このテキストのインスピレーションが降りて場所が、直さんと待ち合わせた赤坂ミッド・タウンだったから、というわけでもなかろうけれども。
そうなのだ、「ストロング・タイズ」でもなく、「ウィーク・タイズ」でもなく、「ミッド・タイズ」へ。
(「ウィーク・タイズ」って何だ? って人は、こちらの記事をお読みください。まとめると、人は「ゆるやかな結びつき」でいた方がサポートや視点変換のヒントを得やすい、という考え方)
瓶にいっぱいナッツを入れて入りきらなかったとき、瓶の底をとんとんと叩いて中身をゆすっているうちに、中のナッツの向きがそろって無駄な空間が詰められて、また少しナッツが入るようになった、という経験がありますか。毎日地震で揺さぶられているうちに(いちいち地震酔いになる@@)、私の中身も揺さぶられて、中のコンテンツが、行くべき場所に整理されたみたいです。
「ミッド・タイズ」に気がついたのは直さんとふたりでミッドタウンのニルヴァーナでビュッフェ・ランチ食べてるときだった。彼に何度もレポートされているが、私、よくしゃべってた。(この記事とかこの記事とかこの記事とか)
それが突然、話が出てこなくなった。静かにご飯を食べた(笑)
「私、なんか、しゃべんなくなったよね?」
「(僕が少したくましくなって)僕をサポートしなきゃ、僕に何か教えてあげなきゃ、って心配かけなくてもよくなったからじゃないですかー」
「そうじゃなくて、誰かに話すことで自己救済したいという気持ちが消えたんだと思う。あなたを助けてあげたいなんて利他の動機でしゃべらないよ。だって、私たち、基本的に小乗じゃん」
この記事で直さんは、「自分は自己発見、ともさんは自己改革が好きっぽい」って観察してるけど、共通項でくくるなら自己救済だ、ってことを確認しあった。
で、地震でさんざん揺さぶられて整理された私の心のナッツちゃんたちが私に見せてくれたのは、「自分の魂は自分で救いましょう」という、あらためて当たり前のテーゼなのだった。
で、そんなことわかってるつもりだったのだが、あらためて考えてみると、もう一回冑の緒を締める部分があって、「シェアすることでの自己救済」という気持ちが消えているのだった。
この後六本木ヒルズの地下のスタバに移動したが、ここでもカウンターで「語る」というよりふたりして黄昏る黄昏るw。
ストロング・タイズは、相手と自分の境目がどこにあるかがわからなくなってしまい、ヘタに結ぶと人格さえ破壊する(っていうか、相手に自分の境界線に破らせたい人がストロング・タイズを結ぶのかなー、とときどき思う。言い換えれば共依存ね)。ウィーク・タイズにはゆるやかさ、息のできる自由さ、でも「切れてしまって」いるわけではないぬくもりがあるけど、でも、もう一歩近寄ってかつ侵害しない絶妙な距離を保とうとするチャレンジもない。
そのチャレンジが楽しく、かつスキルが身についてきたとき、ミッド・タイズという中庸空間にいる楽しさを、身体が覚え始めている。(直さんの前でしゃべりまくってたのは若干ストロング気味だったのかもしれないです、今思うと)。
家族とも、友達とも、お取引先とも、寺子屋メンバーさんたちとも、セクシャリティを意識し合うお相手さんs(語尾のsは複数形かw いや、最初にtheをつけるべきか(爆))とも、距離感が整理され始めている。
最近、ある未来達成予言をぽろっとすることがあって、それは、ミッド・タイズの心地よさを覚えたらリレイションシップは融通無碍だっていう真理を身体が覚え始めたからだと思う。
で、ラプンツェルは、「お姫様には動物の友達がいて感情が極まってくると歌い出す」というディズニーの法則をまたまたセルフ・パロディ化していて(歌を歌い出すと周囲に魔法の力をかけることができるという特殊な力を、最後は自分で失わないといけない)、その結果、ラストで姿を変えてしまうお姫様のキャラクター・デザインが、彼女の新しい面を見せてくれるようによーーく計算されていて、ディズニーの姫様物はやっぱり目が離せないのでした。あ、そうか。ラストでラプンツェルも、両親や平民王子との間にミッド・タイズを手に入れたのよね。 ラプンツェルとユージンが船の上で手をとって歌い出すシーンで私が笑い出してしまった(ロマンチックなものに対する距離感)は、もしかしてストロング・タイズに対する卒業感だったのかもしれないのでした。(となりでロマンティックなところで笑ってごめん、せっかく乙女最高潮だったのにねー、あのランタン・シーン)
さー、次のミッションに向かって、働こう! ハイホー、ハイホー。
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2011年04月21日
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