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2019年08月24日

『物語は代謝する』(あなわた・7)

『物語は代謝する』

《あなたが何より救われるのは、「あなた自身の物語」を見つけること。
そしてそのために私がお手伝いできるのは、「わたし自身の物語」を語ること》
略して、「あなわた」

(これまでの投稿)
その1 こちら
その2 こちら
その3 『サピエンスと物語と健康』 こちら
その4 『物語にのっとられて生命を落とした人々』 こちら 
その5 『「救われない物語」を求めてしまう人の心理』 こちら 
その6 『「物語を語る力」のインストール』 こちら 


まず、結論のおさらい、「自分の物語を発見し、語ることで、人は救われる」。

 前回、
「自分の物語は商業ベースの物語とは違うものだ」
「自分に酔うナルシシズムや自己自慢、自己卑下とも違うものだ」

 ということを書きました。

 その違いで一つ書いておきたいのは、「自分の物語というのは、永遠に同じ筋書きではない、しばしば変化する」ということです。
 それは、その物語が事実ではないから、ではありません。物語を語る私が変化するからです。
 自分の物語が語られるとき、当然ながら、今まで誰にも共有されなかった事実が浮き上がってくることがあります。とくに、悲しみや怒りなど、自分も他人も受け止めるのが困難な感情を伴う物語は、自分の心の奥底にしまわれて、長い間誰からも発見されない、ということが起きてもおかしくありません。
 一方で、物語はあくまで「物語」で、つまり学術論文やジャーナリズムではないので、完全に裏をとるまで語られてはいけない、ということはありません。「記憶がおぼろだが」というふうに語ってもいいのです(一方、ですから、それを「100%事実」と言い切ってはいけないし、学術やジャーナリズム、裁判などに引用することはできないです)。
 そして、「物語」ですから、ただ語るだけではなく、聞き手がいて完成します。受け止めてくれる人が必要です。「あなたの話を聞いていますよ」というメッセージを受け取れた時、人はとてもこころづよいものです。それだけでも癒しになりますよね。
 
 そして、その物語の一番の聞き手は、実は語り手本人であり、本人は、自分の物語を反芻しながら、自分に対する新たな気づきを深めていきます。

 その経過の中で、おぼろだった記憶が鮮やかに思い出される場合もあるし、二度と消えることはないのではないかと思うほど脳裏にしみついていた記憶が、薄れていく場合もあります。

 自分に酔うための自慢、卑下は、周囲の人にも自分にも、固定した自己イメージを与えます。 
 それと反対に、「自分の物語」というのは、自分に認識されたとき、役目を終えます。その人は、次の物語に向かって旅立ちます。
 「自分の物語」は、細胞と同じだなと思います。だから、あなたにも「自分の物語を語ること」をちょっとお勧めするんですけど。代謝しないとその人の中で何かが詰まる。

 あなたは、自分の物語を見つけ出すだけでなく、代謝させていますか?

 続く

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