5月6日にゲルソン療法集中ワークショップに参加した長文記事をひさびさに書き、反響もいただいたので、ちょっと補足。
ゲルソン・ミールというのは塩分による調味をしないので、そうすると「味がうすい」「味がない」という印象を抱く方がいるかもしれませんが、それは「体験したことがない」世界だから、そうなってしまうかな、と。
通常の調理された料理というのは、素材の味と調味料の味を混ぜ合わせて、完成した料理の味が作り上げられています。
でも、ゲルソン・ミールの場合は、「素材の味が100%」。
お酢少量とフラックス・オイル少量は使いますので、その味もあります。
「野菜の味をフルに楽しむ」。
それがゲルソン・ミールの味。
(もっともそのためには、野菜そのものの味がしっかりしている必要があるのですが)
で、この「野菜の味をフルに楽しむ」ということをしていると、まるで、
「ちょうどいい音量の音楽を、ふつうの耳で(耳栓をしないで)」聞いているのと同じだわと思うのです。味覚全開。
わー、ふだんは味覚を「防御」していたのだわ。味覚に耳栓はないから、脳みそで、味覚を感じないようにしているということよね。これは疲れる。
「感覚全開」って、心地よくて楽です。
たとえば、気温がずっと24度ぐらいだったらずーっと素肌でその感覚を感じたいし、汚い空気が肺に入ってこないなら思うがままに深呼吸できるし。味覚という感覚が一つ全開になれば、他の感覚も鋭敏に、というか普通に開かせたい、と願ってきます。
一方、もしも「味覚の耳栓」をつけていない状態で、つまり味覚全開の状態で、調味料満載の、高刺激なものが入ってきたら? 耳栓してないのに、超巨大ボリュームの音楽(騒音)がガンガン鳴らされたら、一発でまいってしまう。
通常の「調味料あり」の料理を食べているというのは、そういうことだと、超音量の音楽を、耳栓をして「このぐらいの味がちょうどいいわよね」と思っているのだと、この時点でやっとわかるのです。
この世界は、すべて「調味料なし」でできていない、という変えられない現実があるので、「調味料あり」と「なし」ふたつの世界をうまく渡っていこうとしたら、味覚の耳栓、つまり麻痺させることを、装着してみたり、はずしてみたり、使いわけることが必要となる。
でも、わたしはその「いちいち装着使い分け」という手間をいちいちかけるのが苦手。とくに、「味覚耳栓なし」という状態が楽ちんなのを知ってしまうと。どこかしめつける下着を着なくてもいいんだと知ったらもうつけたくなくなってしまうのと似ています。
世の中には、その感覚を大事にしたくてまじめにそれを追及している人というのは、いるのですよね。たとえば、叶 恭子さんは、ご自宅で、エアコンで室温を24度に設定して、全裸でいると聞いたことがあるし、絶対音感を大事にする音楽家で、家でうるさい調理家電(ミキサーとか)使わないと言ってる方にお会いしたこともあります。
私は、味覚はもう断然このほうが気持ちがいいし、言語感覚についても、それに近い「感覚全開」を維持していきたいと思っている。
あなたが「全開」でいたいと思う感覚はなんですか?
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新しい調理家電をためしています。ゲルソン・ミールは手がかかるので、少しでも調理労力の軽減になる調理器具をずっと探していた。
まだ購入しないで、「1週間のレンタルサービス」というのを利用しています。
本日届いたのでもうちょっといろいろやっているつもり。
2019年05月09日
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(2022/12/16更新)