数日前、小室哲哉さんてあらためてどういう人なんだろうと思って(わずか数日前のことなのに、雪が降ったらすっかり前のことになってしまって、ニュースの流れは早いですね)ウィキペディアを見たら、恐るべき逸話がたくさん書いてあった。
・3歳からヴァイオリンを習い始め、5歳のときにはすでにクラシックの器楽曲を作っていた。
・5歳のときに母親がエレクトーンを購入すると、母より先にコードを覚えてしまった。
・同じ頃、叔父からギターを習うと、覚えが早くて叔父を驚かせた。
・中学の頃に家の楽器を売り払って購入したシンセサイザーで、後にプロになってから各歌手たちに提供した曲のひな形を作っていた。
・高校に入学すると、クラスメイトから音楽の時間の宿題の作曲の依頼が殺到し、半分以上の生徒の作曲を肩代わりした。
etc, etc....
なんだか、クラシックな作品を多作し続けたピカソの少年時代を思い出した……。
そんなことを考えていたら、今日、3月に公開される実在した画家とその夫を描いた『しあわせの絵の具 愛を描く人 モード・ルイス』を、一足先に見ました。
わー、予告編見たらまた泣けます……
サリー・ホーキンス演じるモード・ルイスも、身体が弱くて家事をするのもやっとだけど、次から次へと描く。完成させる。あ、今思い出したけど、草間弥生さんとかもそうだよね。
完成させる力。
それがあるのとないのとでは、大違いだよなあ、と思う。
「完成させる力」を持っている人は、なぜ完成させることができるかというと、「そこに描くべき世界」がしっかい見えている、ということだからだ。
それを「構図」とも言う。
「世界」が見えている人、つまり「構図」が見えている人は、何枚でも、何作でも、完成させられる。
完成させる力がとっても弱い私の世界は、ぶれぶれだからだよなあ、と思う。
最初から弱いのか、誰かに壊されてしまったのか、強くする努力を怠けてきたせいなのか。
今年は、「完成させる力」にフォーカスしてみたいな、と思う。
「完成させる力」は「世界を見せる力」だとしたら、私が見えている世界を他の人も見られるようにする、という作業は、人を、とっても孤独から救い出すはずだ。
最近やっとブログを書き始めたのは、最近会う人ごとに「もう書かないんですか?」と言われたから。そして、その後に「ともさんの書くものを読んで(あるいは話を聞いて)、力をもらってたのに」と言われてたから。
力が与えられる、というのは、ちゃんと世界を見せてあげられているからで、そういう点から見たら、私にも少しは「完成させる力」があるのかもしれない。
今日は写真はないです^^
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(2022/12/16更新)