google keep を、めちゃめちゃ愛用しています。
使うようになってからどれぐらいたったんだろう? …まだ2週間もたってない。しかし、これが私の前に現れる前と、後とでは大違い(大げさなんだけど、そういう表現がぴったりになってしまう)。
このブログが今日書けているのもgoogle keep に助けてもらって仕事を片付けているから。
メモとかノートのアプリはいろいろあると思うんだけど、google keep というのは、メモをなんでも付箋みたいにぺたぺたはっておけるボードのようなイメージのものなんです。
ページを繰って探し出さなければいけないノートタイプのアプリと違って、すべてのメモを、全部並べて俯瞰できる。
あっちもこっちもやることが広がって、プロジェクトが全部同時進行になってしまいやすい(これ多分脳の傾向なんだと思う)私には、とても見やすい、使いやすいのです。
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自分のメモを(都合のいいメモだけね^^)スクショしてみた。
自分のgoogle keep を iphone で見るとこうなります。
買い物、買い物候補の比較、連絡しなければいけない相手、「仕事」とか「家事」」とか「趣味」とかわけず、とにかく自分が気になることをダンプ(洗いざらいぶちまけて)おける。
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それを、別のデバイスから見ることもできるのです。
PCで仕事しているときはPCから更新ができる。
もちろん、同期されていきます。
これを使うようになってから、とっても気持ちが静か。
どうしてかというと、google keep と「対話」しながら1日を進めていけるから。
「大変!」と思うヒマがあったらまずkeep 。keep することができただけで、それは解決の第一歩。
問題の可視化の第一歩だからね。
ふつうのto do list と違って、作業が終わったら、リストは捨ててしまうのではなくて、
その結果や、さらにその結果から生まれた次の課題をメモしておけます。
だから、「私は今、どの立ち位置にいるの?」「次は何をしたらいいの?」
「何を取りこぼしている?」
ということを、いくつものプロジェクトを並行して、しかもひと目で俯瞰することができる。
ちょっと変なたとえだけど、鵜飼いが、「鵜」を何羽もコントロールできている感じです(なにそれ?)
鵜飼いのイメージ
google keep と対話し、伴走してもらう生活のおかげで、最近、発言が少なくなっているところにもってきてますます静かになってしまいました。
で、そんなことを思っているときに、3月1日に公開される、クリント・イーストウッド監督の『15時17分、パリ行き』を一足先に見ました。
↓予告
ご存じの方もいると思いますが、2015年8月21日、高速新幹線タリス(アムステルダムからパリを経てマルセイユまで走る国際超特急列車のこと)の車内で起きた無差別銃撃未遂事件をもとにしています。犯人を取り押さえた三人のアメリカ人男性は、彼らがそのまま演じています。
これ、90分の映画なんですが、肝心の取り押さえは3分ぐらいの出来事なんです。3人のアメリカ人の若者のうち、二人は軍人で、専門の訓練を受けていました。銃を構えて発射寸前の犯人にアメリカンフットボールのようにとびかかり、首をナイフで刺されながらも離さない。そのうちふたりともう一人のイギリス人が取り押さえて銃を手放させ、訓練で習った柔術で首をしめて失神までさせた。その後、ワニを縛る如く後ろ手にしばり、緊急停車したアラス駅(フランス北部)で、駆けつけた警官隊にテロリストを引き渡した。さらに、撃たれて重症を負った乗客の応急処置までしていた。
このテロリストは自動小銃(カラシニコフAK-47)と弾丸約300発、ルガー(自動拳銃)、他複数の拳銃とナイフを持っていた。乗客554人を殺傷する能力があったのです。いろいろテロ事件が起きているけど、最悪の大惨事になりかねない事件だった。でも、彼らの活躍で未遂に終わったため、この事件はしばらくすると人々んの関心からはずれていった……のは、彼を取り押さえた青年たちのやり方が、水際立っていたからです。それこそ、何事もなかったかのように。
3分だけではもちろん映画にならないので、作品は、小学校の時から学校になじめず(そのうちふたりは教師から注意欠陥障害を指摘され)それでも、転校したキリスト系小学校で教えられた「神に私を平和の道具とされること」への希求が、この行動の背後にあったことを描いています。主人公たちはその一心で軍隊に入隊するんだけど、「平和の道具」として一番憧れた「救援パラシュート部隊」は、視力検査で落とされてしまう。しかし、その情熱は消えることなく、彼の中でいつも燃えていた、という設定で物語は進んでいきます。
映画の中では「平和の道具」となりたかった彼が受けた訓練の様子も時間をとって描かれている。厳しいと同時に、その範囲はあまりにも広い。身体を鍛えるのはもちろん、救助兵でもあるので医学的な知識も必要、救急救命室と同じようにとっさの判断力も必要。
そういうものを備えていたから、事件は3分で鎮火に成功しちゃった。
ちょとっとだけ事件になったけど、その後、あっというまに静かになった。まるで「何事もなかったかのように」。
何事もなかったように見えすぎて本当に忘れられていきそうな出来事を、「心を動かす出来事」として残そうと、イーストウッド(87歳だって!)映画の企画にしたわけですが。
「何事もなかったようにする」って、その水面下に、すごい強固な土台がある。その土台は鍛錬によって積み上げられたものである。
そういうものを私も鍛えてきたいな、大騒ぎしないで処理できるようにもっとなっていきたいなと、google keep をにらめてタスクリストを書き込んだり消し込んだりしながら、私は思うのでした。
(追記・今回書いた「何事もなかったようにする」というのは、痛みや傷つけられたことを「なかったことにする」というのとは別の話なので、そういうものがあると感じている人は、我慢しないで痛みを表明してくださいね)
2018年02月25日
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(2022/12/16更新)