまにかスタッフになってくださったOさん(毎回仙台から来てくださる)と3人で作ったローフードなのですが、この写真を見て、しみじみ思った。
「価値」には2種類ある。元からある「価値」と、「付加価値」と。元からある価値は神様から与えられたもの。だから誰でも持っていて、誰も奪うことはできず、その価値を得るのにお金を得る必要はない。フリー。
一方「付加価値」は、文字通り人が付け加えたもの。別になくても生きていけるもので、でも、それを人は磨きあげる自由も(あるいは依存も)持っている。付加価値だから、つければつけるほど、金銭的価値もつく。
私が調理するローフードに「価値」はある。それは神様が与えてくれたもので私が与えたものじゃないから。でも、「付加価値」はあまりない。付加価値のないローフードを私は好んでいる。それは、ロー=未加工=神様から与えられた「価値」をいただくものだと思っているから。人が加えた「付加価値」をつけると、そのノイズで「価値」の声が聞こえなくなってしまうからだ。なんともったいないことだ、と、私は思っているわけだ。いちばんおいしいところが聞こえなくなるじゃないの、と。
この3次元世界では、無農薬とか無肥料とか、かぎりなく「自然に近い」とされる野菜が、実はかえって膨大な手がかかり、したがって付加価値を伴う、という逆説をはらんでいる。ちょうど、芸術的な「ナチュラルメイク」が、気が遠くなるほどの細かい職人芸で作り上げられるのに似ている。私がそこらへんに売っている普通の野菜を好むのは、この「付加価値のない野菜」からこそ、しばしばクリアに「価値の声」が聞こえる、と感じているからかもしれない。
ちなみに、こういう理屈をこねあげることは物書きの技術を伴うものなので、「付加価値」がある。だから、私はこの「付加価値」を使って現世の利益を生み出そうとしているわけだ。というわけで、ここに書いていることは「神の声」じゃないので、みんな、信用しないようにね。
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(2022/12/16更新)