何がびっくりしたって、半月ぐらい前かな? 実家で書類のクリアリングを手伝ってきたときに出てきた、ある書類である。その書類というのは……昭和50年ごろの、父の確定申告。
それ見て、父があっさり言った。
「あ〜、この頃は、夫婦合算だったんだ」
確定申告って、基本は個人単位でするものだと思うんだけど、生計を同一にする自営業者だったり資産があったりすると、夫婦単位でしていたらしい。じゃあ自営業者でなければ、つまりサラリーマンは個人単位でしてたのかっていうと、サラリーマンの妻は収入がないことが当時はライフスタイルの多数派だったから合算しても意味ないし、そもそもサラリーマンは今も昔も確定申告をしない。
(お断り:この記事を書くために過去の税制について一応さかのぼって調べたのですが、「何年まで」とかいったデータが見つかりませんでした。誤謬がありましたらすみません)
とにかく驚いた。個人の線引き、私有財産がうやむやな世界。そんなの、戦後の民法成立でなくなったアンティークの世界観かと思ったら、私、ライブでしっかり浸かっていた世代だったんだ。
これなら、「夫婦別姓=家族の伝統の崩壊」という主張をする人がいる理由も、やっとわかってきた。
なぜこのことを今書いたかというと、「エネルギー供給の在り方を変える(いわゆる、「脱原発」というやつね」を変えるということは、ライフスタイルのすべてを変えるということだと思うからだ。
日本の「原子力の父」って誰だか知ってますか? 正力松太郎さんという方です。昭和40年代まで生まれの読売ジャイアンツのファンの人なら、この名前は知ってるんじゃないかと思う。なぜなら彼が読売ジャイアンツのオーナーで、ファンブック読むと名前が出ているからだ。。正力さんは戦前は警察官僚、戦後は国務大臣になったと同時に読売新聞社の社主である。大正時代は警察官僚として米騒動を鎮圧し、関東大震災が起きた時に「朝鮮人暴動の噂」を流布し(流布した人を取り締まったんじゃなく「治安維持活動」の一環として。今も昔も官僚がすることは「パニックを予防して」なのだ)、昭和9年に読売巨人軍を創設し、すでにアメリカ大リーグを招へいしている。20年に戦犯で巣鴨拘置所に投獄、不起訴釈放後日本テレビ社主になった。日本の「テレビの父」「プロ野球の父」「原子力の父」と呼ばれる。
「原子力の父」と呼ばれるのは、「アメリカ中央情報局(CIA)と日本へのテレビの導入と原子力発電の導入で利害が一致していたので協力し」あったかららしい(出典はベンジャミン・フルフォード氏の著書)。ここによると、正力さんは、1956年に、日本の原子力委員会の初代委員長となり、次いで科学技術庁初代長官となる。科学技術庁って原子力推奨のために作られた省庁だったのね……。
なんてこったい、正力路線の継承者であるナベツネが、今年のプロ野球の開幕時に東京ドームでの節電に強固に抵抗したのは、「プロ野球」のそもそもの存在理由が、「電気ってすばらしいよ、ビバ原子力発電」のためのショウだったからなんだ。 両親と子ども2人の核家族(ここで書くとすごい言葉だ)で、息子がお父さんに肩車されて王選手のホームラン見たら、それがもう彼らに用意された舞台装置に乗っかってたということなんだ。V9はだから史上命令で、日本じゃサッカーは日蔭者だったんだ(ヨーロッパ発のプロゲームは利権と関係なかった)。
原子力発電所を作っているというので東芝の製品の不買をするという人がいるが、そういう人だって何十年も「サザエさん」を見てきたと思う。おっちょこちょいだけど仲良し家族。「家族」という集団を機能させるために格別努力しているとは思えないのに、絶対に壊れない。波平さんとマスオさんの会社は絶対つぶれない。そして家じゅう最新の家電製品だらけ。そういうライフスタイルは、一世紀近くかけて、計画的に私たちの細胞にしみこむようにプログラムされていたのだ。ちょっと怒ったぐらいじゃ壁は破れない。デモ=示威行為も悪いことではないと思うけど、一世紀近く綿密に計画されてきたものに対して、感情の爆発だけでは「破壊」はできても「次世代構築」というのはむしろ「忍耐」「自己規律」がいるのではないか。彼ら以上にクレバーに、彼ら以上に綿密に、彼ら以上にサブリミナルにことを運ばないといけないと思うのだ。
だから、私たちはただ単純に「電気を大量消費する生活」とか「便利な生活」だけを疑うにとどまらず、「今、『そういうもんだろう』と思って幸せを感じている生活」すべてを疑ってみる必要があると思うのだ。
さて、個人的な話になるけど。
数ヶ月前、チャック・スペザーノのカードで、しょっちゅう「先祖代々の問題」というのをひいていた。
(前のカードはリンク切れしてしまったのですが、ここにもありました)
そしてそのカードをひきまくっていたころ、私の父の母(祖母)の十七回忌があった。その席で、長男である父が、次のように挨拶した。
「私と母は血縁上は親子ですが、家族の役割としては、母と結婚したようなものでした」
どういうことかというと、父の父、つまり祖父は、父が9歳のときに結核で死んで、父の下には三人の弟が残されたので、家族が離散しないように、父と祖母は、二人三客で働いてきた、ということだ。
この、やや不健康な親子関係は私の代にも繰り返されそうになっていて、だから私は父と一緒に仕事をするのがいやだった。彼と組むと、彼に「かんで含めるように」説明するだけで一日がかりだからである。残った体力で何事をなそうか、というパワーが残らない。吸いつくされてしまうようなディスパワー感から、私は逃げたかった。「エスケープ」したかったのではなく、「サバイバル」したかった。
でも、気がつけば、父との仕事はがんがんこなすようになって、西麻布に帰って来てから口笛を吹きながらもう一仕事こなす私がいて、さらにバレエと英語とフランス語の「芸事」にも励む。ちょっと恋にも励む。そういう生活がいつのまにか当たり前になった。
で、今、私が一緒に仕事をしている父というのは、「多少言いたいことはあるけど、私の足を引っ張ることはない、最近はサポートすらしてくれる、ビジネス・パートナーのおっさん」である。それも、日に日に口を出さなくなり、ついには私が事務所に出社すると、「じゃ、な」とかいって、二階で庭木の剪定とかしてしまうようになった。今、私は「先祖代々の問題」にからめとられているとは思わない。父と私を結んでいる糸は、「これじゃ、父と結婚してしまったみたいだ」と思うほど、「ストロング・タイズ」ではない。
父は、自分のことを「自分の母親と結婚してしまった」といったけど、その頃は、「生業」と「生殖」が同じ人との間に行われるものだったんだと思う。結婚とは、そういうものだったんだと思う。
「生業」と「だんらん」と「性」と「生殖」が、すべてひとりの相手で最高だと思えるパートナーシップが築ける。そういう暮らしができたら、素晴らしいことだと思う。でも、問題は、「みんながそうなるように」国策でそっちに向かわされてしまったということだ。
もうすぐ、また、他の人の家にご飯を作りに行く。家族である父のご飯は専門の人に作ってもらって、私は別の家族のご飯を作って、そこで食を分かち合うわけだ。でも、それでバランスがとれている。
そんなわけで、今の私は、「生業」と「だんらん」と「性」と「生殖」が全部一人のパートナーと、というのはずいぶん違う生活になってしまって、でも、そこにはとても豊かな世界があったので、私は大満足していた。でも、そのうえで、もしも、それを全部一致させられる日が来たら、それこそ「奇跡」だろうなあ、とか思ったりもする。そして、その奇跡は、「そうなることが目的」みたいにあくせくしてしまったら危険だけれど(うまみがありそうなだけに)、それに向かって努力するだけの価値はあることだなあ、とも思っている。
そして、その奇跡は、今度こそ、「内的変化」によってもたらさなければならないと思う。
「今度こそ」というのは、今まで、このとっても幸せそうな、多くの人が夢見てきた関係を、「システムによって」外側から固めようとして、その結果、機能せずに腐っちゃった例がたくさんあるんじゃないかと思うからである。外側からのシステムがあっても、なくても、揺るぎないような関係に向かって、なるべくたくさんのエゴを壊していくこと。それと国策の転換は、私にとっては同じ方向に向かって進む話なのだ。
……なんか、めちゃめちゃな話ですみません。
応援よろしくお願いいたします。
2011年05月29日
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