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最近、ローフードについてほとんど語ることがなかったので、
最近の私の考えを書いてみます。
それは、「なぜ寺子屋セミナーを始めることにしたのか?」
という問いの答えにも一部なっています。
で、直接ローフードの話しをする前に、
一つの例から始めたいと思います。
3〜4年前だったかな?
私が、銀行で順番待ちをしているとき、
週刊誌(サンデー毎日かそれに類するようなもの)を
手にとったときのことです。
そこに、ある、女性学者(と、いっておきます、大学の先生してたので)
のインタビューが出ていました。
英国暮らしの長い方で、日本とイギリスを比較する本を書いて
ベスト・セラーを連発した方です。
そこに、このようなことが書いてあったのです。
「イギリス人は、職を失ったら、『これがチャンス』というふうに
考えます。
日本では、リストラで職場をクビになったのに、そのことを
家族に言えずに、毎日スーツを着て出勤している人がいるんですってね。
イギリスでは、信じられないことです」
これを読んだ人の中で、
イギリス映画、『フル・モンティ』を見た人なら、
「ほーっ、おもしろいこという人だなあ、この人は」
と思うかもしれませんね。
なぜなら、『フル・モンティ』は、
イギリスの衰退してゆく鉄鋼業界を舞台に、
まさに、職場を解雇されてそのことを妻に言い出せずに
毎日スーツを着て職場に出勤するふりをする中年男が、
元部下のこれまた失業中の男(就職先を見つけないと息子の
親権を妻にとられてしまう)の誘いに応じて、
えいやっ! と、ストリッパーになる話だからです。
http://bit.ly/lozBmzトム・ウィルキンソン演じるこの中年男は、
主人公(ロバート・カーライル)たちより少し年上、
叩き上げで、中間管理職にあったことにささやかな誇りを
持っていた。だからこそ、妻に解雇されたことをいえないのですね。
この事象からわかることは、
情報化社会では、「専門家」と称する人の情報が常に正確であるとは
限らないし、そのことが、インターネットを通して、みな明らかに
なってしまうということです。
そして、非常に興味深いことは、「これが正しい」と思う専門家は、映画『フル・モンティ』を
見た一般の人からその事実を指摘されることはないまま人生を終わってしまうかもしれないし、
『フル・モンティ』を見た一般人も、まさか、自分が
「専門家」と称する人が知らないことを知っているとは
思いもよらずに、そのまま生きていくということです。
(記事を読んだとき、この記事を書いたインタビュアーは
映画『フル・モンティ』のことを知っていたのかな? と思いました。
もし知っていたとしたら、この専門家にそのことを指摘せずに
記事を書いたということになりますよね)
こうした、「ふたつの事実がパラレルに同時進行する」
ということを、情報化社会は生み出してしまったのです。
映画『マトリックス』は、まさにこの状態を指摘した映画なのですが。
ローフードについても、同じようなことが、
すでに、たくさん起きていると思うのです。
映画『マトリックス』が公開されてから10年以上たちますが、
そういうことが、堂々と娯楽映画の中で指摘されるようになった、
というのは、我々は、その「並行に存在する事実」を無視できなくなった
時代がきた、ということだと思うのです。
同時に、現実世界で『マトリックス』を感じることの難しさもまた、
映画は指摘していたわけですが、
それにしても、日々進化する情報化は、そのことを、
日々、無視できないものにしていっていると思います。
だから、その中で、「専門家」として情報を伝え、
それを権威付けする、というやり方は、
近い将来時代遅れになっていくし、
(予言、ではないのですが、そうならざるをえない、ということ)
だったらさっさと乗り換えたくなっちゃったのです。
そして、私が食べ続けているローフードを意味付けすると、
その
「乗り換え」の力を与えてくれるものだったのです。
そして、「世界は、パラレルにさまざまな現実が同時存在する」
という、ややっこしい、でもそれこそまさに「ありのままの姿」を
認める力を与えてくれるものだったのです。
上記のイギリス専門家は、
元イギリス男爵の妻だったとのことで、アッパークラスの視点から
物を見ていると思われる、しかもイギリスびいきで日本卑下の視点なので、
映画を見ても、
「これは映画のことで、話を面白くしているだけのことです、
事実ではありません」
というかもしれません
映画作者さえ、「世界中の人に共感を持ってもらえるエピソードを
考えました。事実ではありません」というかもしれません(笑)
でも、イギリス労働者階級に共感を寄せる人や、
自分自身がリストラされて傷ついた経験がある人は、
このエピソードを「事実だ」と思うかもしれません。
このように、ひとつの事象を見たときに、
それをどう解釈するか、という、一種の色眼鏡は、
客観性を求められる、学者、科学者、政治家、企業経営者、
などであっても誰でも持っていることで、この色メガネのことを、
「パラダイム」と呼ぶわけです。
だから、私にとって、「ローを伝える」ということは、
「ローの専門家」になるということではなく、
(10年前だったらなろうとしたかもしれない)
「世界はいくつもの現実が同時に存在する
(つまり、今までの考え方では不条理な考え方で成り立っている)」
「その中で自分の立ち位置を見極め、場合によってはメガネをはずしたり、
架け替えたりする(違って見えるので、最初は怖いはず)」
というような、先走りすぎるかもしれないけど、
未来を基準に考えたら、きっとワクワクする考え方の原動力としての
ローフードをお伝えしたいと思うのです。
ロービューティ寺子屋でやることは、
そんな、未来基準の自分に備えて、少しずつ、コツコツと
自分の中のデータを書き換えていくための
エクササイズなのです。
【今日のまとめ】
ローフードに限らず、すべての情報は、情報化社会の中で、
その不完全性があらわになる宿命を負う。
ローフードは
情報が不完全に、しかも並行に存在する
世界、というものを受け入れる力を持たせてくれる食べものである。
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この考えも、ひとつのパラダイムにすぎない。
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