あなたが何より救われるのは、「あなた自身の物語」を見つけること。
そしてそのために私がお手伝いできるのは、「わたし自身の物語」を語ること
シリーズ。今回は4回目
その1 こちら
その2 こちら
その3 サピエンスと物語と健康 こちら
今回はその4。
予告通り 『物語にのっとられて生命を落とした人々』
私が初めて物語に興味を持ったのは、そして影響を受けすぎて「自分も物語を書く人になりたい」と思うことになった作品は、ルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』(原題 little women 1868年)です。
世界的ベストセラーで、日本では『アルプスの少女ハイジ』と同じ枠で連続アニメになったのでご存知の方がたくさんいらっしゃると思いますが、この作品は、明治維新と同じ年に書かれたこの作品は、作者オルコットの自伝的作品と言われています。言われています、っていうか、ほぼ断定です。
little women =girl ではなく「小さな大人の女性」というタイトルは、当時は先端の思想であったフェミニズムを学んだオルコットが登場人物たちを欠点もあれば自分の意思も野望もあるひとりの人間として描こうとしたという意図が現れています。日本ではこの「小さなおとな」を「若草」と表現してこのタイトルがつけられたのでしょう。
しかも、繰り返しますが、この小説は自伝的小説なんです。
今ざっくり調べたのですが、物語作者が自分の人生を投影する手法って、近代の手法なんです。絵の題材がギリシャ神話とお金持ちの肖像画だけだったように、昔はストーリーというのは神様の話かえらい人の話しか書いちゃいけないわけで、自分のことなんか書いちゃいけないですからね。ヨーロッパでそのはしりとなるのが18世紀末〜19世紀初頭のゲーテぐらいから。日本では明治にはいって一気に「私小説」という分野が燃え上がりますが。
だから、19世紀後半に書かれたオルコットの『若草物語』は、史上初めて女性の手によって書かれた自伝的小説の一つ、と言えるかもしれません。(あとで書きますが、この頃書かれた有名な自伝的要素が盛り込まれた小説がもう一つあります)。
というわけで、『若草物語』、というのは、世界初の、女性の手によって書かれた、しかも、登場人物をひとりのリアルな人間として描いた「わたしの物語」なんですね。
その作品に、日本の五歳の女の子が魅了され、いつか自分も同じことをしたいと志してから、もう半世紀たったのでした。。。
さて、自伝的小説を書いたオルコットですが、では本人は実際にどんな人生を過ごしたのかというと、まず、55歳でなくなっています。
アメリカの1900年の平均寿命が実は47歳ぐらいだそうなので、55歳ってそんなに短命ではないのですが(21世紀を生きると忘れそうになりますが、サピエンス、「人生50年」のハードルを超えてかららまだ50年ぐらいしかたっていません)ただ、サピエンスの平均寿命を下げているのは乳幼児の死亡率なので、大人になるまで生き延びた人の中では、格別長生きとも言えません。彼女の死因は南北戦争時代に従軍看護婦として働いた時患者の腸チフスの治療薬として使っていた水銀の中毒によるものでした。これも、当時としては仕方ないかもしれませんが、天寿を全うしたという感じもしません。健康状態が悪化してからも作品を書き続け、道半ばで倒れるように亡くなりました。
それから、彼女の人生は、経済的に困窮していました。
『若草物語』の出だしのたった2行目、長女のメッグ(マーガレット)のセリフが「貧乏っていやねえ!("It's so dreadful to be poor!")」です。のちに父親の闘病費としてジョーがかつらのための髪の毛を売ってお金を作ったり、「貧乏」は、すごくすごく大きな、『若草物語』のテーマです。
オルコットの両親は、超越主義といって、当時のアメリカの最先端の思想の持ち主で、その学校を経営していたのですが、この経営がうまくいかず、彼女は家計を支える必要がありました。彼女にとって物語を書くことは好きなことでもあったでしょうが(それは『若草物語』を読めばわかります)、同時に、大事な生活手段でもありました。
そして、『若草物語』の中で本人がモデルであると思われるジョーは結婚しますが、オルコット本人は生涯独身でした。
なんだかあまり幸せそうじゃないなあ、と、これらのことを知った私は思ったものです。
とくに、両親の人生の理想が高すぎて生活が困窮していて、それの穴埋めをするために小説を書いた、というのが、重く感じられました。
雇い主とか国から搾取されたような明らかに他人が悪い貧乏わけじゃなくて、自分で自分の首を締めるような貧乏生活だったんですね。
『若草物語』はオルコットの「わたしの物語」であり、それを書いたことで彼女にとって癒しはあったんじゃないかと思うんですけど、同時に、ストーリーとしての『若草物語』は、できすぎている、というか、読者のウケが優先というか、「おもしろすぎる」と感じる部分があります。
これは、生活のために作品を書いていたオルコットが、それだけ読者を面白がらせることにガチだった、ときには「わたしの物語」を語ることより、「他人が面白がる物語」を語ることを優先させてしまったんじゃないか、と感じさせられたんです。
私は、オールコットの『若草物語』以外には『八人のいとこ(Eight Cousins )』や『美しいポリー(An Old-Fashioned Girl,1870年)を読みましたが、これらが、『若草物語』に比べて、ぜ〜〜〜〜〜〜んぜん面白くないことも気になりました。
どこが面白くないって、それらの作品は教条的すぎたのです。「両親が選んでくれたし、私たちの年齢でぜいたくな服は必要ないと思うの」と言い切って質素な服装をしているポリーとか。『若草物語』のような人間くささがそこにはありませんでした。
この投稿をするためにオルコットの人生を調べたら、彼女は、別のペンネームで、さらに人間くさい欲望に満ちた主人公たちが登場する小説も書いていたんだそうですね。教条的から人間の欲望かあ。。。「わたもの」だけでは納得できないエネルギーが彼女にはあったのかなあ。。。
19〜20世紀にかけて、商業的な作家(および他の芸術家)が出てくると、彼らは「わたしの物語」を語ることで読者や観客の共感を得、同時に自分が癒される面もあったでしょう。しかし、それを生業として続けていったときに、いつのまにか、「わたしの物語のように見えてそうでない物語」が「わたしの物語」をのっとってしまい、本人も知らず知らず知らずのうちに、「わたしの物語」でない物語を語ってしまい、それはときには少しずつ、ときには劇的に自己喪失の原因となって、ついには命を縮めることがあるんじゃないか。私はそんなことを感じるようになったのです。
一つも商業的作品を仕上げる前から、いや仕上げる前だからこそ、私はそれを恐れて先に進むことができなくなりました。
どうしてかというと、一度「わたしのものではない物語」を書いてしまったら、もう軌道修正することはできないように感じたからです。一つずれたら、どんどんずれていきそう。
「わたしの物語」を語ったつもりが、実は「わたしのものではない物語」を語ってしまって寿命まで縮めてしまったんじゃないか、と思う女性があとふたりいます。ひとりは、オルコットと同じ頃カナダで『赤毛のアン』シリーズを書いた、ルーシー・モード・モンゴメリ。彼女の死因は薬物の過剰摂取だったと子孫が明らかにしています(否定している学者もいます)。もう一人は、日本のある漫画家です。
なお、ここまで女性の作家ばかりをあげてきましたが、男性が「自分の物語」を語ったつもりで実は「自分のものではない物語」を語ってしまうと、抑圧が自分でなく周囲の他者に向かうんじゃないかと思うことがあります。
上に書いたことは、作品を読んだ私の感覚的なものなので、また、幸福の体感というのは本人にしかわからないことなので、あっているかどうかは、証明しようもありません。
しかし、私が感じたことは、それは自分のやりたいことではないなあ、ということ。
そして、私がやりたいことは何だろう、と思って出てきたのがこのシリーズのタイトルで、私は、自分の救済になるためにしたいこと、する必要があることは、「わたしの物語」からそれないことだ、と思うようになったのでした。
次回は、想像つくかと思いますが、「わたしの物語」を、その軸からぶれないように、どうやって語っていくか、ということです。
あ、その前にもう一つあります。それは、どうして、読む人は、「わたしの物語」ではなく、「わたしの物語に見えてそうでない物語」を求めてしまうのか、ということ。これも書いておかないと、「お互いに救われたいんだったら、わたしの物語だけ書いていればいいのに」って思いますよね。
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参考にさせていただきます。
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