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2019年06月09日

あなたが何より救われるのは、「あなた自身の物語」を見つけること。そしてそのために私がお手伝いできるのは、「わたし自身の物語」を語ること(2) 「自分の物語」を見つけられてないことの正反対の現象

(2019.6.9現在 ブログの表示が崩れています。修正作業中です。お見苦しい点お詫び申し上げます)

 石塚ともです。ご訪問ありがとうございます。

 久しぶりにブログをいじったら、さっそく表示を崩してしまいました……。デザイナーさんが修正作業してくれてますが、私がいじったためどこを崩したかわからず💦💦💦 しばらくお眼汚しご不便をおかけします😞
 
 そんな中、「救済ってワードが気になる」とか「私、救われてるの?」とか「私、全然救われてない」とか、「私救われてるけど石ともさん何を言い出すのか見てみよ」とか思ってまた見に来てくださった方、ありがとうございます。

 続きを書きます。

 前回の記事(1)で、自分の物語を生きられていないとどうなるか、ということを書きました。

 自分の物語を生きられないと

「迷ってる」
「苦しい」
「自分が自分じゃなくなるような気がしてる」
「無理して笑ってる」
「生きることに意味が見出せなくなってる」
「弱いものに振るわれた暴力を否認する」
「だます」および「だまされる」
「自ら病む方向に行ってしまう」

などがその現象としてある、と書いたのですが、でも、それよりさらに状況が悪くなって、完全に自分の物語を見失ってしまったときにどういうことが起こるかというと、

「自分以外の物語を、自分の物語だと信じて生きる」

 ということだと思います。
 上に、「自分の物語を発見できてないと、苦しいし悩む」って書いたんですけど、完全に他者の物語にのっとられてしまうと、「苦しい」という感覚さえなくなってしまって、自分の物語を生きようとするよりむしろラクかもしれないなと思ったりもします。

「自分の物語を発見できてないこと」は、以前メルマガで書いた「感情鈍麻」ともかぶっているので、
よかったら下記のリンク先もお読みください。

感情鈍麻(1)
過剰鈍麻(2)
感情鈍麻(3)
感情鈍麻(4)
感情鈍麻(5)
感情鈍麻(6)

「他者の物語にのっとられてしまうこと」の末期的段階は、

「『死』が美しいものとして感じられてしまう」

ということじゃないかなと思います。

そしてその段階をさらに通り抜けると

「『死』を美しいものとして語るけど、ただし自分は別(自分が死に近づくことはしない)」

という段階だと思います。

他人を犠牲にしても平気、みたいな発言をさっくり笑顔でしちゃえるような。

ここから先は私の想像だけど、こういう人って、じゃあ死んだら(もしくは誰かを死においやったら)ラクになるかというと、逆なんじゃないかな。
それはまさに「救済」とは反対の方向ですよね。。。「救済」の反対語ってなんだ?「地獄」??「懊悩」??(この字読める?)


 上の感情鈍麻の記事の中でも書きましたが、
 救済されるか、イコール私の理論では自分の物語を見いだせるかって、食べ物と全然関係ないです。。
 2006年からローフードを食べ始めて、自分と周囲の人を観察して得た、結論がこれです。

「救済」と「自分の物語を見つけること」にご興味の方は、次回の投稿もお待ちください。

次回予告
(サピエンスと物語)


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