小学生なみに、毎日身体が変わっています。
といっても、今回はローフードによる化学変化ではなく、バレエによる物理的変化の話。
でっちりがどんどんなおって、前ももの筋肉が落ちて(ここについていてはいけない)、腰からお尻へのライン、脚の細さなどがどんどん違っていっています。
昨日の「受け取る身体」のことでも書いたけど、変化のしやすい身体になっているのかな?(指導とか、整体のようなサポート、その時間は仕事のことを考えない集中力など含めて、すべて)
2010年01月14日
2週間英語6時間漬けプログラム終了
「スキーが滑れるようになる」とか「自転車に乗れるようになる」などのように、「毎日コツコツ少しずつ」っていうより、「ある時集中してダーッと」やっちゃったほうが身につくし忘れないことって、あると思います。「あ〜もう少しで感覚つかめるんだけどな〜」っていうときに練習終了時間→しばらく時間が経過→再開した時は前の感覚をすっかり忘れていて、「あ〜思いだしてきた」っていうときにまた練習時間終了、ってなってしまうと、なかなか先に行けない。
語学もどうもその領域であるような気がしていて、ですからこの2週間のおこもりの成果は、とても大きかったです。
効率悪いかもしれないけど、語源まで調べて「辞書を読むのを楽しめた」ところ(なんて贅沢な時間なんだ!)いろいろ試行錯誤して、あとで見やすいノートの作り方を試したり。
それから、自分が何が苦手なのか明確にわかったのがよかったです(イギリス英語、オーストラリア英語の聞き取りが全滅、長文では見破れない構文が一つ出てくるとその後全滅、ボキャブラリー圧倒的に足りない)
たいていの文は「え? わたし、どこまで理解できてるっけ?」って後に戻ることがなくなった。でも、まだ訳している分スピードが遅いので、あとは反復。
今年は海外での研修はなし、です。今行くといまいちもったいないから。もうちょっとレベルアップして、いつか行ってみたいです(ローフードのスクールじゃないかもしれません)。
↑思い出の写真館。セドナは1000メートルの高地。そこからさらに1000メートル上がったフラッグスタッフ(高地過ぎて、北京五輪の前に北島康介が合宿したところ)は、もはやサボテンもなく、長野や北海道のように針葉樹がはえています。
語学もどうもその領域であるような気がしていて、ですからこの2週間のおこもりの成果は、とても大きかったです。
効率悪いかもしれないけど、語源まで調べて「辞書を読むのを楽しめた」ところ(なんて贅沢な時間なんだ!)いろいろ試行錯誤して、あとで見やすいノートの作り方を試したり。
それから、自分が何が苦手なのか明確にわかったのがよかったです(イギリス英語、オーストラリア英語の聞き取りが全滅、長文では見破れない構文が一つ出てくるとその後全滅、ボキャブラリー圧倒的に足りない)
たいていの文は「え? わたし、どこまで理解できてるっけ?」って後に戻ることがなくなった。でも、まだ訳している分スピードが遅いので、あとは反復。
今年は海外での研修はなし、です。今行くといまいちもったいないから。もうちょっとレベルアップして、いつか行ってみたいです(ローフードのスクールじゃないかもしれません)。
↑思い出の写真館。セドナは1000メートルの高地。そこからさらに1000メートル上がったフラッグスタッフ(高地過ぎて、北京五輪の前に北島康介が合宿したところ)は、もはやサボテンもなく、長野や北海道のように針葉樹がはえています。
2010年01月01日
わくわく英語学習1日6時間 #english
12月25日に衝撃のTOEIC結果が返ってきてから、正月休みは1日6時間英語を勉強しようと決めました(TOEICは確かにテクニックの部分もありますが、おおまかには実力が反映されます)。。。。が、なんだかんだなんだかんだなんだかんだで、6時間は全然とれず(せいぜい寝る前の1〜2時間で電池切れ寸前の状態)、大晦日にやっとそれだけの時間がとれました。
電話もメールもかかってこない、外に車も通っていない日、というのが、なんとぜいたくで自分の欲しいものであったか、知りました。。。
そして、今まで「一度でいいからやってみたかった贅沢な勉強法」をやりました。単語集見てわからない単語を、longman とWebster のオンライ辞書で語源から全部調べて、プリントして切り張り。紙は今までプリントアウトしたものの裏紙を再利用。
なんとまあ辛抱強い作業をという感じですが、「暗記」でなく「理解」できることが長年私のしたかったことで、お尻に別の仕事がつかえた状態ではなかなかできなかったので。
年末にエリクソン催眠で、「本当のリラックス、本当のトランス状態」というのはどういう状態か経験していたので、「これやっているときというのはリラックス&トランスなんだ」とわかりました。脳味噌が本当に気持ちいいのです。
こういう時間が2010年はもっと持てるといいなあ。
この状態が、自分にも世界にも、いちばん安定をもたらす時間だと思うから。
電話もメールもかかってこない、外に車も通っていない日、というのが、なんとぜいたくで自分の欲しいものであったか、知りました。。。
そして、今まで「一度でいいからやってみたかった贅沢な勉強法」をやりました。単語集見てわからない単語を、longman とWebster のオンライ辞書で語源から全部調べて、プリントして切り張り。紙は今までプリントアウトしたものの裏紙を再利用。
なんとまあ辛抱強い作業をという感じですが、「暗記」でなく「理解」できることが長年私のしたかったことで、お尻に別の仕事がつかえた状態ではなかなかできなかったので。
年末にエリクソン催眠で、「本当のリラックス、本当のトランス状態」というのはどういう状態か経験していたので、「これやっているときというのはリラックス&トランスなんだ」とわかりました。脳味噌が本当に気持ちいいのです。
こういう時間が2010年はもっと持てるといいなあ。
この状態が、自分にも世界にも、いちばん安定をもたらす時間だと思うから。
2009年12月07日
「To Do」か、「Wish」か?
今日は印刷所とデザイナーさんとのデータのやりとりで一日中パソコンにはりついていて、待ち時間が多かったので iPhone とPCで共用できるTo Do アプリケーションを検索したり試したりしていました。iPhone すごいです(最近私のもう一つのブログはiPhone の話ばっかり)。私の携帯、通話とメールだけで6年ぐらい使っていて、突然現代にジャンプしたっていうのもあるけど。1日2回生きるローフーディストの人生が4回ぐらいになっちゃう(笑)
iPhone のいいところは、「同期(synchronizeシンクロナイズ)」といって、たとえば今まで別々に管理されていた携帯電話の中の連絡先とPCの中の連絡先リストをつなくだけで共通の最新データにアップデートしてくれることなのですが、このように連絡先管理やスケジュール管理についてはアイフォニストたちのあいだで使いやすいソフトがだいたい一致しているのですが、To Do だけは、いまいち評価が分かれているようでみんないろいろのを試しています。
GTD 対応のものがいいんだけど(GTDって何? って方は、こちらやこちらを見てください。ちなみにGTDとノンバイオレント・コミュニケーションは「具体的な行動に落とし込む」という点で、非常に似ています)GTD対応のTo Do リストで、iPhone とも共通で使えるものがなくてみんな苦労しているみたいなのだ。
で、ごく普通のTo Do(「タスク」ともいう)リストを作っていて思うのだけど、「タスク」というのは「やるべきこと」なので、書いていてなんか面白くない。本当はスケジュール管理というのは、あまった時間を作り出して「やるべきこと」から「やりたいこと」へアクションを以降させていくことなんだけど。(いわゆる第2領域というやつ)
続きを読む
iPhone のいいところは、「同期(synchronizeシンクロナイズ)」といって、たとえば今まで別々に管理されていた携帯電話の中の連絡先とPCの中の連絡先リストをつなくだけで共通の最新データにアップデートしてくれることなのですが、このように連絡先管理やスケジュール管理についてはアイフォニストたちのあいだで使いやすいソフトがだいたい一致しているのですが、To Do だけは、いまいち評価が分かれているようでみんないろいろのを試しています。
GTD 対応のものがいいんだけど(GTDって何? って方は、こちらやこちらを見てください。ちなみにGTDとノンバイオレント・コミュニケーションは「具体的な行動に落とし込む」という点で、非常に似ています)GTD対応のTo Do リストで、iPhone とも共通で使えるものがなくてみんな苦労しているみたいなのだ。
で、ごく普通のTo Do(「タスク」ともいう)リストを作っていて思うのだけど、「タスク」というのは「やるべきこと」なので、書いていてなんか面白くない。本当はスケジュール管理というのは、あまった時間を作り出して「やるべきこと」から「やりたいこと」へアクションを以降させていくことなんだけど。(いわゆる第2領域というやつ)
続きを読む
2009年11月27日
M先生
直接ローフードとは関係ないのですが、最近、軽く(すごく?)カルチャー・ショックだったことをシェア。
それは、私が通っているバレエ・スタジオの先生のひとりである、M先生のことです。
M先生は、「バレエが国技(スポーツじゃないけど)」みたいな国に生まれてその国の国立バレエ学校を優秀な成績で卒業し、現在は某有名劇場のファースト・ソリストとして活躍していらっしゃいます。
他のお教室でもときどきその先生の話題になることがありますが、「あの先生は踊りにも教え方にもまじめな人柄が出てるわねー」といわれるような、おだやか〜なムードの先生なんです。そのくせ、踊りはすごいんです。1回転回ると「気」が、2回転回ると「鬼気」が感じられて、圧倒されます。
続きを読む
それは、私が通っているバレエ・スタジオの先生のひとりである、M先生のことです。
M先生は、「バレエが国技(スポーツじゃないけど)」みたいな国に生まれてその国の国立バレエ学校を優秀な成績で卒業し、現在は某有名劇場のファースト・ソリストとして活躍していらっしゃいます。
他のお教室でもときどきその先生の話題になることがありますが、「あの先生は踊りにも教え方にもまじめな人柄が出てるわねー」といわれるような、おだやか〜なムードの先生なんです。そのくせ、踊りはすごいんです。1回転回ると「気」が、2回転回ると「鬼気」が感じられて、圧倒されます。
続きを読む
2009年09月09日
つまらないことに没頭する
みなさんこんにちは。数日中に、「ビジー・ピープル」の見本ファイルをお披露目できるように調整中です。今、ちょっと時間ができました。2009年の忘れられない夏を経て、「あれ?」と自分に起こった変化について書いてみたいと思います。
続きを読む
続きを読む
2009年09月06日
みなさんへ、本当にありがとうございます。
こんにちは。このブログをいつも見てくださる皆様も、初めて見る皆様も。
まだまとまっていないことがたくさんありますが、自分の気持ちを伝えたくて投稿しています。
2009年7月〜8月は、私にとって一生忘れられない夏になるでしょう。六本木に出てきたとき、レプティリアンに出会ったとき、ローフードに出会ったときと同じぐらいか、もしくはそれ以上に大きな変化となった夏でした。いろんなものが総入れ替えになってしまいました。そして最後に入れ替わったのは、まさかそれがぽろっと落ちるとは思わなかった自分の一部となっていたストーリーでした。
本を書くときというのは、作者はラストがどうなるかを知っています。多少違ってしまうこともありますが、おおまかな方向性は見えています。
しかし実人生というのは、「ラストを知ってたら苦労しねーよ」と思うことの連続ですね。全部終わって初めて、「私が欲しかったものはこれだったのか」あるいは「私が捨てたかったものはこれだったのか」と気がつくことがたくさん。
ブログを書いていると、自分の過去の変化について書いているうちはよかったのですが(行き先がわかっているから)、毎日自分の変化が「あれ? へんだ? これは何だろう?」と思いながらも言語化できないことがあります。思えば3か月に1回ぐらい起きていますね。
このブログは、今はコメント交流もないから私が一方的に書いているように見えますが、書く私、このブログを見る人、すべての人とのエネルギーの共同作業で私の変化が作り上げられる。その感覚はとても強いものとなりました。インターネットも実生活も、つまりは変わらないのだと思います。
この大きな変化については、もうちょっと振り返りができてから、シェアできたらと考えております。20年分ぐらいかかって作り上げてきたものを、一気に手放した2か月なので(杖をとって歩き出したようなものなので、まだちょっとよちよちしている部分もあります)。
まずは今の気持ちと、なんともいえない腹の奥から微笑みがわいてくる感覚をお伝えして、今日の投稿は終わりにしたいと思います。
本日もご愛読いただき、ありがとうございます。
またこのブログ上でお会いいたしましょう。
あいうえおの「あ」と「い」ですね!
石塚とも
まだまとまっていないことがたくさんありますが、自分の気持ちを伝えたくて投稿しています。
2009年7月〜8月は、私にとって一生忘れられない夏になるでしょう。六本木に出てきたとき、レプティリアンに出会ったとき、ローフードに出会ったときと同じぐらいか、もしくはそれ以上に大きな変化となった夏でした。いろんなものが総入れ替えになってしまいました。そして最後に入れ替わったのは、まさかそれがぽろっと落ちるとは思わなかった自分の一部となっていたストーリーでした。
本を書くときというのは、作者はラストがどうなるかを知っています。多少違ってしまうこともありますが、おおまかな方向性は見えています。
しかし実人生というのは、「ラストを知ってたら苦労しねーよ」と思うことの連続ですね。全部終わって初めて、「私が欲しかったものはこれだったのか」あるいは「私が捨てたかったものはこれだったのか」と気がつくことがたくさん。
ブログを書いていると、自分の過去の変化について書いているうちはよかったのですが(行き先がわかっているから)、毎日自分の変化が「あれ? へんだ? これは何だろう?」と思いながらも言語化できないことがあります。思えば3か月に1回ぐらい起きていますね。
このブログは、今はコメント交流もないから私が一方的に書いているように見えますが、書く私、このブログを見る人、すべての人とのエネルギーの共同作業で私の変化が作り上げられる。その感覚はとても強いものとなりました。インターネットも実生活も、つまりは変わらないのだと思います。
この大きな変化については、もうちょっと振り返りができてから、シェアできたらと考えております。20年分ぐらいかかって作り上げてきたものを、一気に手放した2か月なので(杖をとって歩き出したようなものなので、まだちょっとよちよちしている部分もあります)。
まずは今の気持ちと、なんともいえない腹の奥から微笑みがわいてくる感覚をお伝えして、今日の投稿は終わりにしたいと思います。
本日もご愛読いただき、ありがとうございます。
またこのブログ上でお会いいたしましょう。
あいうえおの「あ」と「い」ですね!
石塚とも
2009年08月31日
じゃがいも
「ベランダ菜園」というものに憧れてやってみたが、どうもうちでは無理っぽいことがわかった。
南向きで冬でも暖房がいらないぐらい暖かいから大丈夫だと思っていたうちのベランダだが、これでも野菜作りには向かないのである。
達人に聞いたところ、診断は「それでも日照不足」。言われたとおり、小さなバジルの鉢を一段高いところに移動させて、太陽にあたりやすくしたら、あっというまにすくすく伸びるようになった。その鉢をおろして青菜のプランターを載せたら、青菜は伸びるが、タイル床に置いたバジルは生育が止まってしまう。どうやら、その高さの上に置いておける小さな鉢1つに絞らないといけないようだ。
そんな中、床に置きっぱなしでたいして水もやらないのに、ぐんぐん、私の膝まで伸びてきた植物があるのだ。
じゃがいもだ。
じゃがいもはローで食べられないことはないが、これだけいろいろ食べるものがあるのに無理に食べる必要もないという感じで、つい、いただきものがごろごろと放置されていた。。
芽が出てきたちっちゃいやつを、なんとなくあわれに思って鉢に埋めておいたら、なんともたくましい成長の具合なのである。
他の野菜は生きられなかった状況下で。
さっすがー。この生命力がヨーロッパの飢饉を救ったのか〜。
いたく感心してしまった。
ドイツのソーセージにじゃがいもはいうにおよばず、ヨーロッパで肉とじゃがいも、チーズとジャガイモの例はあげたらきりがない。フランスのビフテックにフリット、イギリスのロースト・ビーフにマッシュ・ポテト、イタリアのニョッキ、東欧のじゃがいものパンケーキ……。
しかし、そんなじゃがいもの原産地は実は南米である。ペルー、チチカカ湖近辺の標高は3100m超という、寒冷地から、大航海時代に、じゃがいもはヨーロッパに渡った。
世界4大作物のうち、二つ(とうもろこしとじゃがいも)が南米原産なんですね。
「国富論」のアダム・スミスが「じゃがいもは麦の3倍の生産量がある」と試算したそうだ。ヨーロッパは飢饉の連続だったが、飢饉が増えると働き手を増やそうとして逆に人口は増える(現在の発展途上国が陥っているジレンマ)。「食べものを増やすか、人口を減らすか」、前者がじゃがいも、後者がアメリカ移民へとつながっていく。
で、その「未来の食べもの(16cの)」となったのがじゃがいもで、アイルランドをはじめ、ヨーロッパ全土に爆発的に伝播する。そして、アメリカ独立戦争の際の北米軍の食べものとして北米にも伝わる。
というわけで、じゃがいもは欧米料理にとっては「伝統」ではなく「外来種」なのだが、今や、なくてはならない料理として定着することになった。時期から言うと、日本に「てんぷら」が入ってきたのと同じころである。
現代の都会生活から考えてみると、じゃがいもは一長一短といったところである。
じゃがいものすごいところは炭水化物なのにビタミンCがとれるところ。炭水化物に保護されているため、熱でも壊れにくい。また、精製した穀物に比べて食物繊維も豊富だ。
だが、生活習慣病の人から悪者にされがちなのが、GI(血糖値上昇)の高さ。米・麦が60前後であるのにベイクド・ポテトは110以上ある。
それと、じゃがいも自体はカロリーはそんなに高くないのだが、口の中でぱさぱさするため、油か水分と一緒にとりたくなってしまうのが問題のように思える。
油分はもちろん、水分と一緒にとるのも、よく噛まずに水分と一緒に流し込まれてしまい、消化上よろしくない。じゃがいもを食べると、口の中の天井部で押しつぶしている感じで、「噛んで」はいない気がする。「マッシュ・ポテト」「ポテト・グラタン」みたいに、ますますかまなくてよい料理に魅力的な料理が多い。
ちなみに、じゃがいもの葉は芽と同じく「ソラニン」が含まれており、スムージーには使えない。Victoria Boutenko が「にんじんは根より葉の方が栄養があるのに、みんなにんじんの葉を捨ててしまうのはもったいない」といって嘆いているが、じゃがいもの場合は「根は食べないで葉を食べる」というわけにはいかないのである。
こうして、我が家で育つ唯一のグリーンの野菜は、食べられない野菜ということになってしまった。
しかし、そんなに悪環境に強いじゃがいもを見ていると、「物事には順番がある」と思わざるをえないのである。
じゃがいもは全然ローじゃないけど、そのときの、生きるか死ぬかに追い詰められたヨーロッパの人にとって、じゃがいもを食べるということが、「ベター中のベター」であった、ということなのだろう。
今でこそみんなが「おいしい」と思うじゃがいもだけど、私は、当時初めてじゃがいもを食べたヨーロッパ人の中には、「こんなまずいものを!」「(暗黒の地)新大陸から来たものなんて気味が悪い」と、と思った人もたくさんいると思うのだ。今の感覚でいえばカルト呼ばわりした人だっていかねない。なにしろ、じゃがいもは、当時の常識を決定づけていた書物、「聖書」にまったく書かれていない食べものなのである。
人間が「慣れてないもの」に嫌悪の理屈をつけることは、本当に簡単なのである。当時は品種も現在のようにいじられていないし、乳業だってそんなに発達してないから、誰でもバターたっぷりかけたほくほくのじゃがいもが食べられたわけではない。
ベランダにてわさわさ育ってしまったじゃがいもを見て思うことは、「ローで食べよう」というムーブメントは、誰か個人がそれを作ったとか広めたというのではなくて、「地球」というか「歴史」というか、そういう何か大きなものと我々との「合意」のあいだに生れたものではないかということである。16世紀にじゃがいもがヨーロッパに普及したとき、世界と人々の間で何らかの「合意」があったのと同じように。
20cになり、ローが「再発見」され、それが言語化されることができたというのは、そこまでの合意が成立した、ということなのだろう。でも、全員が「ロー・コンシャス」(「ローフーディスト」ではない)になるほどの合意にはいたっていない。その合意を無視して、いたずらに急いてみたり、一方で「ロー」という潮流をまったく無視しても、同様にうまくいかないような気がする。しかも、ごろごろと石が流れてくる川を逆流しながら歩くような、抵抗の多い生き方になってしまう感じがする。
「ローに気づいてしまった自分」、「ローにはやってしまうのをがまんする自分」との接点に、自分とこの世界との調和がある、という仮説をたてて、今日の長いお話はおしまいです。
本日もご愛読ありがとうございました。
南向きで冬でも暖房がいらないぐらい暖かいから大丈夫だと思っていたうちのベランダだが、これでも野菜作りには向かないのである。
達人に聞いたところ、診断は「それでも日照不足」。言われたとおり、小さなバジルの鉢を一段高いところに移動させて、太陽にあたりやすくしたら、あっというまにすくすく伸びるようになった。その鉢をおろして青菜のプランターを載せたら、青菜は伸びるが、タイル床に置いたバジルは生育が止まってしまう。どうやら、その高さの上に置いておける小さな鉢1つに絞らないといけないようだ。
そんな中、床に置きっぱなしでたいして水もやらないのに、ぐんぐん、私の膝まで伸びてきた植物があるのだ。
じゃがいもだ。
じゃがいもはローで食べられないことはないが、これだけいろいろ食べるものがあるのに無理に食べる必要もないという感じで、つい、いただきものがごろごろと放置されていた。。
芽が出てきたちっちゃいやつを、なんとなくあわれに思って鉢に埋めておいたら、なんともたくましい成長の具合なのである。
他の野菜は生きられなかった状況下で。
さっすがー。この生命力がヨーロッパの飢饉を救ったのか〜。
いたく感心してしまった。
ドイツのソーセージにじゃがいもはいうにおよばず、ヨーロッパで肉とじゃがいも、チーズとジャガイモの例はあげたらきりがない。フランスのビフテックにフリット、イギリスのロースト・ビーフにマッシュ・ポテト、イタリアのニョッキ、東欧のじゃがいものパンケーキ……。
しかし、そんなじゃがいもの原産地は実は南米である。ペルー、チチカカ湖近辺の標高は3100m超という、寒冷地から、大航海時代に、じゃがいもはヨーロッパに渡った。
世界4大作物のうち、二つ(とうもろこしとじゃがいも)が南米原産なんですね。
「国富論」のアダム・スミスが「じゃがいもは麦の3倍の生産量がある」と試算したそうだ。ヨーロッパは飢饉の連続だったが、飢饉が増えると働き手を増やそうとして逆に人口は増える(現在の発展途上国が陥っているジレンマ)。「食べものを増やすか、人口を減らすか」、前者がじゃがいも、後者がアメリカ移民へとつながっていく。
で、その「未来の食べもの(16cの)」となったのがじゃがいもで、アイルランドをはじめ、ヨーロッパ全土に爆発的に伝播する。そして、アメリカ独立戦争の際の北米軍の食べものとして北米にも伝わる。
というわけで、じゃがいもは欧米料理にとっては「伝統」ではなく「外来種」なのだが、今や、なくてはならない料理として定着することになった。時期から言うと、日本に「てんぷら」が入ってきたのと同じころである。
現代の都会生活から考えてみると、じゃがいもは一長一短といったところである。
じゃがいものすごいところは炭水化物なのにビタミンCがとれるところ。炭水化物に保護されているため、熱でも壊れにくい。また、精製した穀物に比べて食物繊維も豊富だ。
だが、生活習慣病の人から悪者にされがちなのが、GI(血糖値上昇)の高さ。米・麦が60前後であるのにベイクド・ポテトは110以上ある。
それと、じゃがいも自体はカロリーはそんなに高くないのだが、口の中でぱさぱさするため、油か水分と一緒にとりたくなってしまうのが問題のように思える。
油分はもちろん、水分と一緒にとるのも、よく噛まずに水分と一緒に流し込まれてしまい、消化上よろしくない。じゃがいもを食べると、口の中の天井部で押しつぶしている感じで、「噛んで」はいない気がする。「マッシュ・ポテト」「ポテト・グラタン」みたいに、ますますかまなくてよい料理に魅力的な料理が多い。
ちなみに、じゃがいもの葉は芽と同じく「ソラニン」が含まれており、スムージーには使えない。Victoria Boutenko が「にんじんは根より葉の方が栄養があるのに、みんなにんじんの葉を捨ててしまうのはもったいない」といって嘆いているが、じゃがいもの場合は「根は食べないで葉を食べる」というわけにはいかないのである。
こうして、我が家で育つ唯一のグリーンの野菜は、食べられない野菜ということになってしまった。
しかし、そんなに悪環境に強いじゃがいもを見ていると、「物事には順番がある」と思わざるをえないのである。
じゃがいもは全然ローじゃないけど、そのときの、生きるか死ぬかに追い詰められたヨーロッパの人にとって、じゃがいもを食べるということが、「ベター中のベター」であった、ということなのだろう。
今でこそみんなが「おいしい」と思うじゃがいもだけど、私は、当時初めてじゃがいもを食べたヨーロッパ人の中には、「こんなまずいものを!」「(暗黒の地)新大陸から来たものなんて気味が悪い」と、と思った人もたくさんいると思うのだ。今の感覚でいえばカルト呼ばわりした人だっていかねない。なにしろ、じゃがいもは、当時の常識を決定づけていた書物、「聖書」にまったく書かれていない食べものなのである。
人間が「慣れてないもの」に嫌悪の理屈をつけることは、本当に簡単なのである。当時は品種も現在のようにいじられていないし、乳業だってそんなに発達してないから、誰でもバターたっぷりかけたほくほくのじゃがいもが食べられたわけではない。
ベランダにてわさわさ育ってしまったじゃがいもを見て思うことは、「ローで食べよう」というムーブメントは、誰か個人がそれを作ったとか広めたというのではなくて、「地球」というか「歴史」というか、そういう何か大きなものと我々との「合意」のあいだに生れたものではないかということである。16世紀にじゃがいもがヨーロッパに普及したとき、世界と人々の間で何らかの「合意」があったのと同じように。
20cになり、ローが「再発見」され、それが言語化されることができたというのは、そこまでの合意が成立した、ということなのだろう。でも、全員が「ロー・コンシャス」(「ローフーディスト」ではない)になるほどの合意にはいたっていない。その合意を無視して、いたずらに急いてみたり、一方で「ロー」という潮流をまったく無視しても、同様にうまくいかないような気がする。しかも、ごろごろと石が流れてくる川を逆流しながら歩くような、抵抗の多い生き方になってしまう感じがする。
「ローに気づいてしまった自分」、「ローにはやってしまうのをがまんする自分」との接点に、自分とこの世界との調和がある、という仮説をたてて、今日の長いお話はおしまいです。
本日もご愛読ありがとうございました。
2009年08月25日
みんな何でもわかっちゃう
ブログ村をやめることにした。正確にいえば、「ランキング」と「トラックバック」をやめることにしたのだが、そうすると「ローフードブログ村」の画面にはまったく出なくなるので、事実上の脱退である(近いうちに登録解除もしちゃうかもしれない)。この記事での告知が行き渡ったであろうと思われる数日後に作業の予定。
実は、いったいいつやめるか? というのは、最近の大きな課題だった。問題は、「情報過剰」である。昨年の6月は20そこそこ、今年の3月もまだ40ぐらいしかなかったローフード登録ブログがあれよあれよと増えて、今では100以上。しかも、ローフード・ブロガー100があると、更新スピードが速いので、普通のブログ300に匹敵するのである。「ブログのアウトプットの数は、人間の排泄回数(=アウトプット)と比例するのでは?」と書きたくなったものだ。
人が生き生きと変わっていく瞬間の記録というのは、何度読んでも楽しいものである。というわけでつい読んでしまっていたが、いつのまにか情報の波に溺れそうになっていた。そうこうしているうちに忙しさ倍増で、記事にいちいちタグを張ったりトラックバックのPINGを打つのが苦手な作業になっていった。
そして、自分がいやいややっているというのは、ディスプレイを超えてびんびん伝わっちゃうのである。そういう「本当の気持ち」が伝わりやすくなっているとしたら、それは細胞につまりがないことと関係がある気がしないでもない。ローフーディストの「鏡の法則」は研ぎ澄まされたものである。
秋にフルタイムの英語学校に通うタイミングでやめようかと思っていたのだが、まさに「熟して」しまったので、これ以上は待てないと悟った。熟してしまった果物の進行をとめることはできないのだ。
同じ理由でコメント交流も終了することにした。
私はコメント交流が大好きだった。今まで褒め言葉も厳しいお叱りの言葉も無検閲でのせてきたけど、それは、ノンバイオレント・コミュニケーションというのは、こういう待ったなしの状況下でこそ鍛えられるものだ、という方針のもとであった。私はその一つ一つを、チャレンジではありながらとても楽しんでいたのです。
が、これだけたくさんの交流をしてみて、それらは、自分のハートの声を聞くことができれば、他人のコメントを待たなくても、いいときには自分で自分を評価できるし、だめなときには自分で修正ポイントを見つけられるだろう、という手ごたえがあった。
そんなわけで、なくしてしまうことはとても寂しいが、現実問題として、今の生活時間から何かを削るとしたらここになってしまうのである。幸い、読者の「気」を感じるのは一瞬でできる。サイレントになった中で、その声に耳をすますのはかえって容易になるような気もする。
ブログ村の「新着記事」欄からチェックしていた皆様には、「お気に入り」や「はてなアンテナ」への登録をお願いしたい。
もう一つのブログ六本木だよりもトラックバックをしなくなるので、
同様に「お気に入り」や「はてなアンテナ」に入れてください。マイミク登録している方には「新着日記」として表示されます。
映画のは……そんなにたくさんアップしないので、ま、いいでしょう(映画ブログ村のひと人も見てほしいし)
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
実は、いったいいつやめるか? というのは、最近の大きな課題だった。問題は、「情報過剰」である。昨年の6月は20そこそこ、今年の3月もまだ40ぐらいしかなかったローフード登録ブログがあれよあれよと増えて、今では100以上。しかも、ローフード・ブロガー100があると、更新スピードが速いので、普通のブログ300に匹敵するのである。「ブログのアウトプットの数は、人間の排泄回数(=アウトプット)と比例するのでは?」と書きたくなったものだ。
人が生き生きと変わっていく瞬間の記録というのは、何度読んでも楽しいものである。というわけでつい読んでしまっていたが、いつのまにか情報の波に溺れそうになっていた。そうこうしているうちに忙しさ倍増で、記事にいちいちタグを張ったりトラックバックのPINGを打つのが苦手な作業になっていった。
そして、自分がいやいややっているというのは、ディスプレイを超えてびんびん伝わっちゃうのである。そういう「本当の気持ち」が伝わりやすくなっているとしたら、それは細胞につまりがないことと関係がある気がしないでもない。ローフーディストの「鏡の法則」は研ぎ澄まされたものである。
秋にフルタイムの英語学校に通うタイミングでやめようかと思っていたのだが、まさに「熟して」しまったので、これ以上は待てないと悟った。熟してしまった果物の進行をとめることはできないのだ。
同じ理由でコメント交流も終了することにした。
私はコメント交流が大好きだった。今まで褒め言葉も厳しいお叱りの言葉も無検閲でのせてきたけど、それは、ノンバイオレント・コミュニケーションというのは、こういう待ったなしの状況下でこそ鍛えられるものだ、という方針のもとであった。私はその一つ一つを、チャレンジではありながらとても楽しんでいたのです。
が、これだけたくさんの交流をしてみて、それらは、自分のハートの声を聞くことができれば、他人のコメントを待たなくても、いいときには自分で自分を評価できるし、だめなときには自分で修正ポイントを見つけられるだろう、という手ごたえがあった。
そんなわけで、なくしてしまうことはとても寂しいが、現実問題として、今の生活時間から何かを削るとしたらここになってしまうのである。幸い、読者の「気」を感じるのは一瞬でできる。サイレントになった中で、その声に耳をすますのはかえって容易になるような気もする。
ブログ村の「新着記事」欄からチェックしていた皆様には、「お気に入り」や「はてなアンテナ」への登録をお願いしたい。
もう一つのブログ六本木だよりもトラックバックをしなくなるので、
同様に「お気に入り」や「はてなアンテナ」に入れてください。マイミク登録している方には「新着日記」として表示されます。
映画のは……そんなにたくさんアップしないので、ま、いいでしょう(映画ブログ村のひと人も見てほしいし)
今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
RBJブックストア 現在のオススメ本と文具ベスト6 |
(2022/12/16更新)