突然ですが、愛のお話。
あなたはどんなときに「愛」されていると感じるか。
「セックスと愛を混同する」状態を「共依存」と言うそうです。
(あまりいいリンク先が見つからなかったのでリンク貼りませんが、codaの共依存のチェックリストに出て来ます)。
私は「約束」と愛を混同します。
といっても「一生一緒にいよう」とか、「毎年結婚記念日はお祝いしよう」とか、「来世でも結婚しよう」とか、
そういう約束に愛を感じるわけではありません(というか、それは約束なのか?)
私が愛と混同するのは、「プロミス」じゃなくて「アポイントメント」。
「来週の火曜日の夜7時に新宿駅の○○カフェでね」とか、「半年後の3月15日の夜7時に新宿駅の○○カフェでね」とか「1年後の1月17日の夕方7時に新宿駅の○○カフェでね」とか、
きっちりアポイントメントが指定されたときに私は愛を感じます!
(あ、命令口調で「ここに来い」と言われるという意味じゃないですよ。「会おうね」という合意があって、その日時が具体的に決まるということ)
1年後でも大丈夫。
3年後でも大丈夫、と言いたいけど、あまり先だとリスケ・キャンセルの可能性も出てくるから、まあ1年ぐらい先までかな。
でも、3年後でも、5年後でも、細かい日程は後から決めるとして、「だいたいこれぐらいに会わない?」みたいなこと言われるのは歓迎。
もしもアポイントメントがきっちり決まっていて、その間にガンガンに浮気されてたら…?
…私一筋で、気まぐれに連絡してきたり「どこかに行こう!」って言い出すよりも、アポイントとってそれ以外の時間は自分の仕事に集中できる方を、私は選んじゃいそうな気がするなあ。
…というか、アポイントメントは、自分も相手も大切にする手段、だと私は思っていて、だから、何かを大切にできる人が気まぐれに、思いつきでどんどん進む、というのは私には考えがたいのだ(ていうか、それ「独断」では?)
いわゆる「芸術家肌=ひらめき型」の人からの刺激がなくなっちゃう? でも、たとえ1分後、30秒後でもいいから、事前にアポはとりたいと思う。
お互いが合意するのに5秒はちょっと短すぎる(衝動的、中毒的)と思う。30秒ぐらいはあるのが適切なのではないか。
だから、私にとっては、アポイントメントの能力と愛の能力は分ちがたく結びついているのです。
別に、男女関係のお話でなくてもいいのです。
終わりです。



六本木にあるインド料理のお店のランチビュッフェに久しぶりに行ったら、サラダメニューが強化されていて、バリエーションがたっぷりになっていた。