パリのホスト・ファミリーの家は、パリ、モンパルナスの南、わりと新興・高級住宅街の15区にある(東京で言うと、桜新町〜二子玉川みたいな感じ)。コルドン・ブルーの本校もある地下鉄12号線のconversation 駅に面しているrue de convention (rue de は「○○通り」の意。リュ−・ド・コンヴァンシオンと読む)に、ホスト・ファミリー一押しのパン屋さんがあって、週に2回ぐらいそこに行っていた。
(今、親の家で書いているので資料がありません。
住所と店の名前がわかったらまたアップしますね)
私はバゲットが苦手なので(白いパンは苦手)いつもカンパーニュしか買わないのだけれど、「白いパンは苦手」という感覚とおおいに矛盾して、そこのケーキ類はひかれる。とくにタルトは、飾り気がなくて、昔ながらのタルトの良さがあふれんばかり。フランスのタルトは大きくて、たぶん、デフォルトが直径30センチの型で焼いていると思われる。よって、一切れもでかい。
ローから話がそれるけど、パリのパン屋の多くは、入り口と出口が別になっている。「入り口」から入って、順番を作って並ぶ(昼休みや夕食前は、配給制のように列ができて、みな辛抱強く目当てのパンのために並び続ける)。ショーケースに沿ってならんでいる間に品定めをし、「出口」の前に近い場所にあるレジでほしいものを言い、会計をしてもらって出口から出るしくみだ。なので、「ゆっくり考えたいから」とか「今度来た時のために」という理由で商品をうろうろ眺めることがしにく構造になっている。
だから、店が混んでいるときはゆっくり目移りする暇があるのだけれど(たとえ食べなくても、デコレーションとか見るのは楽しいものだ。チョコレート・クリームとコーヒー・クリームの2色になったエクレアを、フランス語でdevorce=離婚 と呼ぶ、細かいところでラムールな国である)すいている時間に行っちゃうと、あっというまに自分の番が来て、「これください、はい、おいくら」の時間になってしまう。
1月に10日間パリに行ったときは、3日目と出発前に空港で飲んだショコラをのぞいて、砂糖をほぼ口にしなかった。そのときはチーズの魅力に完全にやられていてそこまで手が回らなかったのです(笑)。しかし、このパン屋さんの魅力はキョーレツだった。バレエのレッスンの帰りで空腹だったというのもあって、カンパーニュと一緒に買ったフランボワーズ(=ラズベリー)のタルトに、家に帰り着くのも待てず、ぱくぱくっとかぶりついてしまいましたとさ。
果たして。半径15センチ、円周部が9センチぐらいあるかと思われるタルトの半分ぐらいぱくぱくっといきましたかね。
目が、あかない。家に帰り着いたときには、完全に違う顔になってたと思う。ホスト・ファミリーのママから、「ともさん、顔が違う! 疲れた顔になってる! 大丈夫?」 と心配された。
実はこの日、お昼にフロマージュ・ブランを食べてしまった(だって、フレッシュ・ジュースとサラダだけだと10.5ユーロなのに、フロマージュ・ブランつけるとコンボ・プライスで9.5ユーロだったんだもん、パリのビジネス街ランチ)。という、史上最強動物性デーだったというのもあって……、まあ、そういう食べ方したことに反省はしてますがね。身体の具合の悪くなり方も、わかりやすすぎ&面白すぎだったです。そして、あのタルトは私の転換点だった(おおげさですが、そう思いました)
本当においしかったんです。あのふんだんに使ったバターの香りとすっぱいラズ・ベリーの組み合わせ。今でも忘れられない。フランスのバターはラベルに何も書いてなくても発酵バターがデフォルトなんだけど、発酵バターというのは焼いても風味がすごい(日本ではもったいなくて焼き菓子なんか使えない)。スイーツに関して、一種の到達点に達したというか、「これ食べたからもういいや」と思った。
だからといってスイーツをやめたわけでは全然なく、ただ、ローになってから減っていたそれを食べる罪悪感が、さらに減った。そして一方、やめてはいないけど、量も減った。
炭水化物と糖分を一度取り出すとやめられない……、という食行動にくさびが打たれたのは、心の奥深い部分での変化とつながっている、と、かなりはっきりと自覚している。
酒もタバコもその他嗜好品もとらない私としては、仕事を前にしてひるんでしまったとき、間食に逃げる傾向があったのだ。「嫌な仕事」というより「本当にやりたい仕事だけど、『完成するのだろうか』とか、『ビジネスにつながるだろうか』とか、不安が大きかった仕事。そういう、「やりたいんだけど逃げたい」仕事への抵抗感がなくなった。さくさくとやるようになった。
今、生きてて楽しいのだ(あらら、別項目で書くつもりだったのに、「ともフード」コラム5本目で、「深層」の方まで話が及んじゃった)。
この、暑くて、湿気が高くて、放射能のおかげで生存に関わるリスクが高まっていて、全体的に元気がなくて、気分屋の父親も待ち構えている東京で、「生きてるのが楽しい」という気持ちが、今までで最高値に高く、しかも日に日に深く、揺るぎないものになっている。
そういう気持ちがあると、仕事の手は早くなる。ゴールしか見えなくなるから。
で、白砂糖を使わないロースイーツより普通のスイーツはあきらかにエネルギーを下げると身体はわかっているのだけれど、「幸せになれそう」と感じたときにはいただくことにしている。このあたり、そのときの感覚でイエス、ノーをいってしまうので(私も父と同じで気分屋?)「どういうものなら食べるのか」説明するのは難しいのだけれど、
とりあえず、最近食べた甘いもので「ともフード」だと思ったものとしては。
・自作のシンプル・ロー・チョコムース(先日のレシピ参照)
・スイスのチョコレート(リンツのと、知らないメーカーの。久々にローチョコじゃなくてもおいしいチョコ食べたと思った)
・シズラーのスイーツカウンターに置いてあるストロベリー・ケーキ(俗っぽい味なのに「好き」と思うものがときどきある。)
・パリでホスト・ファミリーの家族とパリ近郊の農園につみに行って作った、赤スグリのジャム。
・スイスのホストが奥様と10年前に作った、ルバーブとレモンのジャムをのせたパン。
といったところで、やっぱり規則性はないのでした。
こうやってあらためて書いてみると、うーん、やっぱりおいしそうだ(最近、毎日ブログを書きながら口の中につばが出ているのでした)
スイーツは基本的に栄養学的に身体には必要がないものだ。だから、スイーツは「幸福感」のためだけに存在するのだと思ってもいいんじゃないか。
その場の「憂さ」を晴らすための幸福感ではなくて、そこにすでにある幸福感にさらに甘みを添える幸福感として、私のスイーツは存在し始めたので、成分とか量とかあまり気にしなくても「いい加減」に取り入れられるようになってきたのだと思う。
たくさん拍手や投票、コメントありがとう! 嬉しいです。
はげみにしますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。



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